羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 これは国語教師が教えてくれた雑学で、真偽のほどは定かじゃないんだけど――とある小説家が言うには、芸術と呼ばれるものの中で音楽は一番才能が必要であるらしい。まず音楽で、その次に絵画で――曰く、「才能が無くても食っていけるのは小説くらいだ」だそうだ。小説家の言ったことだから謙遜も入っているのかもしれないけれど、まあ、なんとなく分かるな……と思う。
「真砂って運動得意なひと?」
 体育祭の参加種目を決めている最中に、おれはそんな質問を真砂にしてみた。体育祭は夏休みが終わってから初めての行事で、運動部たちは張り切っているがおれのような無所属はのんびりまったりだ。真砂も帰宅部だが、去年まではクラスリレーに参加していたらしい。まあ、一人ひとつは最低でも競技に参加する必要があるからな。おれはどうしよう。借り物競走とかにしようかな。楽しそう。騎馬戦もいいなー。
「運動? 別に苦手ってわけじゃねえとは自分で思ってるけど。ああでも、球技は突き指とかちょっと怖い」
 真砂は、運動もそれなりにできるタイプのようだ。球技はあんまりで、水泳が好きらしい。確かにバレーとかバスケとか、重いボールがびゅんびゅん向かってくるのちょっと怖いよなー。当たると痛いし。特に真砂にとっては、手の怪我は死活問題だろう。ちょっとボールが当たっただけでも、運が悪いと骨折したりする。それはだめだ。
「そっか、手ぇ怪我しちゃったら困るよな。背が高いから球技有利そうだけど……っつーかお前マジで背高くない? ちょっと分けてほしい」
「いや、お前もそんな低くないだろ……」
「せめて一七〇後半は欲しかった! 背高くて得することってたくさんあるでしょ」
「んー……? 身長に比例して手が大きいからピアノ弾きやすい、とか」
 真砂は、ちらりと周囲を見渡して小さく囁くように言った。クラスの奴らは各々好き勝手な席に座って競技決めに白熱しているか、もしくは適当に雑談してるか。おれも、いつものグループから抜けて真砂の席の隣に座ってる。一番後ろの席だから、今のおれたちに誰も注意を払っていないことは一目瞭然だった。
 内緒話、どきどきすんね。秘密の共有は楽しい。万が一にも他に聞こえたりしないように、おれは机を真砂のにくっつけて少しだけ距離を縮めた。これなら囁き声でも十分に拾える。
「なるほど……え、どこまで届く? どこまで届く?」
「十一度が届くくらい。弾こうと思えばもうちょいいける」
「十一度?」
「あ、悪い。えっと……ドの音から、オクターブ上のファの音まで」
「……あ、鍵盤十一個分だから十一度?」
「そんな感じ」
 脳内にぱっと鍵盤を思い浮かべられないから具体的にどのくらいなのかが分からない……。真砂はなんでもないことみたいにさらっと言っているが、これも実のところかなりすごいことなんだろうと思う。
 試しに手を開いてもらったら想像以上に真横に開くので驚いてしまった。手が大きいというのももちろんあるけれど、指と指の間が柔らかいのかもしれない。思わず手を取って、くに、くに、とそいつの指を動かしてみる。おそるおそる。
「……楽しいか? それ」
「興味深い……」
「そ、っか……」
 真砂が反応に困っている。だよなあ、おれだって急に手撫で回されたら反応に困ると思う。でも、なんとなく触れてみたくなったものは仕方ない。振り払われたりはしないから、嫌がられていないのだと思っておこう。
「響ー! お前どの種目出んの? クラス対抗リレー全然人足りないんだけど! みーんな玉入れとか疲れなさそーなやつに行っちゃって……あ、神原もどうする? ……っつーかお前ら何してんの?」
 矢継ぎ早に飛んでくる言葉をまったく捌ききれていない真砂は置いといて、おれはなるべく自然に真砂の手を離した。「手が大きいなーと思って見てた! すげーよ、ちょう開くの」敢えて誤魔化さずに八割方本当のことを話し、二割を隠した。嘘はついていない。伝える情報を取捨選択しただけだ。
「えー? うわ、マジだ。神原の手でかいねー。これなら人の頭も余裕で掴めるね!」
「人の頭は掴むもんじゃねえだろ」
 呆れた様子の真砂は、しかし最近だとこんな風に話しかけられることにも少しずつ慣れてきたらしい。まだ基本的に遠巻きにされてるっちゃされてるんだけど、少なくともおれの周りの奴らはいくらか普通に話しかけるようになっている。
 ……たぶん本来ならこっちが素なんだろうな、って感じ。言葉少なで、けど人の話はちゃんと聞いてくれていて、クールというかなんというか。キャパオーバーであわあわしてるのもおれは嫌いじゃなかったりするけどね。
 でもまあ、おれ以外の奴にあんな感じの真砂を見せるのはなんだか勿体無い。なんかねー、おれと一緒にいるとき変なタイミングでキョドるんだよこいつ。まだ謎が多いわ。
「――じゃあ神原はクラス対抗リレーね! 響は? このままだとふつーにリレーだよ」
「えっおれ借り物競走とかがいいー!」
 やばいやばい、お喋りに興じていたら穴埋めみたいにして競技に回されてしまうところだった。おれは慌てて席を立つ。
 黒板まで歩く道すがら、試しに手を限界まで開いてみた。当たり前だけど真砂のとは全然違って、せっかくなら並べて見比べてみればよかったな……と思う。
 ……おれ、真砂みたいにいっぱい手開かないけどさ。本を片手で開くのに握力使ってるから指の筋肉は割とある方だと思ってるよ。マジでマジで。

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