羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「たーかーなーりーさん! ね、つまみにチーズ買っていこ。キューブのちょっと高いやつ」
「いいな。ついでにビール買い足して……あ、DVDとか借りて帰るか? まだぎりぎり店開いてるかも」
 居酒屋を出た後の帰り道。なんだかやけに潤の機嫌がよくて、俺まで嬉しくなってしまった。きゃっきゃとはしゃいでいる潤は、「孝成さんは何観たいの?」と俺の周りをちょろちょろ歩いている。この辺りは会社の近くとは違って人通りが少ないから、こういうことをしていても邪魔にはならない。思う存分はしゃいでいてもらおう。もちろん、危なくない程度に。
 閉店間際のレンタルビデオショップで適当なDVDを選んで、そのままスーパーに駆け込んでつまみとビールを買って、二人一緒に歩いて帰った。夜はほんの少しだけ肌寒いが、潤のすぐ傍を歩く口実にもなるから悪くない。
 それにしても今日の矢野は大概様子がおかしかったが大丈夫だろうか……と改めて思う。あいつ、割と周りを気遣いすぎて疲れてるタイプだからな……。昔からそうなのだ。まだあいつが営業にいた頃の若手で集まった飲み会とか、終わってからやけにぐったりしているから理由を聞いたら『いや、オレの隣と前に座ってる人が明らかお互いにいい感情持ってなさそうだったから……間に入るの気疲れしただけ……』みたいなことを言われて驚いたことがある。俺には全然分からなかったんだよな。分からなければのんきに笑っていられるけど、矢野は気付いてしまうからそれを無視できないのだろう。
 ああ、でも。俺にだって分かることはある。あいつは西園寺と一緒のとき、かなりリラックスしている感じだ。いい意味で気を遣っていないというか、要するに楽そうだってこと。あの二人の接点はまったくもって謎だが、そういう相手がいるのはいいことだと思う。
「孝成さん、あのね、昔の孝成さんのこと聞いてもいい?」
「どうした? 別にいいけど別に俺の人生はそんな波乱万丈でもないぞ」
 潤に出会ってからの数年の方が、それまでの二十何年よりも起伏に満ちていると思う。そう言ってみると潤はなんだか恥ずかしそうにした。そして、「孝成さんが新入社員の頃の話とか聞きたいな」と控えめに呟いた。
「別に普通だぜ。夏の外回り暑いなーとかな。打ち合わせが眠いとか。これは今もだけど」
「その頃はあんまり残業無かったんだ?」
「新卒一年目で残業あるとこってかなりまずい会社じゃねえか……? ああでも、飲み会はたくさんあったから帰りは遅かったな。ほら、今日会った……矢野がまだ営業にいた頃の話。新人同士とか、若手で親睦深めるとか、何かと理由つけて飲んでた」
「やっぱり矢野さんと仲よしなんだね」
「おう。社員番号が前後だったんだよ。ほら、安来、矢野、だろ。俺は色々と大雑把だったから、そういうとこ矢野がフォローしてくれて何度も助けられたっつーか……まあ、これも今もだな」
 潤が、「なんで矢野さんは営業さんじゃなくなっちゃったんだろう」と独り言みたいに声を落とす。それなあ。俺も気になってた。『向いてねえわ』っつってたけど、それで異動できるなんて簡単なことじゃねえだろうし。同期のみんなで一応引き止めてはみたんだよ、当時。まだ俺らは入社して高々一年二年のぺーぺーだったから、異動どころか矢野がクビになってしまいやしないかとひやひやしてた。でも、そうだ、矢野は確かこんな風なことを言っていた気がする。
『まあ、クビになったらそんときは仕方ないだろ。他探すわ』
『オレにとって何がしんどいのかはオレにしか分からないし、オレのことを一番大切にできるのはどうせオレだし。オレの人生に他人が責任持ってくれるわけじゃねえしな』
『嫁子供がいたらもうちょい頑張ってたかもだけどー。なんつって』
 ……あの頃は、何も聞けなかった。いつか話してくれる日が来たりするだろうか? 思えば、あいつは常に何かと相談に乗る側で、自分のことはあまり話さない奴だった。そして、どんなに小さな悩みでも、本人が真剣に悩んでいるなら茶化さず聞いてくれる奴だった。
「……まあ、西園寺には色々話すのかもな、あいつも。なあ潤、西園寺とさ、友達になったんだろ? 遊びに行ったりできるといいな」
「えっ孝成さん距離の縮め方すっごいね……? んー、でも、そうだね。はるくんは別に冗談で言ったわけじゃないと思うから、仲良くしてくれるんじゃないかなあ」
「そうかそうか。よかった」
 潤に友達が増えるのは喜ばしいことだ。強いて言うなら俺の会社繋がりっつーのが微妙なとこだが……いずれ潤だけの知り合いや友達もできればいいなと思う。
 缶ビールのプルタブを人差し指で引っ掛けて、炭酸の抜けるプシュッという音に気分を上げる。居酒屋で飲むジョッキビールも悪くないけど、缶ビールもなかなかだよな。この音、飲んでるって感じするし。そんなことを考えつつチーズとビーフジャーキーを机に並べていると、潤がぴたっとこちらに体を寄せてくる。ん? どうした?
