羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


「ちか、煙草くさいよおまえ」
「女子に向かって臭いって何!? これねーバニラの甘い匂いがするから最近気に入ってるやつ。ちょっとお菓子っぽいんだよ」
「お菓子食べればいいんじゃない?」
「澄仁はさ……昔からそうやってすぐ元も子もないことを言う……」
 同中出身であるこの二人が話しているのを見た奴が、ほぼ勘違いすることがある。オレの友達も例に漏れず、「なー水嶋、あの二人って付き合ってんの?」と聞いてきた。どうしてオレに聞くんだと言いたくはあったがそれはもういいだろう。「さあ? 知らね」と適当に返しておく。
「えー、付き合ってもないのに女子のこと下の名前で呼ぶ?」
「お前がどうかは知らねえけど、一色は会話する女子全員下の名前で呼ぶからな」
「ひええ、一部の選ばれし人間にしか許されない所業じゃん……俺がやったら袋叩きだよ」
 確かにそれはそう思う。一色だから許されている感じがする。ちなみに、オレは未だあの女子の名字を知らない。一色が名字で呼ばないから……そして自己紹介をされていないから……。
「水嶋」
「うおっ! は、背後から急にくるのやめろよ……びっくりするだろ……」
 文句を言ってみたものの返事はない。無言で一色に腕を引かれて、なんだなんだとされるがままについていく。ちらっと視界に入った友達は半笑いで手を振って、さっさと逃げていってしまった。あの野郎……。
 やがて一色から小声で囁かれたのは、「さっきの聞こえてたんだけど。……なんで『さあ?』って答えたの」という抗議だ。
「おれがちかと付き合ってないの知ってるでしょ」
 あっやばいこれは割と機嫌が悪いやつだ、と瞬時に悟る。答え合わせしなくてもほぼ確信できるのだが、これはどう考えても「おれが付き合ってるのはおまえなのに……」という恨み節である。面倒臭がらないでちゃんと答えておけばよかった……。
 一色は、冷めてそうで淡白そうで、別れた女は三秒で忘れそうな雰囲気をしているのだが実際はというと真逆だ。割り切った適当な関係を求められがちなのに、本人は誰か一人に入れ込むタイプ。その悲しいすれ違いによって振ったり振られたりが激しくなっていたという内情らしい。本人は、『恋愛ってもっとこう……ふわふわどきどきするやつでしょ本来は……』とまるで女子中学生みたいなことを言っていた。
「あー……っと、お前があの女と付き合ってないのはそりゃ知ってるけどよ。色々詳しく聞かれるのは面倒だろ。そういうところはボカしていいんだよ」
「ふーん……」
「ねえ、水嶋くんってあたしのこといつまで『あの女』って呼ぶの?」
「うお!? お、お前ら……どいつもこいつも人の背後から声掛けるんじゃねえよ!」
 オレの心臓にもうちょっと配慮しろ。
「ちか、水嶋が困ってるから向こう行って」
「酷くない!? ねえ水嶋くんこいつこんなこと言ってるんですけど! 叱って叱って!」
「お前ら人の話を聞け。っつーか、あの、そろそろ名前……」
「え?」
「自己紹介」
「ちかだよ」
「いやおかしいだろ!? なんか……なんか無駄に仲よさそうに聞こえちまうじゃねえか。それはおかしいだろ」
「遠慮しないでよ、あたしととっしーの仲じゃん」
「そんなフランクな仲になった覚えはねえ。っつーかなんでお前はオレの名前知ってんだよ!? 今更だけど!」
「澄仁と仲がいいから。あたしは澄仁の対人センサーを信頼してるから、澄仁の友達はみんないい人だと思ってるの。そういう素敵な人とはなるべくお友達になっておきたいでしょ?」
 対人センサーって。まあ、いい印象を持ってもらえていることに悪い気はしないが……。
「あーもう、分かった分かった。お前は……」
「ちかだよ」
「…………、……ちかちゃん、は」
