羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「清水はさー、もし今日俺が来なかったら帰るまで何してた?」
「んー……ぼうっとしたり、宿題したり? あと、窓から運動部見てみたり」
「……暇じゃね?」
「あはは、俺あんまり一人が苦にならないんだよねぇ。ひなたぼっこでいくらでも時間潰せるし」
 でも由良がきてくれてよかったなぁ、とそいつはまたゆったりした口調で言った。俺なりに注意深く観察してみて、本当に嬉しそうな表情に見えたので胸のすく思いだ。
「由良こそ居残りの当番のときは何してるの?」
「映画一本観たら下校時刻になってる」
「えっスマホで? 通信量大丈夫……?」
「俺の元々そーいうのに特化してるプランだから余裕」
 スマホを取り出して、最近観たやつだとこれが面白かった、とか、今はこれが気になってる、とか、そんなことをとりとめもなく話す。
 こいつと二人でいるときって、どうしても俺の方が多く喋りがち。まあ清水は元々、基本的に聞き役が多いんだけど……。俺と大牙は喋る方、清水と茅ヶ崎と万里は聞く方が多い。っつっても俺は聞き役だって超上手いからな。最高の合いの手を入れてやれると自負してる。だからお前もどんどん喋っていいぜ――と、言ったことはまだない。
 だってなんか、俺が促して喋らせるのは違うだろ。こいつが俺に、聞いてほしいって思ってくんねえと。
 気になってる映画によく行く店の新商品、ネットで見かけて欲しくなった服。俺は割となんでもかんでも喋るけど、その中で何かこいつにも引っかかる話題があればいいなと思う。こいつが自分から何か言ってくるときって大体俺の反応とか意見とか聞くときな気がするから余計にな。
 ふと時計を見ると既に一時間以上が経っていて、委員会を終えた奴らとか文化部の奴らとかがちらほら教室に戻ってきてそして帰っていく。二人きりだった空間がゆるやかにほどけていって、俺たちはほんの少しだけ近づきすぎた距離を離した。
「由良といると居残り当番もあっという間」
「退屈しなかっただろ?」
「退屈しないっていうか……とっても、楽しいよ」
 楽しい、って言ってもらえるのが嬉しい。ほら、俺、なんだかんだ人を楽しませるのが好きなタチだし? それが好きな奴なら尚更イイ。
 ガラにもなくほくほくとした気持ちでジュースにまた口をつける。居残り当番が書くことになっている日誌の存在を清水が遅れに遅れて思い出したので、その後の時間は二人でわいわい言いながら日誌を書いた。清水の字は柔らかい。特別綺麗とかじゃないけど、いいな、と思う。
 外を見るともう薄暗くなっていた。
 もうすぐ日が沈むだろう。
 それにしても途中で感じたもやもやした気持ちは一体なんだったんだ……と思っていると、にわかにグラウンドの脇辺りが騒がしくなる。どうやら最後まで部活をしていた運動部の奴らが帰ってくるようだ。
「あっ清水ー! 当番代わってくれてありがと、今度埋め合わせするから!」
 ガラッ、と後ろの扉が開いて、汗でどろっどろになった奴らがぞろぞろ入ってくる。見てるだけで暑い奴らだ。清水はのほほんとした笑顔で「部活おつかれさま」と言葉を返している。
「あれ、由良だー。この時間まで残ってんの珍しいね」
「あん? まあたまにはなー。っつーかお前ら近くにいると暑い、むしろ熱い!」
「努力の証と言って! まあ暑いのはマジだけどー……あ、ジュース飲んでんじゃん」
 清水それひとくちちょうだい、とそいつは軽い調子で言った。分かる。マジの軽口だ。冗談の延長。俺じゃなくて清水に言ったのは、りんごよりぶどうが好きだったのか、はたまた清水なら断らないと思ったからなのか――。
 いや、そんなことはどうでもよくて。
 軽口だとすぐさま分かるくらいの声音だったのに、俺はその「お願い」にイラッときた。ムカついた。そうやって気安く、この当番も清水に代わってもらったのだろうか。
 俺が何か言えた筋合いもねーけどさ。
 ちょっとだけ眉間に皺が寄ったかもしれないけど、きっと誰にも見られていなかったはず。だって清水の視線は目の前のそいつに向いてて、そいつの視線は清水に向いてて、他の奴らは着替えてた。
 だから、清水が同じように軽い口調で「これはだーめ。だいじなものだから」と言ってその「お願い」を断ったのにびっくりしてしまった。
 俺が思わずぎこちない動きで首を動かしている横で、そいつらはゆるーくかるーく会話を続けている。
「まじでぇー! ごめんね取ろうとしちゃって」
「いいよぉ。これねえ由良が買ってくれたの。いいでしょ」
「いいなあ。それは独り占めすべきだわ」
「わーいありがとう」
 おい今どんな流れで礼を言うことになったんだよ? 謎すぎる。
 結局俺はかなり珍しいことに、運動部の団体ほにゃらら名様が着替えて「ばいばーい!」と教室から出ていくまで、清水の日誌の続きを見守ることしかできなかった。完全に声を出すタイミングを見失ったのだ。
「書きおわったー。ごめんね由良、待った?」
「待っ……ては、ねーよ。なあ、さっきの」
「え?」
「さっき、ジュースやるの断ってた」
「ああ、当たり前じゃん。由良が俺にくれたものだからね」
 お前あんなはっきり断ったりとかできたの? ほぼ初めて見たかもなんだけど?
 なんだか無性に嬉しくなってしまって、それと同時にもやもやの理由も分かる。自分で言うのもなんだけど、かーなりガキで恥ずかしい理由だった。
「……お前さ、今日の俺機嫌悪いとか思ってただろ」
「んんん……ちょっと、だけ? どうしたの、理由教えてくれる気になったの」
「うん」
 すっかり暗くなった窓の外、古いスピーカーからはさっさと帰れの合図の音楽が流れている。もう少ししたら、風紀の見回りがやってくるだろう。
「お前さ、なんでもかんでも人のワガママ聞きすぎ」
「え?」
「そーいうのは特別な相手だけにしとけ! 妬けるから!」
 ああもう、最後の最後で茶化してしまった。ここらへんは俺の悪い癖。ごめん。
 ちょっぴりセンチメンタルな気分の俺である。まあこんな俺も魅力的ってことで……と気分をどうにかアゲていると、清水が珍しくよく通る声で笑った。
「おい、何笑ってんだ」
「ん? ふふ、ごめんね。でも由良が可愛かったから」
 ああん? 俺はどっちかと言わなくてもカッコイイだろ。そう抗議するよりも早く、清水は次の言葉を俺の心臓に差し込んでくる。
「俺、確かに色々安請け合いしがちかもだけど……それでも、人のわがまま聞いてて嬉しいのは、由良だけだよ」
 ――あ、くそ。悔しい。黙ってしまった。黙らされた、俺としたことが!
 あまりにもしてやられた感が凄かったので、ぐりぐりとそいつの肩口に頭を押し付ける。「髪の毛のセット崩れちゃうよ?」「るっせ。責任取ってお前が直せ」「頑張ってみるけど、俺にできるかなぁ」無理だよ、なんて言わない清水。俺の言うことを二つ返事で聞いてしまう。すげーバカ。すげー好き。
「んんん……これでどう?」
「……ギリ合格」
「やった」
 素直に喜ぶなよ。好き勝手しやがって、とかたまには言え。
 ……やっぱ嘘。
 俺のことだけ甘やかしといて。そうだなー……これから学校出て、お前と帰り道で別れるまで。

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