羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「先輩。おれ、チョコ欲しいです」
「は? なんで」
「もうすぐバレンタインだから、先輩くれないかなって思って」
 小首を傾げて、年下ということを最大限に活かした甘ったれな視線を先輩に向ける。と、物凄く嫌そうな顔をされてしまった。
 今週末はバレンタインデーだ。バレンタインといったらチョコレート。おれは、どうにかして先輩からのチョコレートをゲットするべく画策していた。チョコレート自体はそこまで飛びつくほど好きというわけでもないが、先輩がくれるものなら話は別だ。ぜひとも欲しい。
 しかし、先輩へのお願いの感触はどうにも悪かった。
「あれは女が買うもんだろ」
「そんなことないよ、おれも先輩にあげますから」
「いや、別にいらねえ。っつーかそんな女みてえなことしたくねえし」
 つれないなあ先輩は。どうにもこの人は、自分が女性的な役割を担わされていることに薄々感づいているらしい。最近特に、そのことに対して拒否反応を示すようになってしまった。女役を押し付けているつもりはないのだが、おれが先輩を抱きたいと思っているのは事実なので世の中うまくいかない。一度だけ、おれが下ならどうだろう? と想像してみたこともあったけれど五秒で諦めた。先輩がかわいすぎるから無理。
「まあ、強制はしたくないから……先輩がどうしても嫌なら仕方ないね」
「嫌味な野郎だなお前。絶対に絶対に嫌だ」
「じゃあおれがチョコ贈るのはいい?」
「……それなら、別に」
 いいけど、と語尾を小さくさせながら言う先輩。ああ、照れてる。先輩はどんなチョコが好きですか、なんて、その日はなんとも甘い話題に終始して先輩と長い間喋ることができた。チョコレートだけでなく普通の料理やアクセサリーの好みまで聞き出すことができて、おれとしては大収穫だ。
 それに。もしかしてもしかすると、先輩もチョコレートを用意してくれるかもしれない。素直になれないだけで当日は恥ずかしがりながらチョコレートをくれるかも。もはやここまでくると妄想にも近い願望だけれど、せっかくの恋人がいるバレンタイン。少しくらい期待したってばちは当たらないと信じたい。
 ああ、当日がくるのが怖い。でも、やっぱり楽しみだ。





 そして迎えたバレンタイン当日。午前授業が終わった放課後の帰り道、周りに人がいないのを確認してチョコレートを渡すと、先輩は「マジで持ってきたのかよ」なんて言った。
「そりゃあ持ってきますよ。おれ、イベントはきちっと乗っかって楽しみたいタイプなんで」
「……なあ、これかなり高そうなんだけど。お前、そんな俺に金使う必要ねえからな?」
 淡い茶色の箱に白いリボンでラッピングされたチョコレートは、デパ地下で売っていた専門店のものだ。味見してみたら美味しくて、先輩にも食べてほしいな、と思って買ってきた。周りは女性ばかりで流石におれも少し臆したけれど、先輩がチョコレートを頬張っているところを想像して気合を入れた。
 先輩が心配しているほど高いものでもない。バレンタインだなんだと理由をつけてはみたものの、結局は、おれが美味しいと思ったものを先輩も共有してくれたらいいな、とそれだけの話なのだろう。だから気にせず食べてほしいと思う。そして、先輩もこれを美味しいと思ってくれたらおれはそれだけでとても嬉しいのだ。
 説明するのは恥ずかしいから、ついはぐらかしてしまうけれど。
「おれが買いたくて買ったんだから、先輩が美味しく食べてくれるのが一番嬉しいよ」
「いや、でも……」
「……嬉しくなかった?」
「ちがっ、……そういうわけじゃねえ、けど……」
 なんでここまで気にするのだろうか。専門店のチョコレートではあるが箱自体は先輩の手のひらに乗るくらいのサイズだし、赤裸々に値段を言ってしまうと千円ちょっとしかしない。四粒しか入っていないのでそれを考えると割高ではあるかもしれないが。もしかして、とにかく量が沢山あった方がよかったかな?
