羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「あれ、行祓くんってお弁当なの? 手作り?」
 昼休みになったと同時に教室を移動してお弁当を広げていると、斜め前の席の女の子に話しかけられた。その子は前の授業の教室がここだったらしい。そうだよ、わあすごい、なんて無難な会話をこなす。お弁当を作るのはおれの日常だったけど、こうして感心されるとなんだかくすぐったくなってしまう。
 その女の子は一年のときに英語のクラスが同じだった子で、今は必修授業のクラスが分かれてしまったし選択授業もあまり被っていないので喋る機会が少ない。今度一緒にごはん食べに行こうよ、という社交辞令を真に受けていいのか迷いつつ曖昧な笑顔を浮かべていると、コツコツ、と机を叩く音がした。
 おれと女の子はほぼ同時にそちらに視線を向けて、各々驚きを隠せない。だって、だって。
「ここ、座ってもいい?」
 そう女の子に話しかけているのが、おれのルームメイトだったから。
 大学の机は二人分ずつ席が用意してある長机で、まゆみちゃんが指したのは女の子の左隣の席。学部が違うから普段大学では滅多に会わないし、たとえ選択授業が被っていてもまゆみちゃんはもっと目立つ人たちのグループにいる。一体何がどうしてこんなとこに。
 話しかけられた女の子も、「えっ、えっ……ここでよければ、あの、どうぞ、ぜひ」とたどたどしい言葉を返している。分かるよ、急にこんなきらきらした人に話しかけられるとびっくりするよね。
 まゆみちゃんは、ふっと目元を緩めて「ありがとう」と笑った。女の子がぽうっとまゆみちゃんを見つめている。なんか、瞳の中に小さくハートが見える気がする。あ、一目惚れとかされるのってこういう人種なんだ……そっかあ……。
 女の子と喋っているまゆみちゃんは普段家にいるときとは別人みたいで、いつだったか『外にいるときは家の百倍くらい喋らなきゃなんねえから疲れる』とかなんとか言っていたのを思い出す。やがて女の子がランチの約束をしていたらしい友人の出迎えを受けて名残惜しそうに去っていくまで、まゆみちゃんの愛想のよさは崩れなかった。
 きゃあきゃあとはしゃぎながらまゆみちゃんに手を振って扉の向こうに消えた女子グループを見届ける。おれ、途中からすごく空気と一体化してたなぁ。そんなことを思っていると、前の席からそこそこ大きなため息が聞こえてきた。
「……まゆみちゃん?」
「…………、……悪い……」
 あれっ、いつもの口数少ない物静かなまゆみちゃんに戻ってる。「何やってんだ俺……」って言ってる。え、なになに、どうしたの?
「お腹痛い?」
「いや違う……はー、マジでどうかしてる……」
「……? あ、まゆみちゃんって学校だとこんな感じなんだねぇ。ちょっとびっくり」
 まゆみちゃんは小さな声で「そっち行っていい?」と尋ねてくる。すぐに頷くと、のろのろ隣の席に移動してきた。おれに対しては特に愛想を振りまくでもなく普通だ。寧ろなんだか落ち込んでる感じがする。
「ほんとに大丈夫?」
「ん……なあ、さっき何話してたんだ」
「え?」
 ああ、さっきの女の子? お弁当の話とかしてただけだよ。あと、お昼ごはんご一緒しましょうとか。
「……行く?」
「えっ何が? ごはん? 社交辞令でしょ、こういうの」
 そっか、まゆみちゃんみたいな人って誘われるときは全然社交辞令とかじゃなく常に本気のやつだろうから違いが分からないのか……贅沢者め……。
「別にお弁当作りさぼったりしないから大丈夫だよ?」
「はあ……? どういう思考回路を経たらその結論になるんだよ」
 いややっぱいい、深く考えるな、と言われてこちらとしては首を傾げるしかない。どうしたんだろう、今日のまゆみちゃんはいつもに増して愉快だ。
「そういえばまゆみちゃんお昼まだでしょ? 食べないの?」
「……察せよ。俺の弁当の中身お前のと一緒なんだぞ、ばれたらどうすんだ」
「そ、そうだった……待っててね、急ぐよ」
「ばか、慌てて食うなって」
 まあ誰も気にしてないか……と言いつつお弁当を取り出して広げるまゆみちゃん。「今日はね、玉子焼きにチーズと海苔入れてあるんだよ。我ながら割とおいしくできてると思う」おれがそう声をかけたからか、まゆみちゃんは「いただきます」と言って真っ先に玉子焼きに箸を伸ばしてくれる。そういうところ、ほんとに優しいね。
「……ん、うまい」
「よかった! チーズ、あったかい方がおいしいかなぁとも思ったんだけどつい入れちゃった」
「冷めてもうまいよ」
 きれいな箸遣いで食事をしているまゆみちゃんを横目に、おれはなんとなくほっとした気持ちになる。さっきの、大人っぽい笑顔の愛想よしなまゆみちゃんも文句なしにかっこいいけど、おれは今みたいなまゆみちゃんの方がいいな。
「……何笑ってんだ?」
「んーん、なんでもない」
 首傾げてるの、なんだかかわいいね。あんなに朗らかに喋ってるまゆみちゃんとか、ちょっと意外な一面を見てしまった。おれにだったら素を見せてくれるんだなって、自惚れてみてもいい?
 そんなことを考えつつおれも玉子焼きを口に運ぶ。うん、おいしい。
 偶然まゆみちゃんとお昼をご一緒できちゃったりして、今日はラッキーだったなぁ。

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