羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ふっと意識が浮上する。心なしかほんの少しベッドが狭いような気がして、そんなわけないかとすぐその考えを打ち消した。
「遼夜、起きて」
 気持ちよさそうにすやすや寝ている恋人を起こしてしまうのはなんだか忍びなかったが、遼夜はあんまり長いこと寝てると起きた後で自己嫌悪に苛まれるタイプだからこの辺りで起こしてやんねえと。俺としては別に、夜更かしした次の日昼くらいまで布団の中にいるっつーのも悪くない休日だと思うけど。
「んんー……おく? おはよう……」
「おはよ。もう八時だぜ、そろそろ起きるだろ?」
 まだ覚醒しきっていないらしい遼夜が口の中でむにゃむにゃと「うん……」だか「むう……」だか言っているのを可愛いなと思いつつ起き上がる。遼夜のことも背中を支えて抱き起こしてやると、そいつはようやく唸るのをやめた。
「顔を洗ってきます……」
「おー。いってらっしゃい」
 遼夜は洗面所へ。俺はキッチンの水道で顔を洗った。水が出りゃどこでも一緒だよな。軽く口もすすいで、朝飯の準備をする。遼夜がいるからちょっとしっかりめに作ろう。わかめと豆腐の味噌汁に、焼き魚は無理だったから玉子焼きと厚切りのハム。微妙な和洋折衷はご愛嬌だ。
「寝ている間に身だしなみが勝手に整えられていたらいいのになあ……」
「勝手に?」
「着替えとか髪の毛のセットとか、こう……ベルトコンベアみたいな感じですごい機械がやってくれる……」
「なるほど。料理も勝手に出てきてほしいし食った後は片付けられてほしい」
「『そしてある日、出勤直前と思しき男がきっちりとしたスーツ姿のまま自宅で死体となって発見された。後から分かったことだが、死亡推定時刻は氏が睡眠のため布団に入った直後と思しき深夜十二時ごろ、死因は急性心不全だったという』――」
「あー、そんなSF確かにあったな……?」
「む。二番煎じだったか」
 なんて夢物語を二人で考えつつ朝食を終える。今日の夜は八代たちと飲む約束をしているのだ。一体どんな用事があったのか一週間くらい札幌に出張していた八代が、『毎日毎日観光地食で胃がキツいよー! そろそろ家庭料理が食べたい! んで久々に一緒に酒飲も!』と雑すぎる誘いをかけてきたのである。っつーか胃がきついなら休ませてやれよ。酒もやめろ。休肝日にしろ。
 まあ、そうは言っても結局はまた例のごとく高槻が色々とおさんどんをしてくれることになると思うので、せめて美味い酒くらいは俺たちで用意することにしよう。
「奥。ねえ奥、こっちへおいで」
 歯を磨いて一足先に座椅子に座っていた遼夜に呼ばれてそちらへ行く。隣に座ると黙って首を横に振られた。これは違うらしい。なんなんだ。
 最終的に遼夜の脚の間に座らされて、何やら楽しそうに俺の頭を撫で回しているそいつに呆れつつとりあえず音楽でもかけておいた。遼夜はたまーに奇行を始めるから、今日もその一環だろう。
「遼夜……なにこれ」
「うん? おまえのつむじはかわいいね」
「うわあ……お前今日はまた本格的に謎だな」
「だって、もう普通にしているときにおまえのつむじを見る機会もなくなってしまったし。高校のときくらいのサイズ感が懐かしい」
「成長した俺は嫌い?」
「まさか。すきだよ」
 でも奥に身長抜かされてしまうのはちょっと予想外だった、と遼夜は言った。ふうん。まあ今となっては俺らの中じゃこいつが一番背低いからな。
 そう、俺の身長は八代よりも更に遅れてやってきた成長期によって冗談みたいな伸びを見せ、あれよあれよと言う間に遼夜よりも十センチほど高くなってしまったのだ。自分でも予想外である。
 遼夜だって身長百七十後半はあるから、けっして平均からすると低身長じゃないのに。
 元々それなりの身長な上に姿勢がいいから、遼夜は直立状態だとぱっと見百八十近くあるように見える。そのせいか高校のときよくつるんでた四人で集まるとかなり威圧感のある集団になってしまうというか、悪目立ちするというか。そこは少しだけネックだ。待ち合わせのときは見つけやすくていいけど。