 先輩の様子にだんだん不安になってくる。隣を歩く先輩を見てみると、箱をまじまじと見て目元と耳をほんのり赤く染めて、おそらく嫌がってはいない。伏し目がちなのが目元の赤との相乗効果で大層エロい。けれど、そんな中にもなんというか……複雑そうな表情が見えるような気がする。
 どうしたのだろう。
 何かあるならなんでも言ってほしい。それは、おれの我儘だろうか。
 だって先輩は何か言いたげな表情をしているのだ。ここは下手に話しかけず根気強く待つのがいいだろうか。そんなことを思っているうちに先輩の家に着いてしまった。先輩の家に遊びにくるのももう慣れたもので、お邪魔します、と胸中では悶々としながら先輩の後に続く。
 先輩は部屋に入るなり黙って鞄をベッドの横に置いた。ずっと手に持っていたチョコレートをもう一度見て、そっと机の上に乗せる。その仕草があまりにも優しくておれは嬉しくなった。大事に扱ってくれることに優越感を覚えてしまう。
「……なあ、飲み物何がいい」
「え? いや、お気遣いなく」
「何がいい」
「じゃ、じゃあお茶かお水を……」
「分かった」
 やっぱり先輩がおかしい。いつもなら自分の家なのにもかかわらずおれにコーラを持ってこさせるのに。なんだかそわそわしてしまって、意味もなく先輩の部屋の中をうろつく。先輩の匂いがして余計に落ち着けない。
 おまけに、冷蔵庫と部屋を往復するだけのはずなのに帰ってくるのがやけに遅い。いい加減迎えに行くべきかと半ば本気で思った辺りで、ようやく先輩は帰ってきた。両手が塞がっているのか足で無理矢理扉をこじ開けてくる。
「ちょ、先輩おれ持ちますよ」
「ばっ……待て、来るな。そこにいろ」
「え、はい」
 先輩の命令には従順なおれ。まあ、惚れてますから。
 先輩はおれに背を向けるように部屋に入ってくる。おとなしく先輩のアクションを待っていると、ぎっ、と背中越しに睨まれた。顔が少し赤い。手元は見えない。まだ、見えない。
 ねえ。先輩、もしかしてこれ、期待していいやつだったりする?

「っ……あー、と、……やる」
「……! 先輩、」
 ぐいっ、と顔に押し付けるように渡されたものはとてもひんやりしていた。いや、ひんやり、なんてもんじゃない。冷たい。頬が濡れて、慌てて今しがた貰った物体を確認してみると。
「……チョコアイスだ……」
 四角い容器に木でできた小さいスプーン。そして、ベルギーチョコ味、と書かれたパッケージ。先輩は気まずそうに、ぼそぼそと喋り出す。
「昨日、コンビニだったら俺でも買えると思ったんだ。……でも、チョコレート売り場がなんかいかにもバレンタインですみたいな感じになってて……しかも同じ学校の制服着た女がその売場にいて……」
 ただでさえ小さな声量だったのに最後には蚊の鳴くような声になった先輩は、「ごめん」と言って俯いてしまう。
「なんで謝るの?」
「だ、だってお前はこんな、ちゃんとしたやつ……俺の、二百円もしねえのに」
 つまりそれは、あれか。おれへのバレンタインのチョコレートを買おうとチャレンジしたけど恥ずかしくて、代わりに買ったアイスではつり合いがとれていないと思って気にしてくれていたのか。え、夢? おれの願望が見せた都合のいい世界とかじゃないよね?
