羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「お前、毎日弁当作ってんの」
 そう静かな声で言われたのは、ルームシェアを始めてからまだひと月ほどしか経っていないときのことだ。
「うん。おれ料理は結構好きだから」
 玉子焼きを巻きつつ答える。自炊は苦ではないし、むしろ楽しいと思っているから彼の感心したようなため息が意外だった。そういえば、学部が違うせいかルームシェアをしているというのになかなか時間が合わず、一緒に食事をする機会は未だ無かった。特に今は入学したばかりでサークルの勧誘が多く、真弓くんは友達に誘われてサークルの新歓巡りをしているようだ。彼は、おれと違って友達が多い。しかも、割と派手なタイプの。

 まだ寒さの抜け切らない時期、合格した大学の近くの不動産屋の前でおれは彼に声をかけた。ちょうど受験が終わって一人暮らしできる部屋を探していて、だから一人暮らし用の部屋をじっと見ていた彼に目がいったのだ。とてもきれいな顔で、驚いた。出会って数秒で声をかけてしまった自分にも。
 ナンパまがいのことをしてしまって最初は不審がられたけれど、どうやら春から同じ大学に通うことになるらしいと分かってからは彼の警戒心は解けたようで。「流石に今すぐは返事できねえけど」と微かに笑った彼が連絡先を教えてくれたことが嬉しかった。同年代でピアスをしているようなひとを、初めて見た。
「玉子焼き、そんな綺麗に巻ける奴初めて見た」
 今まさに考えていたことと似たような台詞が彼の口から発せられてどきりとする。「何回もやってるから、慣れちゃった」と無難に返したところ、ふうん、と首を傾げて彼はおれの手元をじっと見ている。
「……いいなあ」
「えっ」
 思わず、といったふうな呟きに驚いて肩越しに振り返ると、彼は気まずそうに目を逸らす。「悪い。なんでもない」それでもおれが黙っていると、「なあ……焦げるぞ」と控えめに教えてくれた。慌てて火を止めて皿に移す。
「真弓くんは料理しないの?」
「あー……自炊はしたことねえ。そろそろ外食もコンビニも飽きたし何かしら始めないとなとは思ってんだけど」
「ここひと月ずっと外食!? うわ、体に悪いよー」
「新歓多くて。でも俺、居酒屋の飯って味濃くてちょっと苦手だ……」
 俯いた拍子に淡い色彩の髪の毛が頬にかかる。それがあまりにも絵になっていたから、つい言ってしまった。
「じゃあ、おれと一緒にご飯食べようよ」
「え……」
「ほら、せっかくルームシェアしてるし。食費用と、あとはついでに日用品とか雑貨も買っていい財布ひとつ作って同じ額ずつ入れてさ」
 一人分を作るも二人分を作るも手間は大して変わらないのだ。むしろ、一人分をちまちま作るよりもレパートリーは増えるだろう。
 自分で言うのもなんだけどおれの作るものは割とおいしいと思うので、食事で嫌な思いはさせないはずだ。それに、おれはもっと彼と仲良くなりたかった。
 真弓くんはちょっと悩んだ様子で静かに考えている。やがて、「……面倒じゃねえの?」と窺うような表情をされたので「全然! 一人で食べるの、ちょっと寂しいよね」と主張してみた。
「……じゃあ、お願いする」
「ほんと? ありがとう。今日もし帰り早いならさっそく一緒に食べようよ。買い物して帰るから、夕飯のリクエストあれば嬉しい」
 なんだか彼も表情が明るい気がして気持ちが上向きになる。豚の生姜焼きがいいとのことだったので、今日の夕飯はそれに決まりだ。
「行祓」
「ん? なに? 真弓くん」
「ありがとう。俺、料理はできねえけど……掃除なら、割とする方だから」
「そうなんだ、意外……あっごめん、意外とか言って。じゃあ共有部分のお掃除お願いしちゃおうかな」
「うん。似合わねえのは言われるだろうなって思ってたから別にいいって。俺も自分でガラじゃねえなって思うし」
 っつーか真弓くんってなんかよそよそしい、と言われて慌てた。急にそんな、仲良さそうな雰囲気出しちゃっていいのかな? 下の名前で呼ぶの、まだ早くないかな? そんな思考がぐるぐるして、おれの出した結論はこうだ。
「っじゃ、じゃあ今日からまゆみちゃんって呼ぶね!」
「んっ……!? そ、それは予想外だった」
「え、そうかな。かわいくない?」
「女の名前じゃねえか……」
「嫌ならやめるけど」
「……別に嫌ではねえから、好きに呼べば」
 そんな呼び方するのお前だけだけどな、なんて呆れたように笑われてなんだかくすぐったい気持ちになる。やっぱりあの日、初対面だったけど思い切って真弓く……まゆみちゃんに声をかけたおれはいい引きをしていたのだろう。
「よろしくね、まゆみちゃん」
「ん。……楽しみにしてるから」
 笑ってくれたまゆみちゃんはやっぱりとてもきれいに見えたから、今日の夕飯はいつもより豪華にしよう……なんて、単純なおれは思ってしまうのだった。
 それは、おれがまゆみちゃんの「いただきます」を初めて聞いた日のことだった。

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