羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「あの……悪い、八代が何か変なこと言っただろ。別にまともに相手しなくて大丈夫だからな……?」
 高槻はもしかしておれのことを小学生女児か何かだと思っているんじゃないだろうかと感じることがある。気を遣ってもらっているところ悪いのだが、職業柄そういう話題を毛嫌いはしていないし自分が特別疎いとも思っていない。普通程度には話せると自分では認識している。わざわざ公言するようなことではないから黙っているだけだ。あまり直接的な表現は、品が無くて苦手だけれど。
「どうしておまえが謝るんだよ。あ、このソルダムといちじくのタルトをください」
「かしこまりました。いや、監督不行き届きかと思って……」
「ふふ。おまえ、あいつのお兄さんみたいだね」
「あ? あー、そうだな、一応俺の方が誕生日早い」
 そういえば高槻、やけに年下の扱いに慣れているんだよなあ。こいつのご家族の話はあまり聞いたことがないが、年下に縁があるのかもしれない。それなりに長い付き合いの中で聞いたことがないのだから、多少なり「話したくない」という意識があるのだろう。そう思ってこちらから話題にすることはしなかった。最近は少しずつ、話してくれるようになった……と思う。
 高槻が、ケーキケースからタルトを取り出してカウンターの中の作業台に置いた。おれも立ち上がる。「なあ、高槻。切るところを見ていてもいいだろうか」「ん? いいけど……別に特別なことはしねえぞ」いいんだよ。おまえが毎日、そっと大事に繰り返しているそれが見たい。
 タルト生地の端の波線状になった部分にケーキカット用のナイフを当てる、いかにも繊細そうな手つきはうつくしかった。花びらのように中心から広がるフルーツを少しずつ、押しつぶさないように小刻みに切っていく。タルト部分に到達すると、そこからは逆にナイフを押し付けるように切るのがいいようだ。注意深く観察していれば、力加減もナイフを入れる角度も全て、数多くの経験とそれに裏打ちされた勘から導き出されているのだろうということが分かる。ザク、とナイフがタルトの下の台に到達する音が聞こえて、さっきまでホールの一部だったタルトは真っ白な皿の上に移される。
 ホイップクリームをタルトにつかないように皿に飾るのは、クリームをタルトにつけるもつけないも自由にしてほしいという高槻の気遣いだ。淡い色のソースが添えられて、一皿が完成する。
「お待たせしました。……なあ、見てて面白かったのか?」
「ありがとう。面白かったよ、とても。何度でも見たいくらいすてきだ」
「大袈裟だな」
「おれ、料理をしているところを見るのが好きなんだ。キャベツの千切りとか延々見ていられる」
 ええ……みたいな顔をされてしまったので、そんな空気を払拭するように「いただきます」と言ってフォークを手に取る。果物のみずみずしさとタルト生地のサクサクとした感触だけで既に楽しい。ソルダムはかなり果汁が多い果物で本来タルトには向かないはずなのだが、けっしてタルト生地はサクサク感を失わず咀嚼したときの食感の違いが明確に分かる。まさにプロの業だ。ソルダムといちじくとの味の相性もお互い邪魔をしすぎずいい感じで、おそらくほんの少しクリームチーズの混ざったカスタードも思わずため息が出るくらい素晴らしいお味だった。
「――今日もおいしいね」
 素直な感想を口にすると、高槻は眉を下げて笑った。「ありがとう」と小さく言って。
 デザートがおいしいと嬉しい。おれは気分の高揚に任せて、高槻をカウンター席へと誘った。素直に応じてくれるのも嬉しい。一体何年かかったんだという感じだけれど。
「そういえば、この間は奥と一緒に飲んだんだろう? 少し質問責めしすぎた、って言っていたよ。反省していたようだから許してやってくれないか」
「ん? 別に許すも何も怒ってねえって。まあ、途中よく分かんねえこと言ってたけど……お前、あいつに何かされそうになったときもし嫌だったらちゃんと嫌って言っていいんだからな……?」
「心配性だなあ。だいじょうぶだよ、見ての通り体力はあるからね。ほんとうに嫌なら抵抗すればいいのだし」
「そっか。それもそうだな、お前の方が力あるもんな」
「ふふ。……八代は非力だろう? やっぱり気を遣うものなのか? そういうとき」
 高槻は驚いたような顔をした。うん? おれがこういう話をするのは珍しいか。もし嫌がるようなら話題を変えよう、と思っていると、こちらが口を開くよりも先に返答がくる。
「気を遣うっつーか、んー、大切にしたい……から、無理強いしちまってないかとか嫌がられてないかとかは常に考えながらやってる。気を遣ってるっつー意識はあんま無いかも」
 こいつのこういうところ、対人関係で花丸だよなあ。なかなか言えないぞ、『気を遣っている意識は無い』って。それなのにこんなに人に優しくできるのだから、育ちのよさがよく分かるというものだ。
「八代がおまえのすることを嫌がるとは思えないけれどね」
「いや、俺にはいまいち想像できねえけど……きっと怖いだろ、自分より力の強い奴が乗っかってくるって」
