羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「シャンパンタワー、人生で一度でいいから生で見てみたいなあ……」
「分かる」
 全然分からないことを言い出した八代と津軽の二人が「夢だよね」「そうだね」などと会話を展開させていくのを、俺は呆れた気持ちで見ていた。言ってる内容は理解し難いが、どうしてこんな話題が出たかというのは分かる。
「えー、そんな面白いもんでもないと思うけどなァ。あれ飲むのも片付けるのも大変だし……」
「大体いくらくらいでできるんですか? シャンパンタワー」
「俺が働いてたときは、見栄えいいのだと百万くらい……? 景気よかったし、金額吊り上げようと思ったら際限ないからねああいうの」
 わー、と未知の世界に瞳を輝かせている八代は、何故か俺の父親と仲良しだ。何故かというか、八代はかなり頻繁にこの店で食事をとるので必然的にお互い顔を合わせる頻度が高い。加えて、そういう場面では当たり前のように相席するタイプなので会話も増える。もしかしなくても俺よりよっぽど親父と喋る機会が多いんじゃないかと思う。
 今日はたまたま津軽もケーキを食べに来ていて、それでこんな不思議な面子で喋っているというわけだ。他に客もいないし、俺もカウンターの中で作業をしている。
「というか、遼夜くんはお酒飲めないでしょ?」
「おれはシャンパンタワーを見たりシャンパンコールを聞いたりしたいだけでお酒が飲みたいわけではないので」
「そ、そう? そんな当たり前みたいな顔で言われると俺が変なこと聞いたような気がしてくる……」
 そんなことはないので安心してほしい。こいつらは変なことを言い出すことがそれなりにあるから。
 今この場にせめて奥がいればな……と思わず遠くを見てしまった。俺、いまいちこいつらに強く言えないんだよ。甘い自覚はある。八代が単独で面倒なこと言ってたら津軽がやんわり止めてくれるし津軽が単独で謎なこと言ってたら八代がめんどくさそうに止めてくれるんだけど、こいつら二人揃って様子がおかしいと止める奴がいない。奥は意外と、津軽が絡まなければかなり常識的な部類に入る……はず、なのだ。はず。直情型だけど。俺たち四人の中で唯一、いわゆる『会社勤め』ってやつをこなしてるし。俺も八代も自営業で自分が一番上の立場だし、津軽もほぼ個人事業主みたいなもんだしな。
「あっ分かるシャンパンコールも聞きたい……完全に想像の中の産物でしかないけどなんか楽しそう……」
「八代は仕事の付き合いとかで聞いたことがあるものだと思っていたのだけれど、案外そうでもないみたいだね」
「バブルじゃないんだから接待に夜の店とか使いませんって……お前こそ『仕事の取材で』とか言えばどこでも入れてもらえそうなのに」
「取材とかじゃなくて自然な姿を見たいものじゃないか? そうなるともう客として行くしかなくないか? そしておれじゃ客にはなれない……」
「そもそもの謎。ホストクラブにシャンパンコールがあってキャバクラにシャンパンコールが無いのはなんで? 実はあるの? 頼んだらやってくれるかな?」
「いや、おれが知るかよ。むしろ教えてほしいくらいだぞ」
「涼夏さんは知ってます?」
「えっごめん分かんないかな……ごめんね……」
「なんでお前が謝るんだよ」
 あっやばい、思わず口を挟んでしまった。壁に徹していたかったのに。
 あからさまに『助け舟だ!』みたいな顔をされてしまったので少しだけ会話を引き継いでやることにする。「別に見ても面白いもんじゃねえと思うけど。煩いし」すると、それはもう不満たらたらですといった声で八代が応えた。
「いや、その口ぶりからするとお前見たことあるんでしょ?」
「見たことあるっつーかちらっと目に入っただけ……」
「『ちらっと目に入った』ことすら無いから見てみたいっつー話をしてんの」
「えっめんどくせえなこいつ……マジで……っつーかそこまで言うなら見せてもらえばいいんじゃねえの、コールできる奴ここにいるし」
 本格的に面倒になってきたのと、実はちらっと目に入ったとかじゃなくてこっそり盗み見してただけなのでそこを突っ込まれたら困るっつーことで早々に話題を逸らした。正直に白状して十年越しくらいに怒られるのも嫌だし。
「涼夏さん涼夏さん、息子さんこんなこと言ってますけど」
「いやいやいや無理だから! あれは特殊な状況で特殊な精神状態でおまけに大人数でやってるから異様さを誤魔化せてるだけなのに」
「あ、やっぱ異様なのは分かってたんだな」
「分かってるに決まってんだろ……こんな真昼間の明るい場所で一人シャンパンコールって何? 罰ゲームか何か? せめて合いの手が欲しい」
 自分の子供世代のノリに怯えているそいつを見ているのはなかなか愉快だったが、このままだと「じゃあけーごが一緒にやってくれるならやる……」とかなんとか言い出しそうだ。ちなみにだけど俺にシャンパンコールは当然できない。できるわけがないししたくない。
