羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 学校に通っていた頃は夏休み中に誕生日が過ぎていたもんだから、社会人になって突然大勢の同期に祝われるという経験をして若干驚いた。焼肉屋で飯を奢ってもらって、なるほど誕生日をこういう風に過ごすのか……と微妙な相容れなさを感じてしまったのは懐かしい。まあきっと、新入社員同士親交を深めようって時期でちょうどよかったのだろう。
 今年は誕生日が週のど真ん中で、同期の奴らは週末にまた何やら祝ってくれることになっているらしい。有難い話だ。
 さて、では誕生日当日の俺はというと久々の定時退社をキメていた。急ぎの業務も無かったのでやるべきことをさくっと終わらせて四十秒で支度して会社を出る。携帯で連絡するのは勿論恋人だ。三コール目で、『奥? ずいぶんと早かったね』という声が聞こえた。
「久々に定時。今から帰るから」
『ふふ、急ぐと危ないからゆっくり帰っておいで』
 そんな急いた口調だっただろうかと自分でも笑ってしまう。遼夜の声音も、気のせいでなければいつもより弾んでいて嬉しくなった。こいつは祝い事が好きなのだ。本当に、いつも自分のことのようににこにこしながら祝ってくれる。可愛いな、と思う。
 俺の誕生日は大体、遼夜と家族と、あとはごく一部の親しい奴らが時期をずらして『おめでとう』と言ってくれたり。そんな感じ。
 通話を切って足早に進んだ。
 あー、家までの三十分が遠い。早く遼夜に会いたい。

 玄関前に到着して、いつもなら鞄から鍵を取り出すところだが今日はインターホンを鳴らす。カチャリ、と鍵のあく音。数秒ののち、待ちに待った姿が見えた。柔らかい笑顔を浮かべた遼夜が俺を出迎えてくれる。
「おかえり、奥。お誕生日おめでとう」
「ただいま。ありがとな、待たせて悪かった」
「待っている間も楽しかったよ」
 一旦扉を閉めて、目の前にある体を抱き締める。和服の肌触りがさらさらしている。温かい。
 あーマジで最高だ、遼夜がいる。
 ちょっと前、誕生日プレゼントについて希望を伝えたら、『そんなことでいいのか? ほんとうに?』と照れ笑いされたのでその時点でもう誕生日最高って気分だったんだけど、やっぱり当日、実際にこうして会うことになってみると更にイイ。
「奥、ほら、買い物に行くんだろう?」
「んー……」
 くすくすと控えめに笑い声を漏らしている遼夜。名残を惜しみつつ離れて、再度玄関の扉を開けた。夕飯の材料を買いに行くのだ。のんびりしてると夕飯の時間がどんどん遅くなる。
 並んで歩き、徒歩五分くらいのスーパーへと赴く。遼夜はいつも通り和装なので、これがまた、周りの景色からめちゃくちゃ浮く。ちょっと価格帯の高い土地とかなら馴染むんだけど、若い奴でごった返すような場所とかいかにもな住宅街ですよって場所とかは不向き。遼夜自身は、もう普段着だと思ってある程度割り切っているらしい。注目されるの嫌いなくせにな。服選ぶの苦手なんだよこいつ。
 勿論体を動かすときとか服を汚しそうな行き先のときとかはラフな恰好もするけど、これは……正直、あまり似合ってはいないなと思う。見慣れてないからだろうか。そもそも、ジャージでだらだらしてるのが想像つかない。遼夜は、たとえ休日で外出の予定が一切無かったとしても、きっちり着替えていつでも出かけられるような状態で過ごしている。俺は下手すると一日中ジャージで過ごすことすらあるので生活態度の違いに驚くばかりだ。
 落ち着いた色の和装に蛍光オレンジの買い物カゴが引くほど似合わなかったので、カゴは俺が奪い取ってさくさく進む。今日はひやむぎと天ぷらだ。栄養バランス? 知らん。俺が食いたくて俺が作るんだからいいんだよ。遼夜は俺の隣で応援する係な。俺だけだったら鶏肉買って終わりでもいいんだけど、今日は遼夜がいるから海老とかぼちゃとみょうがも買おう。飲み物も一緒に。勿論ノンアルコールで。
 レジでは遼夜が「せめてこのくらいはさせてくれ」と言ってくれたので有難く任せることにして、二人でレジ袋を一つずつ持って家に帰る。まだ日は沈みきっていない。影が長く伸びている。
「奥、ほんとうにこれだけでいいのか?」
「何が? 海老、もっと沢山欲しかったか?」
「いやそうではなくて……誕生日だろう」
「誕生日だからだよ。別にそんな、盛大なパーティーとかじゃなくてもお前がいれば特別になるから」
「……そんな殺し文句、一体どこで練習したんだ?」
「練習も何も、遼夜にしか言わねえよ」
 ちょっと俯いて、着物の袖で口元を隠して、「……ごめんね、照れ隠ししてしまった」とほんのり耳を赤くするそいつ。さ、最高すぎる……。こういう、和服を着てるときしかできない仕草っつーのがいくつかあって、俺はそれが好きなのだ。もっと恥ずかしがってくれてもいいぜ、可愛いから。
 ここが家だったら、キスのひとつでもしたいところだが。鋼の理性で耐えることにして再び家に到着だ。「手洗いうがいをしようね」「うわっそのフレーズ小学生ぶりくらいに聞いた……」石鹸で手を洗ってうがいもして、料理のための準備は万端。
「奥はやっぱり、大抵のことは一人でできるんだね」
「まあ一人暮らしだからな……油跳ねると危ないからちょっと離れとけよ」
「うん。でも、隣で見ているよ」
 油が跳ねない範囲で隣にいて。