「先輩……ありがとう、嬉しい……」
「……気ィ使うなよ。コンビニでいつでも買えるやつだぞ……」
「拗ねないでよ。おれ、先輩がくれたものだから嬉しいんだってば。別に、コンビニだからとかアイスだからとかで嬉しさが左右されるわけじゃないし。それに、おれ実はチョコよりアイスの方が好きです」
 そう言うと先輩の表情が途端にぱっと明るくなるものだから、思わずやにさがった顔になってしまう。
 拝んで飾っておきたいくらい嬉しかったが、こうしている間にも先輩がおれのために選んでくれておれのために買ってくれておれのためにここまで持ってきてくれたアイスは融けていっているだろう。ここは、早く食べねばならない。
「先輩、これ今食べていい?」
「ん。そのつもりで持ってきたんだよ。俺もお前がくれたやつ食う」
「やった」
 並んで座って、おれは今、きっと人生で一番美味しいアイスを食べている。なんだこれ、最高のバレンタインじゃないか。
「まさか貰えるとは思ってなかった」
「んだよ……別に俺だって、嫌がらせでチョコやらねえっつったわけじゃねえよ」
「うん、分かってますよ。恥ずかしかったんだよね?」
「っうるせえな! 分かってんなら言うなよ!」
「あはは。先輩が恥ずかしいの我慢してくれたの嬉しい」
 不良っぽい外見で怖がられがちな先輩がどんな顔をしてコンビニに向かったのかと思うとそれだけで温かい気持ちになる。いや、不良っぽいっていうか、先輩は世間一般の基準からすると不良だろうけど。髪染めてるし制服は着崩してるし。でも、おれの前ではこんな風にかわいいところを沢山見せてくれるのだから役得だ。
「ホワイトデー期待しててくださいね」
「は? え、今贈り合ったからそれで終わりじゃねえの?」
「いや、おれが勝手にやりたいだけです。お返しとかそういうのあんま関係なく」
「お前な……それ言われると俺だってまた来月お前に何かやらねえとだろ……」
 言って、先輩は自分の発言がかなり恥ずかしいものであることに気付いたのか慌てたように手元にあったチョコレートを一粒口に放り込む。咀嚼して、喉仏が上下するのをついじっと見つめてしまった。先輩は気付いていないようだ。チョコレートの甘さを存分味わったのか、独り言みたいに「うわっうめえわこれ」なんて言っている。
「美味しいですか? よかった」
「おう。やっぱ高いからうまいのかな」
「あー……どうなんだろ」
 でもおれが食べてるアイスも先輩に貰って一緒に食べてるからいつもの百倍美味しい、と内心思う。すると先輩がぽつりと「……お前と一緒だからかな」と呟いて、そのことにとてつもない感動を覚えた。
 うん、好きなひとのために選ぶから、好きな人と一緒だから美味しいんだろうな。
 先輩に「おれもそう思います」と返すと、聞こえてた! バレた! みたいな顔をするのがかわいくてまた笑顔になる。
 あー、先輩のお陰で今日も幸せだ。
 この勢いでキスくらいなら許されないだろうか。チョコレート味でいい感じだと思うんだけど。そんなことを考えていると、意を決したような顔の先輩が口を開いた。
「なあ。俺。最初は『そんな女みてえなこと』っつったけど」
 その声量は、さっきまでと比べて随分としっかりしていた。
「お前ならすげー喜んでくれるんだろうなって思ったら、まあ、悪くねえなって……女の真似事でも、お前は笑わねえだろうから」
「……うん。だっておれは女の子みたいなことする先輩なら好きとかじゃなくて、先輩が先輩だから好きなんだしね」
 どうやら好きだ好きだと言い続けてきたことがここにきて効果を上げているらしい。ついでに、邪念にまみれたおれと違ってとても純粋な瞳でこちらを見つめてくる先輩がかなり眩しかった。
 不意打ちでキスできるかなとか考えててすみませんでした。ホワイトデーには本気で狙っていくんでそのつもりでよろしくお願いします。
 おれは先輩に聞こえるはずのない宣言を心に秘め、最後にもう一度だけ「先輩、アイスありがとう。とても嬉しかったですよ」と言った。
 そのアイスうまいだろ、と得意気に笑った先輩は、正直アイスよりも美味しそうだった。なんて、これもやっぱり心の中だけにとどめておこう。

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