羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 時折、悪趣味なくらいリアルな夢を見ることがある。
 さくらが生きていた頃の夢とか。さくらが今でも生きている夢とか。朝起きたときに落ち込むので見るのをやめたいのだが、こればっかりは自分では選べない。
 そして、こういうタイプの夢は困ったことにバリエーションが増えるのだ。最近の流行りは八代の夢らしい。あいつが、『なんか面倒になっちゃったからお前もういいや。ばいばーい』ってどこかに行ってしまう夢。こっちのほうが分かりやすく悪夢かもしれない。
 ……正直な話をすると、夢じゃなくてもこういう想像はすることがある。別に八代を信じてないとかではなくて。ただの性分だ。もしあいつが俺以外の誰かを選んだら、なんて――そんなの、これまで数え切れないくらい考えた。
 俺の夢や想像の中ですら、あいつは俺以外を選んでも問題なく幸せに生きている。いやまあそりゃそうだよな、という感じだ。八代は俺が相手でなくとも大丈夫。あいつは基本的に前向きだし、問題解決能力の高い奴なので幸せを掴むのは難しくないだろう。家事のできる配偶者がいてくれれば申し分ない。専業主婦とその子供を養うくらいの甲斐性は余裕で持っている奴だから。
 こういうとき、一体俺は何ポジションなんだよ、と思わなくもない。せめて友達のままでいたいし、なんなら結婚式では友人としてスピーチさせてほしい。めちゃくちゃ頑張ると思う。でも八代は物事の取捨選択がはっきりばっさりしているから、一旦「切り捨てるもの」枠に該当してしまうとマジで視界にすら入れてもらえない可能性がある。結婚式、招待すらされなかったらどうしよう……流石に落ち込む……。
 無駄に現実味のある想像をしてしまった。寒いから気持ちが塞ぐのかもしれない。今日は早めに寝ることにしよう。

『一度振ったくせに、なんでオレがいつまでもお前のこと好きだと思ってんの? お前なんかもう友達としてだっていらないんだけど』
 最悪の寝覚めだった。目を開けて、夢だと分かってもまだ怖かった。なまじ付き合いが長いせいで声のトーンとか、再現度が高すぎる……。
 時刻は朝七時。完全に寝坊だ。休みの日だからという言い訳もしたくないくらいに精神がぐったりしていた。
 自分の想像力に勝手に追い詰められている俺はさぞかし滑稽だろう。でも、だって、あのときはああするのが一番だと思ったんだよ。あいつの告白を遮って、友達のままを強要して。結果的には友達の縁すら切られかけたのだからやることなすこと裏目だったんだけどな。よく考えたら、あいつが俺を選ばなかったとしても、次の相手に女を選ぶとは限らないし。「普通」に幸せになってほしいと思ってたけど、普通とはどこからどこまでだと言われると答えに窮する。
 スマホを手に取って、着信履歴を見る。先頭には八代の番号があった。これがもしかして消えてしまうことがあるとしたら、俺はそのときどうするのだろう。
 なんて、感傷に浸っていたら手が滑ってスマホをベッドの上に落としてしまう。おまけに、落とした瞬間画面に手が当たっていたみたいで、拾い上げたときには既に電話が発信された後。慌てて切ろうとした。だってこの時間、八代は確実にまだ寝てる。誤発信で起こすとか絶対キレられるだろ。まあ、不幸中の幸いというか、あいつはあまり寝起きがよくないからすぐに切れば大丈夫だろうけど。
 ――そう思っていたのに、何故かこういうときに限ってあいつは電話に出るのだ。
『……もしもし……何……? こんな早い時間に……』
 寝起きの低い声は案の定、予定外の時間に起こされて不満そうだった。俺は、努めて冷静に声を出す。
「や……悪い。なんでもない」
『――、高槻? 何があった?』
「なんでもない、ごめん、間違えた……それだけだから。ごめん、起こして。もう切る」
『は!? ちょっ……』
 返事を待たずに切った。こんな失敗するの本当に久しぶりだ。不審がられるだけなら別にいい。心配はしてほしくない。
 折り返しの電話がかかってこないことに安心して顔を洗った。歯を磨いて服を着替えて、気は進まないが朝飯でも食うかと思ったところで――けたたましいインターホンの連打音が部屋に響く。ドンドンドンドン! と扉を叩く借金取りみたいな音までし始めたので、慌てて玄関に駆け寄った。チェーンを外して鍵を開けた瞬間、扉が勢いよく外に引かれて思わずつんのめりそうになる。
「っ高槻!」
「え、は? 八代? なんで?」
「『なんで?』じゃねえんだっつーの! もう、思わせぶりな電話しないでよ、マジで焦ったわ」
 はい通して通して、と八代はあっという間に室内へと侵入してきた。手を引かれて、ソファに半ば強制的に座らされて、「何があったの?」と尋ねられる。
 ……『何かあったの?』じゃなくて『何があったの?』な辺り、見抜かれてるなと思う。何かがあったことは確定かよ。
「……な、なんでもない」
「はい嘘ー。お前そろそろオレに嘘つこうとするの諦めたほうがよくない? あんまり死にそうな声してるからタクシー使って来ちゃったじゃん」
「お前仕事は?」
「今日はアポも会議もないし、お前が正直に話してくれるなら一日ここにいるよ」
 よく見たら、八代は寝間着に上着をひっかけただけの恰好だった。自宅のマンション前にタクシーを呼びつけてそのまま直で来たらしい。「顔は洗ったし歯も磨いたよ!」と何故か得意気にしていたが、いや、行動が早すぎる。
 まさかこんなことになるとは思っていなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。っつーか、そんな悲壮感漂う声を出した覚えはないんだが。
「まあ、この頼れる八代さんに相談してみなって。自分で言うけど、物事を解決するだけなら超得意だよ、オレ」
 自信満々な笑顔に少しだけ救われた。そうだな、お前はかなり頼れる奴だと思う。
 ずっと見てきたからそれくらい知ってる。知ってるはずだって思わせてほしい。そう、どんな他人にも負けないくらいに。

prev / back / next


- ナノ -