「それは確かに想像しにくい……まあ、そうだろうね」
「いざというときに抵抗しても敵わないのはすごく怖いだろうから、少しでも安心できるようにするためなら俺の全部で優しくしたい……と、思う。なんだろうな、好きでいてもらう努力を怠りたくない、みたいな感じか」
「……おまえ、ほんとうに『いい』よなあ。同じ男として嫉妬してしまう」
「何言ってんだよ。お前の方が……、……」
 なんだよ、言いかけてやめるなよ。見目麗しくて努力のできる優しい人間が大好きなんだよ、おれは。八代にはぜひこいつの優しさに溺れることなく生きてほしいと思う。
 それにしても……ふむ。いざというときに抵抗しても敵わないのは怖い、か。確かにそうだ。奥ももしかすると、おれからの下剋上……下剋上? みたいなものを怖く思うことはあるのだろうか。気になるなあ。
「高槻、高槻」
「ん?」
「ちょっとこれから試してみることの感想を聞きたいんだが、協力してくれるだろうか」
 両手を顔の横くらいに挙げてくれ、と頼んでみると、素直にそうしてくれた。手首をそっと掴む。首を傾げられる。そのまま、体を壁に向かって押す。ぺたり、とそいつの背中が壁に密着する。座った状態で、上半身だけ壁にくっついたような恰好である。まだ無抵抗だ。
「……何してんだ?」
「うん? 今おまえ、きっと動けないと思うのだけれど。どうだろう、はたして怖いだろうか」
「えっ」
 ぐ、とそいつの体に力がこもるのが分かった。やっぱり強いな。けれど、まあ、この体勢まで持っていったらほぼ無理だ。脇が締まっている状態で壁に押し付けたから、ただでさえ力が入りにくいだろうし。
 というか、どうしてぎりぎりまで無抵抗なんだよ。おれの方が逆に怖い。
「うわっ、うわ、マジで動かせねえ」
「想像できたか?」
「……想像っつーか実感できた。これマジで怖い……お前が涼しい顔してんのが一番怖えよ……」
「どういう意味だそれは」
「いや、言っとくけど俺だって平均より大分腕力あるんだぞ。なんでミリも動かねえんだよ……まあ、お前自身が怖いわけじゃねえから恐怖は軽減されてるけど」
「む。人選ミスだったか。言っておくけれど、おまえだっておれに対して同じことができると思うよ。こういうのは単純な腕力というよりもどういう体勢で押さえ込むかとか、コツみたいなものに大きく左右されるからね」
「そういうもんなのか」
「うん。八代くらい非力だともうどうやっても無理」
「どうやっても無理……」
「残酷なことだね」
 たぶん高槻が寝返りをうつのも難しいくらいに疲労しているとかじゃないと八代が無理やりマウントをとるのは不可能だろうし、そんな状況でマウントをとるのは人としてどうかと思う。つまり、八代は諦めるが吉。
 高槻を解放してやると、「え、何も跡になってねえ……なんでなんだ……」とぶつぶつ言っている。跡になるようなことをするわけないだろう、まったく。
「それにしても、力ずくで人をどうこうするのはいい気分ではないな。やっておいてなんだけれど。すまないね」
「いや別に……どうこうしようって気が一切感じられなかったから謝らなくていいっつの」
 もしかして、おれではなく奥が受け入れる側だったとしたら奥は毎回うっすらとでも怖い思いをすることになったのだろうか。それとも、おれだから大丈夫、だなんて思ってくれたりするだろうか。答えは出ない。
「結論としては、お互い、恋人は大事にしよう……といったところだね」
「そうだな」
「ところでスーツは着てあげないのか?」
「ど、どいつもこいつも……」
 あいつそんなにスーツ見たがってんのかよ、と再度ぶつぶつ言っている高槻。どうやらお父上にあまりにも外見が似てしまうから避けている、らしいけれど、おれも正直言ってかなり見たい。
「そんなに嫌か」
「スーツも嫌だけどスーツ着るってなると親父の借りなきゃならなくなりそうなのがちょっと……なあ、見せびらかすためだけにスーツ買うのちょっと嫌じゃねえ?」
「え、それなら八代に支払ってもらえばいいだろうに。きっとそのくらいのプレゼントはしてくれるさ。おれが八代の立場だったら迷わず出すよ」
「……例えば?」
「そうだなあ。奥にもこもこした着ぐるみみたいなパジャマとか着てほしい。かわいらしいと思う」
 言い終わる前に高槻がむせた。おや、珍しい。想像でもしたんだろうか。肩が震えている。どうしよう……ほんとうにプレゼントしてしまおうかな……奥が今パジャマ代わりにしている中学のときのジャージもすてきだけれど。
 しばらく高槻が復活しそうにないので、おれは最近発売された著作の印税の使い道を一部夢想する。それはとても楽しい想像で、なんなら八代にもこの「着せたいものはプレゼントしてしまう」案を推してみてもいいかな、と思ったりした。
 だって、ほら、高槻はなんだかんだ言って、八代の頼みは最終的に叶えてあげてしまう甘くて優しい男だからね。ちょうどこのタルトみたいに。

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