羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 次にベンチで会ったとき、加賀は「レモンの匂いする草ってどれ」と真っ先に尋ねてきた。手入れされているのかも分からない小さな畑――いや、菜園か? そこから葉っぱを一枚摘んで縦に裂き、半分を加賀に渡す。
 小さな葉っぱを指先でつまんでいる加賀は、噂にある鬼神のような喧嘩をする奴とは到底思えない。そいつはすん、と鼻を葉っぱに近づけて、「レモンだ」と呟いた。
「だから言ったろ、レモンの匂いするって」
「ふうん。ただの葉っぱに見えるのにな」
 へんなの、と独り言のようにこぼすそいつ。加賀は時々言葉がすごく幼くなる。それが聞いていてちょっと楽しい。
「あ、そうだ。これ」
「ん?」
「この間一本貰ったからお返し。あーでも口に合わなかったらごめん。お前が吸ってるのより軽めだし、メンソだからすーっとするかも」
 加賀は俺を見て、「……やっぱ律儀。ありがとう」と言った。
 口に咥えて、火をつけて、吸い込む。たったそれだけの動作がやはり不思議とかっこいい。加賀はメンソの煙草を吸うのは初めてだったらしく「こんな味すんのか」と物珍しそうにしていたが、しばらく味わってから静かに「……こういうの結構好きだ」とだけ言った。
 雲の上、別世界の奴だと思っていた加賀の意外な面を立て続けに見てしまってなんだかどきどきした。新しい楽しみを見つけたときの興奮に似ている。嬉しくなる。
 煙草くれたし、お返しも受け取ってくれた。俺が見つけた「いいもの」を一緒に楽しんでくれた。適当に流したりしなかった。
 なあ、もしかして俺ら結構合うんじゃね?
 それからというもの、俺らはベンチに座って授業をサボりがてら話をするようになった。放課後もたまーに会う。話す内容自体は大体くっだらねえことばっかだけど、加賀と話題を共有していると思うと楽しかった。周囲から恐れられているそいつと思いがけず接点を持てたという優越感も、少し。加賀の噂とは違う一面を知っているのは俺だけなのだと思うとむずむずとした何かがこみあげてくる。
 加賀は時々怪我をしてくることがあった。そうは言ってもちょっとだけ拳が擦りむけているとかその程度だったけど、ワイシャツのボタンがちぎれていたりすることもあってやっぱり喧嘩はしてるんだな……と不思議な気分だ。俺は未だ、加賀が喧嘩をしているところに出くわしたことがない。
「加賀ってなんでわざと一人でいんの?」
「なんで、って」
「お前、ひっでえ噂ばっかりだけど実際は全然間違ってるし。誤解ばっかで嫌じゃねえ?」
「あー……一人の方が楽っちゃ楽なんだよ。俺の名前勝手に出して他校とモメた奴とか前いたから、そういうのかったるくてな。俺が誰ともつるまねえって周知されてれば変なことする奴も減るし」
「マジか。不良最強の座も楽じゃねえんだな」
「なんだそれ……そんなの名乗ったこと一度もねえのに……」
 まあ名乗る名乗らないの問題じゃなくて事実だろうし。
「あ、じゃあなんで加賀はそんな強えの? スポーツとかやってた? 天賦の才?」
「強いかどうかは分かんねえけど中学まで空手やってた」
「マジで! 一本背負いできる?」
「……言っとくけどコンクリートの上で一本背負いとかめちゃくちゃ危ないからな。やらねえぞ」
 なるほど。できることはできるのか。基礎ができてるから強い……と。
 どうやら加賀は入学初日に上級生からいちゃもんみたいな理由で絡まれて、本人曰く正当防衛でぼっこぼこにやり返したら相手がその学年のボス的存在だったらしくすさまじい速度で噂が広まってしまったらしい。「三対一だったから必死だったんだよあのときは」とぼやいていたけれど、元々一人が楽な性分だったのもあって放置してしまっているんだとか。
「なあ、因みにだけどどんな噂されてんだ俺」
「え、言っていいの? 割と傷付くと思うぞ……」
「……一番マシなやつ聞かせて」
「ヤクザと繋がりがあって麻薬密売してるとか」
「それ一番マシなのか嘘だろ?」
 あからさまにショックみたいな声を出すものだから笑ってしまった。こいつ、楽しいとか嬉しいとかはあんま表情に出ないくせに眠いとかダルいとかそういうのは割と分かりやすいんだよな。表情だけじゃなくて声も気をつけて聞いてれば結構分かる。
 ちなみに他の噂は、目が合っただけで殴られて人身売買のブローカーに売り飛ばされるとか、歴代の女を何人も風呂に沈めてるとか。もう高校生の所業じゃねえよな。なんで信じてたんだろう……。この学校、入試で名前書けば合格できるレベルのバカ高だからそのせいもあるのかも。
「そっかー、加賀は一人の方が楽……俺のことも邪魔くせえなって思うことあるか?」
「はあ? 邪魔に思ってたらここには来ねえし……っつーか、お前こそ」
「え?」
「一人の時間が欲しくてここまで通ってたんじゃねえのか」
 まあ確かに。でも今は一人で煙草吸うより加賀とまったり話をするのが目的でここに来てるんだよ。
 最初は有名人と知り合いになれたというミーハー心が強かったけど、話してみたらかなり趣味合うし。そう思ってんの俺だけ? 楽しくねえなーって思われてたらちょっとへこむ。
「一人で煙草吸ってるよりお前と喋りながら吸う方が楽しい……」
 思わず拗ねてるみたいな口調になってしまった。押し付けがましく思われたらどうしよう、と加賀の方を見ると、そこにはなんだか予想外の反応。
「……っ、そ、れは、……俺もだけど……」