「やっぱり『御指名ありがとうございます』って言うんですか?」
「遥くんさっきからぐいぐいくるね!? おめめきらきらね……確かに指名されたらお礼はちゃんと言うよ。お仕事ですから」
「『かわいい子猫ちゃん』とか言うんですか?」
「情報源が偏ってる予感しかしない……言うひとは言うかもねー、俺はなんかそういうの笑っちゃって駄目だったわ。あっでもお客さんのことは『姫ー!』って呼んでた記憶がある」
「お姫様だぁ……!」
 マジでマジで謎なんだけどなんでこいつらこの話題でさっきからずっと盛り上がっていられるんだ? マジで謎。マジで。
 シャンパンタワーからシャンパンコールの話になってどんな接客をするかの話になって、きゃっきゃとはしゃいでいる大の男たちは正直言ってかなり不気味である。俺の感性がおかしいわけではないと思いたい。
 そして――八代と津軽が「いつか間近で接客見てみたいね」「ね」と冗談みたいな言葉を交わすようになった頃。
「――『御指名ありがとうございます』」
 ふっ、と親父の纏う空気が変わった。それこそ、スイッチを切り替えたみたいに。限りなく確信に近い嫌な予感がしたけれどもう遅い。
 一番近くに座っていたのは八代だったから、それは仕方ないことだった。心持ち、ほんの少しだけ距離を近づけて、まったくブランクを感じさせない仕事モードに入ったそいつは完璧に笑顔を作ってみせる。
「また会えて嬉しいな。会えなかった間、ちょっとは俺のこと思い出してくれた?」
「え、え」
「お仕事で忙しいの分かってるけど……せめて今日くらいは、一緒にいさせて。俺のこと見てて。頑張ってお酒作るから。……だめ?」
 微かに首を傾げた拍子に髪が一房頬にかかるのも、いつもよりほんの少しだけ低い声も、計算ずく。そうだ、俺はこれを見ながら自分の魅せ方を学んだのだ。例によって盗み見である。
 そいつは、余韻のひとつも残さずにぱっと笑顔の種類を一瞬で変えて、「なーんつって! あーマジでこの歳でやるにはきつい、やっぱもう二度としたくねえ」と降参のポーズをとる。見てみたいと言われたから短時間だけやってくれた、ただそれだけの話だ。しかし八代はしばらくフリーズしっぱなしで、「……ん? 遥くんどしたの、だいじょうぶ?」と声をかけられてようやく現実に戻ってきたらしい。
「……、……ドンペリ入れます…………」
「待て待て待て待てオイ! 流石にそれはアウトだろ!」
「ダメだぁ〜! IQが下がっちゃう〜……! すごすぎる……!」
 こいつが女じゃなくてよかったし俺がホストじゃなくてよかった。こいつハマったら金つぎ込むタイプだぞ。恐ろしすぎる。
「津軽〜! 助けて〜!」
「いやおれも助けられるほどの耐性が無い……すごい……何度でも見たい……」
「ダメでしょこれはすごいもんめっちゃすごいもん、人としてダメにさせられる……!」
「すごい……ちょっと女性の気持ちが分かる、すごいなあ……」
 こいつらさっきから「すごい」しか言ってねえ……。
 親父はというと自分に責任があるとは一切思っていない顔で「えっ何今の若い子コワ……ジェネレーションギャップ……」なんて言っていた。お前のせいだよ。
「はあ……すごかった。すごかったです、ありがとうございます……五歳くらい若返りました……」
「うわっおおげさ! お世辞でも嬉しいわーありがとね」
「マジで何かお好きなものとかありません? ただ享受するには膨大すぎたんですけど……色々……」
「何なに、お世辞の達人じゃーん。俺はねえけーごが好き〜!」
「あっそれはオレもで〜す!」
「おそろいだねー」
 ……頭が痛い……。
 八代よりは若干冷静であろう津軽に視線で助けを求めると、何故か気まずそうに赤くなって目を逸らされた。は? ……は!? もしかして顔が似てるからか!? やめろ!!
 こいつらの無茶振りは今後一切聞かなくていい、と必死に親父に言い含めてどうにか場を収めることに成功した俺は、ぐったりとカウンター席に座り込む。おぼろげだったシャンパンコールの記憶やら何やらがじわじわ蘇ってきて、俺にはできない……とひたすら自己暗示をかける。
 俺の気持ちが分かっているのかいないのか、親父は妙に真剣な表情になってこんなことを言ってきた。
「本当だったらシャンパンコールじゃなくて、百人一首とかが自然と耳に入るような環境でお前を育てたかったんだよ。嘘じゃないよ?」
 落差がやべえよ。もしそんな環境にいられたら古典が少しはできるようになっていたかもしれない。
 そんなことを今更言ったって仕方ないし、今の俺がやるべきことは決まってる。
 ……こいつら二人、親父が帰ったらマジで説教だからな。特に八代。
 目の前で他の男にきゃあきゃあはしゃがれて平静でいられるほど、俺も器が完成してるわけじゃねえってことだよ。

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