 俺の料理の腕は、まあ普通に食えるって程度。滅多に失敗しないけど、そりゃ得意な奴がやった方が美味く作るよな……という感じだ。遼夜はにこにこ食べてくれるので、有難いし嬉しいなと思う。今日も遼夜は、完成した料理に綺麗に手を合わせて天ぷらを一口食べると、しあわせそうに「おいしいよ、奥」と笑ってくれた。
「んっ……みょうが美味いな。俺一人のときだと食うことねえから新鮮」
「奥は基本的に肉食だよね。和食が好きだと言うわりには」
「肉も魚も好き。動物性たんぱく質が必要なんだよ。野菜ばっか食ってるといざというとき困る」
「いざというとき?」
「怒りのパワーが必要なとき」
「……、ええと、あまり相手を追い詰めないようにね」
 とかなんとか。いや別に俺そこまで好戦的じゃねえだろ? 基本的には人畜無害を自称させてほしい。説得力が無いのは分かってるけど。
 その後も和やかに食事は進んだ。いやそれにしても、今年の誕生日プレゼント、物は試しで言ってみてよかった。
 俺が頼んだのは二つ。
 合鍵渡すから家で待ってて。ただいま、って言うから、おかえり、って言って。
 平日だけど可能なら泊まってほしい。それで次の日の朝、いってきます、って言うから、いってらっしゃい、って言って。
 その二つだ。そしたら、まさかの一緒にお買い物というプランもおまけでついてきた。恋人と同棲中というシチュエーションを存分に再現してもらえて大満足である。最初に思いついたときは俺天才か? と自画自賛してしまった。
 遼夜は『言ってくれればいつでもするのに』と恥ずかしそうだったけど、際限なくなっちまうからな。
 ひやむぎの喉越しのよさも今の季節にはぴったりで、天ぷらの重さを感じることなく食事を終えることができる。あとは寝る準備をして遼夜といちゃいちゃするか……なんて思っていたところに、「ねえ、奥」と肩をつつかれた。
「ん? どうした?」
「奥に見てほしいものがあるんだ」
 きっと喜ぶと思うよ、と遼夜が野菜室から取り出したのは――箱? 真っ白い箱だ。ああ、なるほど。ぴんときた。
 遼夜が期待に満ちた瞳で「開けて」と訴えかけてくるのでなんとなく気恥ずかしさを感じつつも箱をそっと開けると、予想通りホールケーキが……?
「………………なあ」
「ふふ、きれいだねえ」
「え、これ高槻のとこの店で買った?」
「御明察。八代がお金を出して高槻が作った。二人とも、『おめでとう』って言っていたよ」
「またあいつは無駄な器用さ発揮してんな!? なんだこれ……」
 子供の両てのひらほどの大きさのホールケーキには、クリームやらフルーツやら飴細工やらで鮮やかに模様が描いてあった。驚くことに、これ、遼夜の処女作の表紙……ハードカバー版……。
「せっかくなら奥の好きなアニメキャラの顔とかにしようかなあと思ったのだけれど八代に『やめろ』って言われたから……あと、あの、おれの誕生日の分も一緒に祝う、って。ちょっと恥ずかしいね」
「うわっ高槻の横から口だけ出してる八代の図がすげえ思い浮かぶ……」
 定番のチョコプレートには『ともひさくんりょうやくんおたんじょうびおめでとう』と書いてあった。この幼稚園児な文面考えたのもどうせ八代だろ、どうせ。書いたのは高槻だろうけど。
 いやしかし、これはかなり嬉しい。写真を撮っておこう。角度を変えて三枚くらい。花がメインのデザインだったからある程度再現しやすかったんだろうけど、めちゃくちゃ手間かかってるよなこれ?
「三ヶ月くらい練習していたみたいだよ、あいつ」
「えっただのいい奴かよ? あーだからお前の誕生日も一緒にだったのか」
「いやまあ、おれは普通にケーキを作ってもらうつもりでいたのだけれど……八代が色々無茶振りし始めて最終的にこんなことに」
「脳内再生余裕すぎ……っつーか包丁入れるの勿体ねえなこれ」
 やんややんや言いながら、なるべく模様を崩さないように切り分ける。元々が小さなホールだったので問題なく食べきれそうだ。二人で分けると、店によくあるホールケーキの一切れよりちょっと大きい、くらい。厚みもフルーツの分を除けばそこまででもなく、ちょうどいい量である。
「普通に味も美味いのなんなんだ……」
 うーむ、多才が過ぎる。俺よりも遼夜の方が甘い物は好きなので、本当にしあわせそうにフォークを口へと運ぶ遼夜が見られたのも俺的にポイントが高い。
「こうやって、誕生日を祝ってくれるひとが周りにいるのはしあわせなことだね」
「そうだな。大事にしねえと」
 しみじみとケーキを味わう。俺、なんだかんだ周りの奴に恵まれてるな……。いい誕生日だった。
 遼夜は柔らかく笑っていたかと思えばはっとこちらを向いて、「奥、まだ終わりじゃないよ。明日はちゃんと見送るからね」と念を押してくる。は? なんでそんな可愛いの? ありがとう。台無しなこと言うけど明日有休取っておけばよかった。いってらっしゃいって見送られたその足で即帰宅して遼夜と一日のんびり過ごせばよかった。
 まあ楽しいことは名残惜しいくらいがちょうどいいから……と自分を納得させて一息つく。
 ひとまず、これからベッドに入るまでの数時間を思い切り楽しむことにしよう。そう決意して遼夜の頬にそっとキスをした。
 ……流石に、ここの風呂に二人で入るのは無理だけどな。

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