 なんとも形容しがたい表情だ。脚が痒いのにどこが痒いのか分からないで困っているみたいな、微妙な感じ。まじまじと見つめていると目を逸らされる。
「――あ、もしかして照れてる?」
「はっ!? な、何」
「えっマジで? マジで照れてんの? 加賀が? ひゅー!」
 やめろ茶化すな、と頭を掴まれて笑いながらギブアップした。こいつ手ぇでかいわ。なんでだろう、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。加賀は「一人が楽」とは言ったけど、「一人が好き」とは一度も言わなかった。俺と一緒の時間を、「楽」なだけじゃなくて「好き」だと思ってもらえているならマジで嬉しい。
 加賀って、恥ずかしいときはちょっと困ったような顔になるんだな。
 こういうの、知ってんの俺だけ? だとしたらそれはちょっと、かなり、すごくいい。
 もうこいつの鋭い目つきも全然怖くなかった。俺と同じ、ただの高校生なのだ。好きな漫画に影響されて煙草を吸ってしまうし、帰り道のコンビニでからあげ買ったりするし、誤解に傷付いたりもするのだろう。
 知ってるのが自分だけ、っていうのもかなり優越感だけど、やっぱりちゃんと誤解が解けたらいいのにな……なんて思う。だって加賀、いいやつだし。漫画も意外に詳しい。タイトルとあらすじだけ知ってて一度は読んでみたいなと思ってた漫画、色々貸してくれるって言った。
 複雑な気分を持て余しつつ、俺はまた加賀の新しい一面を見られたことに嬉しくなってしまうのだった。……なんか俺、キモくね? 何キャラだよ一体。俺はあいつのなんなんだ。


「あっ、加賀!」
 どうしてそんなことをしたのかと聞かれたら、要するにまあ、何も考えていなかったのだ。
 加賀が貸してくれた漫画が面白くて、せっかくだから感想をちゃんと伝えたいなと思っていた。いつも特に約束したりはせず適当にベンチに集合していたけど、今日は会えるだろうか……なんて思っていたところに廊下で本人を見かけたから、なーんだベンチに行くまで待つ必要も無かったなと名前を呼んで、そいつが振り返ったから駆け寄ろうとして――体の左右両方から腕を引っ張られてつんのめった。
 何が起こったのか分からないでいる俺に、両隣にいたダチが「バカッ、何考えてんだお前!?」「死ぬ気かよ!」と小声で叫ぶという器用なことをしてくる。
 そこまで言われてようやく気付いた。俺の一声が、かなりの注目を集めていたことに。
 加賀は黙って俺を見ている。何を考えているのか読み取れない表情で。
 すみません、見逃してください、こいつバカなんです何も考えてないんです、と必死で謝っている俺のダチ。おいおい何してんだ、別にそんなことする必要ねえじゃん。加賀は怒ってるわけじゃねえし、何よりこいつは俺の友達で――。
「……さっさと消えろ。うぜえな」
 低い、唸るような声だった。加賀のこんな声、初めて聞いた。
「な……なんで、そんな」
 なんでそんなこと言うんだ。そう言いたかったのに掠れて殆ど声にならなかった。きっと加賀にも聞こえなかったと思う。俺が続けて何かを言う前に、はい消えます今すぐ消えますとダチに引きずられて教室まで強制連行されてしまったからだ。
 自分の席まで引きずられて、肩を心持ち強めに殴られる。「お前何やってんだよ!」とにかく無事でよかった、と大袈裟にため息をつく俺のダチ二人。「殴られるかと思った」なんて口々に言うそいつらに俺はむっとしてしまった。自分も加賀と初対面のときはまったく同じ感想を抱いたはずで、けれどそいつらの言い草が嫌だった。何も知らないでそんなこと言うなよ。あいつはそんなやつじゃないのに。
 さっき見た加賀の反応を思い返す。人前で話しかけたのが嫌だった? 馴れ馴れしかった? 俺、勝手にかなり仲良くなれたと思ってた。違ったんだろうか。あんな、冷えた金属みたいな声になるくらい鬱陶しかった?
 ……ちょっとだけ悲しそうな声に聞こえたのは、気のせい?
 悔しくなった。みんなの知らない加賀の一面を知ってるってことが嬉しかったのに、さっきのあいつのことは全然分からない。ちょっと話す機会が増えただけで理解者ヅラをしていたのだと突きつけられているようで悲しかった。
 なんでこんなに悔しいし悲しいんだ。俺はあいつにどうしてほしかったんだよ。
 どうしてほしいって、そりゃ――。
 ガンッ、と思わず拳で机を叩く。想像より大きな音がして、「うわっ……どうしたんだよ、おい」と心配そうな顔で見られてしまった。やばい、自分をコントロールできてない。
「……わり、今日は帰るわ」
「は? ちょっ……」
 教科書なんて一冊も入っていない鞄を引っ掴む。そのまま振り返ることなく小走りに教室を出て、昇降口を出て――そのままベンチの方へと向かいたいのを必死にこらえ、校門まで駆ける。
 顔が熱い。
 息を切らせながら走った。腹の奥がぐるぐるとしてどうすればいいか分からない。思い出すのはあいつの楽しそうな声ばかりだ。加賀は、表情よりも声に感情を乗せるタイプだった。
 俺はきっと、あいつの声が聞きたかっただけだったのだろう。俺があいつを呼んだとき、ベンチで隣に座るあいつがふっと視線をあげてこちらを見て、表情は変わらないながらも「ん? なに」と穏やかに返事をしてくれるのが好きだった。俺だけの感情が向けられるのが好きだった。
 ――そう、好きだったのだ。

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