羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 うちの兄貴は家出ひとつまともにできないらしい。まあ、親がいなくても兄貴がいてくれた俺とは違って、兄貴は色々と難しいんだと思う。色々。
 兄貴は不器用なくせに、いや、不器用だからこそ力の抜き方がヘタクソ。そんなもん適当でいいだろってことでもきっちりやろうとしてくたくたに疲れるとかいう難儀なことをしている。まあ俺のためなんだろうけど……。俺のせいで潰れてもらっちゃかなり困るし不本意なので、適度に息抜きしてほしいと思ってる。それを自然に促すのは、さすがの俺といえど難しい。
 せっかく男二人で買い物に来たので、ここぞとばかりに米だの牛乳だの油だの重いものをたくさん買い込んだ。どうやら今日はグラタンを作るらしく、普段あまり作りたがらない面倒なメニューを選ぶくらいには機嫌がよさそうだ、と判断。具は鶏肉とコーンがいい、とねだっておく。家事放棄も育児放棄もできない兄貴は、それでも笑って缶詰のコーンをカゴに入れる。
 もし俺の方が先に生まれてたらどうなってたかな、って思うことはたまにある。
 俺は割と器用だし、要領もいいはずだ。でもこれが生まれつきのものかはちょっと分からない。俺も兄として産まれていたら物事を適当にこなすことを不安に思うようになっていたかもしれないし、兄貴だって弟という立場なら家事で切羽詰まることも無かったかもしれない。
「……兄貴はさ」
「ん?」
「上にきょうだい欲しいって思ったことねーの?」
「えー、兄とか姉とか? そういや考えたこと無かったわ。何、お前はあんの? 妹欲しかった?」
「いや全然。末っ子最高」
「お前……」
 呆れたような顔をされてしまった。そうなんだよ、俺、末っ子最高だと思ってんだよな……少なくとも兄貴がいてくれたのは最高にラッキーだと思ってる。あの家で一人っ子とか絶対グレるだろ。
 でもそれを考えると兄貴は小学校に上がるくらいまでまさにあの家で一人っ子をやっていたわけで、尚更元気を出してほしい……という感じ。
「俺は、なんだかんだ弟でよかったって思ってるから……お前はどうかな、と思って」
 兄貴は鶏肉のパックのグラム表記を眺めつつ、「んん……兄でよかったかどうかは分かんねーわ、正直」と呟く。もしかして雲行きが怪しいか? と思ったがそうではなかった。
「でも、お前の兄貴やれてよかったなとは思ってるよ」
「……俺があまりにも素晴らしい弟だから?」
「お前どんだけ自分に自信あんの!? あー、ざっくり言うとそーいうことかも……?」
 ヤバイ、同意されてしまった。そこは冗談として流してくんねーと俺が自信過剰みたいになっちまうだろ。
「昔は……それこそ小学生とか中学生とかその辺りは、なんで俺ばっかり、って思うこともあったけど」
「あ、やっぱそうなんだ」
「そりゃそうだろ。お前の授業参観とかは俺が行ってたからまだよかっただろうけど俺の学校行事に誰かが来てくれたことねーんだぞ」
「やめろよ……それは普通にめちゃくちゃ可哀想な話だろ……」
「流石に三者面談とかは来てたんだろうけど、覚えてねーし。周りの奴らが遊んでる横でなんで俺は保育園の迎えに走らなきゃなんねーんだって思うこともあった」
 こういう話を兄貴から聞くのは初めて……かも、しれない。予想通りというか、予想以上に灰色の青春だった。うーん、俺も保育園の頃は能天気に保育園児だったからな……。なんだか申し訳なくなってしまって、けれど今更それを言っても過去はどうにもならないことはよく分かっていて、何も言えない。
 なのに兄貴は笑ってて、笑顔のままでなんでもない風に言う。
「まあ、仮にもう一度やり直せるってなったとしてもきっと同じことすると思うけど」
「同じこと?」
「毎日走ってお前のこと迎えに行って、飯作って、掃除して、新学期は一緒に雑巾準備して。遠足の弁当も作るし、授業参観はちゃんと観に行くよ。……家出したら、捜しに行くし」
 しんどいこともあったけど、やらない方が余計に寂しいと思う、とそいつは静かな声を出す。……きっと、何度やり直せたとしても同じようにしてくれるのだろう、と思わせる声だった。
 兄貴は最後にマカロニをカゴに突っ込んで、「よし。買い忘れ無いよな? 帰るぞ」と俺の返事も聞かずに歩き出してしまう。
 こいつ、さては恥ずかしかっただろ?
「兄貴、ポテチ買っていこうぜ」
「……仕方ねーなぁもう、ほら、さっさと持ってこい」
「はーい」
 ちゃんと二人分持って、兄貴の待つ場所へと戻る。会計を済ませて、袋詰めは俺の方が上手いから俺がやる。袋を二人で分けて、帰り道を一緒に歩く。あと何回、こうやって一緒に歩くことがあるだろう。
 もしこいつが、家出したくなるような何かが万一起こったとして。
 ちゃんと探しに行きたいなと思う。こいつが今まで、俺にそうしてくれていたように。
「俺もさー……」
「ん?」
「……、やっぱなんでもねーわ」
「んっだよはっきりしねーな」
 呆れたような顔をされたけど、言い返さないでおく。
 ……俺も、お前の弟でよかったって思うよ。

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