羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 きっと俺の運命はあの日、大きく変わったのだ。
 朝倉にはまだ言っていないが、実は一年以上前からずっと見てきたと知られたら気持ち悪がられてしまうだろうか。
 きっかけはなんだったかと言われたら、一目惚れのようなものだと答えるほかないのだろうと思う。あれはそう、授業中に教材のDVDを観たときのことだ。音楽の授業で流されたそれはミュージカルで、家族愛とかそういう使い古されたテーマの物語。しかし古い名作ということもあって、エンディングが流れる頃にはじんわりと感動していたのだが。
 ふと隣に視線をやると、朝倉が泣いていた。
 もう本当に驚いた。だって、朝倉拓海といったらお世辞なんか抜きで男前だと言える外見をしていたし、女に大層モテる奴だ。染髪にピアスという外見からも、こういうことで泣くようなタイプには全然見えない。でも、そいつは確かに涙を溜めていた。テレビの丁度対角線上、一番後ろの角の席に座るそいつの涙にはきっと俺しか気付いていなかったはずだ。そいつはエンディングを最後のスタッフロールまでまできっちり観て、そっと涙をぬぐった。次の瞬間には、いつもの男前と持て囃される表情に戻っていた。
 それに、とても、ぐっときた。
 それから俺があいつへの想いを自覚するまでそう時間はいらなかった。それまでは、朝倉のことを派手で煩くて不真面目そうな奴だと思っていたのだ。周囲に女子をはべらせているのも俺にとっては近寄りがたかった。だから、あの音楽の授業でのことはあいつの意外な一面を盗み見してしまったようで罪悪感を持っていた。それくらいインパクトがあった。不意打ちで見た涙が忘れられずに目で追うようになっていた。

 朝倉は感情がすぐ表に出る。楽しいときは本当に笑顔が眩しいくらいで、不機嫌なときは一目で分かる。でも理由を聞かれたらきちんと答えていて、むやみに周りまで不機嫌を伝染させない。関係ないだろ、なんて間違っても言わない。きっと、理由を聞いてきた時点であいつにとっては関係ないなんてことはなくなったということなのだろう。そして、機嫌の悪さを指摘されたらそのときは、驚いたような表情を浮かべて「ごめん」と謝る。気を遣わせてごめん、と謝ることができる。
 確かに見た目は不真面目そうで周りには女子が沢山いたけれど、漠然と抱いていたイメージよりも適当ではないし、軽薄でもないなと思った。寧ろこれまで見た目で判断していた自分が恥ずかしいくらいだった。男女問わず周りにたくさんの人がいて、慕われているのにはやはり理由があったのだ。
 朝倉は真っ直ぐで優しい奴。それに気付いたときには、既に好きになっていた。
 女子は可愛い、だから好き、と公言する朝倉に気持ち悪がられるのが嫌で、自分の想いを伝える勇気なんてなく必死で隠した。幸い、元々の接点のなさと生来あまり表情が変わらない方なのとで取り繕うのはそこまで難しいことではなかった。それでも、時折頬が緩みそうになるのを意識的に抑える必要はあったのだが。
 実は、あいつが無表情な俺に僅かに困っているのを見るのが結構楽しかったのだ。今こいつは、俺のせいで表情を変えてるんだなあと思えたから。朝倉は、言葉少なで何を考えているか分からないタイプは少しだけ苦手。顔に全部書いてある。俺にとっては残念なことだったが、性格はそう簡単に変えられないし、変えても不自然だろう。好きなのが一発でバレそうだ。
 だから、あの日朝倉に誤解を受けたのは僥倖だった。あれは実は、フラれたのではなく告白を断ったからひっぱたかれたのだ。
 そもそも朝倉が好きなのに他の奴と付き合うわけがない。叩かれたのは、告白されたときちょっと断り方を間違えたというか、「他に好きな子がいるの? 私より可愛い子?」と言われて咄嗟に「うん、まあ」と答えてしまったのだ。馬鹿正直すぎる。フォローしたくて「えーと、ほら、化粧してない方が好きなだけで」と言ってみたら、「は!? 何!? 化粧してるくせに私の方がブスって言いたいの!?」と余計に怒られてしまった。いや……これは、俺が悪いな。本当に。
 この部分に関しては誤解を受けっぱなしは嫌なので、朝倉には思いが通じた後にきちんと説明しておいた。そしたら朝倉はやけに恥ずかしがって、勝手に勘違いして嫌なこと言ってごめん、なんて謝ってきた。かわいい。
 それにしても、最初に比べて随分と俺に対する態度が柔らかくなったと思う。初めてまともに喋ったあのときなど、俺が朝倉に言われた台詞はこうだ。「あーあ、ダッセェな。女怒らせてフラれてんのかよ」「俺がダメ出ししてやろうか? ま、お前の女の扱いなんざダメだらけだろうけど」
 客観的に聞くと酷い言いぐさだが、そんな風に言われて頭にくるどころか俺は内心大喜びだった。そもそも俺のあいつに対する態度も好きな人にするとは思えないような酷いものであったし、あいつが横暴で粗野な口調に似合わずとても優しい奴だということは一年の観察期間を経てきちんと知っていたから。
 このチャンスを逃したら俺は一生後悔する。
 そう考え、朝倉の冗談にもならない冗談に全力で乗っかった。ちょっとだけなら、と言われたとき、そのちょっとでも誰より傍にいられるなら最高じゃないかと思った。
 まあ、あわよくばその間にどうにか俺に好印象を持ってほしいとも思っていたのだが。
 きっとあいつは、あのとき俺がどれだけ嬉しかったか想像もできないだろう。
 どれだけ好きで、ずっと見てきて、欲しかったか。
 絶対に自分から離すつもりはない。というか、離れたいなんて言われたらみっともなく縋ってしまう気がする。そのくらい盲目。

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