「孝成さんはさー……おれがはるくんと仲良くしててもへいき?」
「え? 平気ってどういう意味だ? 別に俺に害が加わるわけじゃないぞ」
「んん……ほら、嫉妬とか」
「あー」
 なるほど。そこは意識してなかった。だって。
「潤が好きなのは俺だろ?」
 ちょっとドヤ顔で言ってしまったというのに潤にきょとんとされてこっちが驚いた。いや、そこは「そうだよ」って即答してくれよ。恥ずかしくなるだろ。
「ご、ごめん。ちょっとびっくりしちゃった……おれの一番はもちろん孝成さんだよ」
「ほらやっぱり。俺の一番もお前なんだから、それでいいじゃねえか」
 俺はお前のことを一番好きな自信があるし、お前に一番好かれてる自信もあるぞ。それに、これからも一番でい続けられるように頑張れる自信もある。ぽっと出の奴にどうこう思うほど自分のこと過小評価してねえよ。
 潤を手招きして抱き締めてやると、恥ずかしそうに抱き締め返してくれる。あー、いいな。何年経ってもこの感触は幸せな気持ちになるし、手放したくないと思う。
「孝成さんはかっこいいね」
「初めて会った日は思いっきり『ぶさいく』って言われた気するけど」
「もー、いつまで根に持ってんの? 別に顔のつくりのことじゃねーから……いや、えーと、孝成さんの顔のつくりもちゃんと好きだよ? でも今言ってるのはもっとこう、心がかっこいいって話。この話何度もしてるよね?」
「お、おう……めちゃくちゃフォローしてくるじゃねえか。ありがとな」
 俺は心意気がイケメンだろ? いや、まあ実際、そこまで酷い顔じゃねえのは分かってるって。勿論モデルとかそういう系統じゃねえのは確かだけどさ。俺はあれだよ、年寄りウケがいいタイプ。髪短いし、声大きくてはきはき喋れる方だと思うし、いわゆるスポーツマンのイメージだな。部活は射撃部だけど。吹奏楽部より楽な運動部で有名だったけど。
「おれは、孝成さんのぜんぶがまとめて大好きなの。分かってる?」
「なんだよ、このままうぬぼれてていいってことか?」
「そーいうこと!」
 顔をあげた潤はにこっと笑って、「孝成さーんーは、おれーの、いっちばーんだーかーら」と謎の即興メロディに乗せて随分と可愛い歌を歌い始める。あーくそ、可愛いなほんとに。
「俺のいーちばんーもー、潤だーから」
「ふは、全然ハモれてねえし」
「うるっせ」
 即興でハモるのは相当音楽のできる奴じゃないと無理じゃねえか? 今はこれで勘弁してくれよ。
 二人一緒に音階も何もかもめちゃくちゃな歌を歌って、喉が渇いたらビールを飲んで、借りてきたDVDは流しっぱなしのそっちのけでひたすら笑い合った。しあわせだ、と思う。何もかも。
「はー、こんな幸せでいいのかなぁ」
「いいんだよ。お前はまだいくらでも幸せになれるって」
「……ありがと、孝成さん」
 ちゅ、と触れた唇はビーフジャーキーのせいで少ししょっぱかったけど、たまには健康に悪そうな味のキスも悪くない。
 今日も明日も、何度でも、俺はこの唇に触れるのだから。

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