「でもまあ、背が高くなったからって特に何が変わったっつーのは無いな……?」
「そうなのか? 高いところとか、作業しやすいのではないかな」
「んー、俺一人ならそうなんだけどさ。そうじゃなくて、別に俺の身長が伸びたからってお前に何かしてやれることが増えるわけじゃねえなっつー話」
 軽く首を傾げる遼夜は大層可愛かった。説明を求められたので、俺は自説を披露してみる。
「例えば高いところにある物お前が取りたいとするだろ」
「うん」
「お前の身長で背伸びしても届かないような場所は俺でも無理じゃね? ってこと」
「ああ、確かにおれくらいの身長になるとそもそも届かない場所はあまり多くない気がするね」
「だろ? 遼夜がこう……百六十センチくらいだったらいくらでも役に立っただろうけど」
「そういうことは女性にして差し上げるといい」
「妬いた?」
「ふふ、なんでだよ。親切なひとは好ましく思うよ?」
 そうだな、遼夜は誰にでも親切だもんな。いや、ちょっと待て。本題はここではない。かなり悔しい事実だから敢えて話題を避けてしまったけれど、本当に言いたかったのは高いところに手が届くとかそういうのじゃないのだ。
「遼夜、ちょっと立って」
 素直に立ち上がった遼夜をベッドの横に誘導する。俺が先にベッドに腰掛けて、「遼夜も座って」と自分の太腿の上をぺしっと叩いた。
「もう諦めなよ、奥……」
「くっ……成長したらこのくらい軽々できると思ってたのに……!」
 そう、俺は遼夜を軽々抱き上げるのが高校のときからの夢だったのだ。具体的に言うとヤった後でまだぽやっとしている遼夜を風呂場まで運べるようになりたかった。一体何が足りないんだ。筋肉か? やっぱそれか?
 遼夜の体はなんというか、密度がある。みっちり中身が詰まってるなという感じの体をしている。いつだったか八代が、『オレも津軽くらいまで太れたらなー』と軽い調子で言ったとき、遼夜はこう言い返した。
『おれの体脂肪率は長らく一桁をキープしているので肥満体みたいに言われるのは心外です』
 真顔だったし息継ぎ無しだった。丁寧語が逆に怖かった。八代はというと『ご、ごめん……言葉選びを間違えました……』と全面的に非を認めていた。珍しい光景だったのでよく覚えている。
「でも身長は俺の方があるし体重だってなんだかんだ五キロくらいしか変わらない気がすんだけどな……あ、そうだ。遼夜ごめん、もっかい立って」
 何度でも付き合ってくれる遼夜の優しさはどこから溢れてくるんだろう、と思いつつ遼夜に背中を向けた。「おんぶならできる」「それできて嬉しいのか? おまえ……」達成感はあるだろ。足元がよたよたしたがそこはなんとか耐えた。やはり抱き上げるよりもこちらの方が安定する。が。
 ……うーん、こうじゃないんだよな。情緒が無い……。
 背中に遼夜の胸が当たってこれはこれでという感じだが、やっぱり顔が見たい。なかなか上手くいかないものである。
「やっぱ筋トレして遼夜くらい筋肉つけるしかねえか」
「ええー、いやだよそんなの。かわいくない」
 ええーってお前。そんないかにも嫌ですみたいな声をあげて嫌がるなよ……。ハメ撮りさせて、って俺が言ったときですらそんなあからさまに嫌そうな声出さなかったくせに……。
 遼夜は何が面白いのか、俺の頭を撫でくり回してにこにこしている。
「だいじょうぶ、おまえがピンチになったらおれが抱えて走ってあげるよ」
「確かにお前だったらできそうだな……」
「人には適材適所というものがあるのだし。ふふ、おまえは華奢で可憐な恋人がお望みだったかな?」
「バッカ、お前はお前のままがいいに決まってんだろ」
「ありがとう。おれも同じ気持ちだということだよ」
 ちゅ、と唇にキスされる。そうだ、背が高くなってよかったこと。キスしてくるときの遼夜がちょっとだけ上目遣いになる。それを見るのが楽しい。可愛いな、と思う。
 遼夜はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、「おまえは大きくなってもかわいいね」と言ってふわりと笑った。

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