羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 自己申告の通り、春継は共同生活をするなかでオレの教えた家事をすぐに吸収した。やったことが無いとは言っていたがそれは正しく『機会が無かった』というだけで、やろうと思えばそつなくこなせるというのが証明されたかたちだ。
 何でもかんでも歌いながらやろうとするのには若干疲れるが……。こいつ、右脳が発達してるのかもな。絵も上手いし。
 しかし春継は、初めてオレがこいつの絵を見た日以来この家で絵を描くことはなくなった。もしかすると職場で描いているのかもしれないし、オレが気付いていないだけで日中隠れて描いているのかもしれないし、根本的に描くのを休んでいるのかもしれない。何にせよ、残念だ。
「そういえば、冬眞くんはどんなお仕事をしているんだ?」
「んー? オレ法務部にいんの。会社の権利関係とか、契約の管理したりとか、ざっくり言っちゃうとそーいう感じ」
「じゃあ法律の勉強しなきゃいけないんだなあ。大変そうだ」
「オレは一応法学部出身ってだけだけど。別にローにも行ってないしな」
「ろー……」
「ロースクール。あー、法科大学院?」
「なるほど」
 在学中は知財――知的財産絡みに興味があって勉強してた。まあ弁護士になりたいってほど熱量も無かったし、自分の性的嗜好を隠しているという罪悪感で親元からさっさと離れてしまいたいと思っていたから普通に就職したんだけど。
 結果的に営業は向いてなくて――というか、接待で女ばっかいる店に行くのが耐えられなくてギブアップ。なんかさー、オレこんな適当な性格だからか色々割り切れて慣れてそうに見えるらしくて、そういうのが好きな取引先に当たっちゃったんだよね。うちの会社自体はめちゃくちゃいい会社なんだけど。現に、オレが仲良くしてる同期の営業とかは未だにそういうの一切無いらしいし。羨ましい限りだ。
 合コンまでなら適当に耐えられるけど流石に色々無理が生じたので素直に上司に相談した。会社の方もその取引先には色々と思うところがあったみたいで、すんなり要望通ったっていうわけ。担当換えだけで済ませなかったのは会社の優しさかな? 有難い。
「アンタの仕事についても聞いていいの?」
「え、ああ……えっと、…………絵を、描いたり」
「やっぱ絵描く仕事してんだ! そうだよなー、めちゃくちゃ上手かったもん。また家でも描いてよ。あ、別にタダで寄越せとかそういうんじゃなくて……気が向いたら、くらいのアレで」
 春継は気まずそうに、「おれの専門はグラフィックデザインだよ」と笑う。マジか、パソコン使って色々するやつ? ますますすげえよ。
「冬眞くんは絵が好きなのか?」
「や、どーだろ? 別にそんな熱心に見るってわけじゃねえけど……でも、アンタの描いた絵は好きだな。なーんか、実物よりも生き生きしてて」
 水遣りをサボってしまった植物でも絵の中でなら瑞々しくなるしなんなら花も咲くのだ。すごいことだ。
 オレが絵について褒めると、何故だかこいつは嬉しそうなのと同時に気まずそうにする。理由は分からない。分からなくてもまあ、いいかな、と思ってる。今のところは。誰しも言いたくないことの一つや二つあるだろうから。
 言われなくても察せられることと言ったら、こいつはそこそこいいご身分の人間なのではないか――ということくらいだ。基本的な作法は驚くほどにきっちりしてる。食事時にはそれが如実に表れていた。
「……冬眞くんは、褒め上手だ」
「マジで? これまで生きてきて初めて言われたわ」
「自覚するべきだよ、素晴らしい長所だと思う」
 オレから言わせてもらえればこいつの方がよほど褒め上手なのだが。『素晴らしい』とか、大仰な言葉選びのわりに全然嫌味じゃないんだよな。
「……そろそろ飯食おっか」
 恥ずかしくなって無理やり話題を変えると素直に乗っかってきてくれたので、鍋で二人分のパスタを茹でる。ソースは出来合いのものだ。わざわざ自分で作るよりもこっちの方が美味い。企業努力というのは尊いものである。
「仕事で遅くなる日は電話をくれれば、おれがどうにか作ってみるよ」
「マジか。悪いけどそっちのがオレは楽でいいな、家帰ってきた瞬間に飯食いたい……」
 春継はなんというか、全体的に器用でそつがなかった。『料理しろなんて言わねえけど』なんて最初に伝えてはみたが、こいつ、普通にネットでレシピ検索して料理を試みるばかりかそれが結構美味い。『今は大体ネットで知識がつけられるから便利だけれど、だからこそ経験してみたいことが沢山ある』というのが春継の言だった。パソコンで仕事をしているから、IT関連のことには強いのだろう。
 ただ、自称『運動は全般無理』らしい。『小さい頃から部屋で絵ばかり描いていたような人間がそんな、運動できるようになると思うのか?』と自信満々に言われた。いや、ドヤ顔することじゃねえよな……。オレは割と運動好き。あんま激しいのは勘弁だけど。
 最初はどうなることやらと思っていたが、案外うまくいくもんだ。他人と同じ空間で生活しているというストレスも不思議と感じない。
 ああちなみに、汚してしまったこいつの着物はちゃんと専門のクリーニング店に持って行った。お店の人にはものすっ……ごく渋い顔をされてしまったが。いずれ綺麗になって戻ってくるのを願おう。
「冬眞くん、カルボナーラとミートソースどちらがいいかな?」
「んー……アンタは?」
「おれに先に選ばせてくれるなんて、心が広いね」
 じゃあカルボナーラがいいかなあ……と湯煎にかけていたソースを取り出して笑うそいつ。はー、顔が好み。特別イケメンとか男前ってわけじゃないんだけどなんでこんなにかっこよく見えるんだろ。
 春継は湯煎にかけた袋が思いの外熱かったことに慌てている様子だ。人の気も知らないでこいつは。
 理不尽な気持ちを抱えつつ、オレはそいつの手から袋をそっと摘み上げる。
「開けてやるから」
 そいつの表情がふわ、と綻ぶのを見て、その抗えない陽のパワーに悔しくなったりしたのだった。

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