羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「――素敵な方だったね」
 あの後、湿っぽかった雰囲気を払拭するかのようにはしゃぎまわった妹がようやくライブへと向かい、オレたちは人の少ない校舎裏で休憩をしていた。
「マジで色々ごめん……色々……」
「もう。あなたは謝ってばかりだ。いけないよ、そういうのは」
「ご、ごめ……」
 注意されたそばから謝ってしまって慌てて口を閉じた。春継はおかしそうに笑っている。
「お兄さん想いの妹さんだった。……おれもあんな風に兄とぶつかっていたら、少しは何か変わっていたかもしれないな」
 驚いた。春継がこうやって、後悔みたいな……そういうのを口に出すのはかなり珍しいことだったから。基本的に過ぎたことには言及しないタイプなのだ。考えても仕方ないことは考えない、を実行できる奴なのである。
 そんなこいつの弱音に、オレは今何がしてやれるだろう。
「えっと……オレはさ、アンタがいたから今日かなり喋りやすかったよ」
「おや。それは光栄だな」
「ん……だから、あの、……もし春継がお兄さんと喋るってときは、オレも傍で応援する……」
 だ、駄目だー……! こんなことしか言えねえ……! そもそもどういう状況だよ!?
 春継はしどろもどろなオレにも優しくしてくれた。きっと周囲に人がいないのを確認した上で、オレの髪をゆっくり撫でる。
「ありがとう。絶対的な味方がいるというのはこんなにも心強い」
 どこか遠くを見て、風に乗せるかのように小さく言うには、「おれ、大体のことは先回りで対処できてしまうから、あまり人との決定的な軋轢を経験したことがないんだ」とのことで。
「時にはしっかりぶつかることも必要だったのかもしれないな」
 なるほど、そつのなさは長所なのだろうがそれで本人が悩むこともあるのか。これを「贅沢な悩みだ」と切って捨てるなんてできない。
 周囲に人がいないのをいいことに、そっと春継の手を握った。この位置なら、体に隠れて手を繋いでいるなんて分からないだろう。その手は子供体温と言っていい程度には温かい。こいつは大人びた奴だから、こういうところで年相応な部分を感じられると微笑ましい。
 特に気の利いたことは言えなくても、黙って傍にいて、そしてほんの少しの間手を握ることくらいならできる。
 ささやかすぎて歯がゆいけれど、春継が隣でふっと笑うのが分かった。
「よく考えたら、今まさに家族とぶつかっている最中だったね。あなたとの未来のために」
「そ、そうだよね……そうでした……」
「あなたがおれにもたらしてくれたこと、本当にたくさんあるなあ。ありがとう」
 涙腺が緩みそうになる。家族とぶつかるなんて楽しいことではないだろうに、こいつはオレのせいだなんて言わないし、それどころかお礼を言ってくる。だったらオレは、ここで「ごめん」って謝るべきじゃないんだろう。
 至近距離で目が合って、ものすごくキスしたくなった。でも我慢した。オレだって、こいつの覚悟の一端は目にしていたから。泣きそうなのをどうにか誤魔化すべく、オレは話を少し広げることにする。
「……春継のお兄さんって、四人いるんだよね? アンタにとってどんな人たちなの? 自分と似てるなーとか思うとこある?」
「うん? どうだろうな。そもそも全員母親が違うからね……男は母親に似ると言うし、そういう意味では兄弟同士あまり似てないかもしれない。冬眞くんのところとは正反対だ」
 ふと思った。春継から家族の話をあまり聞いたことがなかったけれど、きっとこれは春継の心の柔らかい部分に直接刺さることなのだ。いくら大人びていても二十歳そこそこ。出会ったときなんて未成年。ぐらぐら不安定なのが当たり前ってくらいの歳なのに、物分かりのいい顔をして。
 それは、子供でいられなかった……ということだ。
「春継」
「なんだい?」
「あの、……オレに、甘えていいよ……あ、甘え甲斐ないかもだけど! オレも一応『兄』だし? だからその、……甘えたいときはそう言ってくれたら、オレは嬉しい……」
 きょとん、とオレを見つめる表情はびっくりするくらい幼かった。かと思えばふはっと息を吐き出して笑う。可愛いなこいつ。次から次へと好きだ。マジで。
「ではお言葉に甘えて、おれの兄の話を聞いてくれるか?」
「うん。もちろん」
「ありがとう。――冬眞くんが会ったのは一番上の兄だよ。彼は、おれが生まれるまでは跡継ぎとして育てられていた人でね。歳も十歳以上離れている」
 そんな話から始まって、春継はオレにお兄さんたちの話をしてくれた。真面目で責任感の強い長男、ムードメーカーの次男、物腰柔らかで第一印象は絶対に外さない三男、口数は少ないながら気配りの濃やかな四男――。
 なんてことはない。こいつはお兄さんたちのことが好きなのだ。家業に興味はないなんて言いつつ決定的に拒絶してこなかったのは、それが理由なんじゃないだろうか。
 だって、さっきから出てくるのは褒め言葉ばかりだ。
「アンタの話聞いてると、かなり仲よさそうに聞こえる」
「……分からないな。正直なことを言うと、全員ほんの少しずつ苦手なんだ。きっと向こうもそうなんじゃないだろうか。……兄たちはおれに気を遣ってくれていたのかもしれない。本心のところでは跡取り第一候補のおれを疎ましく思っていたかもしれない。聞けないし、きっと聞かなくていいことだ」
 おれも積極的に仲を育もうとはしなかったのだから同罪だろう、と春継は言う。
「なんてね。きっと聞くのが怖かっただけなんだ。あなたに色々と説教じみたことを言うくせして、自分のこととなると途端に駄目だなんて笑えないな」
 そんなことない、と言う代わりに手を強く握った。離れないように。
「……なんでもできるからって、あんまり頑張りすぎるなよ」
「相変わらずべた褒めだなあ。照れてしまう」
「褒めるよ。だってアンタはすごく頑張ってるから」
「っ、……ありがとう、冬眞くん」
 それは、春継が珍しく表に出した「揺らぎ」だった。
 どうしようもなく愛しくなる。こいつも人間関係に悩むのだという当たり前すぎる事実が。
「オレはさ、今日、妹と話せてよかったって思った。アンタもいつかそう思える日がくるかもしれない。もちろん、誰にも強制されずに」
「そうだね……そうだといいな」
 春継はほんの少しだけ俯いた。もしかして泣くかな、と思ったけれど、そこはやはりオレたち兄妹とは涙腺のつくりが違うのか、きっちりと耐えたらしい。もしかして、家だったら泣いてくれたかもしれないと思うと少し残念だ。
「――なんだか湿っぽくなってしまったね。戻ろうか。まだ見ていない展示がたくさんあるよ」
「ん。オレ、アンタが描いたやつもう一回見に行きたい」
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ。そういえば少し小腹が空かないか? おやつでも買おうかなあ。冬眞くん、一緒にどうだい」
 アンタの誘いを断るわけないだろ。一緒に行くに決まってる。
 立ち上がって歩き出す。隣には春継がいる。オレが支えてもらっている分、こいつを支えることのできる自分であれたらいいなと思った。
 昨日よりも強い自分でありたい。
 大切な人を、大切にするために。優しくするために。
 たとえ泣いても、ちゃんと前に進めるように。

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