「は? 流石に黙って見てらんないんだけどちかおまえなんなの? おまえの分のザッハトルテだけカカオ八十パーのチョコレートにしてもいいの?」
「うわめんどくさっ! この根暗陰キャ丸出しの嫌がらせ……これはめんどくさい澄仁……ごめんなさい調子乗りました。千羽ちかです。千羽鶴の千羽」
 このままだとオレのせいでこいつらの仲が悪化しそうだったので、そいつ――千羽が折れてくれてほっと息をつく。一色はというと、「おれだって下の名前で呼んでもらったことないのに……」とぶつぶつ言っていた。いや別に名前くらいいくらでも呼ぶけど……。
 それにしても、一色に息継ぎなしで畳み掛けるように喋られると若干怖いな。声質とか表情とかも相まって、全然怒っていないとは思うんだがひょっとしたらマジギレしてるんじゃねえのか……という余計な不安を煽ってくる感じだ。
「……千羽って、一色とかなり仲いいんだな。こっちがうわって思うくらいがんがん言い合うし、一色の表情ちゃんと読めてるっぽいし」
「ん? そうだったらいいなってあたしは思ってるよ。なんかねー、女友達みたいな感じなんだよね。だから余計に遠慮せず色々言えるっていうか……水嶋くんとかが相手だと絶対言えないなーって思うもん。失礼すぎて」
「おまえはほんと失礼だよ……クソ女じゃん……」
「でも澄仁、昔よりは表情ちゃんと出るようになったと思うよ。最近変に絡まれることも減ったでしょ」
 一体何のことだと思ったら、どうやら一色はいわゆる不良の類に喧嘩を売られることが多いらしい。確かに前もそんなことあったな……とそう遠くない記憶を掘り起こす。
 あのときの一色は、殴られそうになっているというのに微動だにしなかった。
「……そんな頻繁に絡まれてたのか?」
「まあ割と……? あいつらおれが何もしてないのに『睨んだ』とか『見下してる』とか言ってくるんだよね。当たり屋なのかも。まあ、黙ってじーっと見てたらよく分かんないけどどっか行くから、ちょっと面倒なだけかな」
 たぶんそれお前の目つきにびびってるんだと思うぞ……と思ったが黙っておく。まあ、足遅いし運動苦手っつってたし、下手に逃げて捕まってボコられるよりは相手が勝手に引いてくれるのを狙った方がいいのか?
「にしたって殴られそうになってるのにノーガードはやめろよ……怪我するかもしんねえだろ」
「え、あれはノーガードとかじゃなくて単純に相手の動きに反応できてないだけだよ」
「は!? そうだったのかよ!?」
「当たり前じゃん喧嘩とかできないし。ああなったらもう目を瞑るくらいしか無理」
 真顔の自己申告にめまいがしてきた。防御反応くらいしてくれよ。頼むから。
 一色の後方から千羽が、「水嶋くん、一緒にいるときは守ってあげてね……澄仁は度胸が据わってるとか余裕があるとかじゃなくてただただトロいだけなんだよ……」と囁いてくる。お前、それ全部一色に聞こえてると思うぞ、位置的に。いいのか?
「……幻滅した?」
「いや、ただただお前の身の安全が心配になった……マジで怪我だけはするなよ。っつーかもうなるべくオレが一緒にいるわ……」
「ありがと。水嶋は恰好いいね」
「そりゃどうも……」
 不安しかねえ。
「ねえ澄仁、この後お店行っていい? ケーキ食べたくなっちゃった」
「いいけど店ではおまえのこと構ってやれないからそのつもりでね」
「澄仁がいなくてもとっしーに構ってもらうから! ってなわけで一緒に行こうよ水嶋くん」
「は? オレ?」
「ちか、おまえ次で退場だから」
「うわあ横暴。器の小さい男は嫌われちゃうよ〜?」
「ガトーショコラに食洗機から出したばっかりの熱々の皿とフォークつけてあげる」
「嫌がらせが地味! 陰湿!」
「マジでするわけないじゃん。ケーキが不味くなる」
 両腕を引っ張られつんのめりそうになりながら歩く。二人一緒に引っ張るのをやめてほしいし、人の話を聞いてほしい……というかどういう状況なんだこれ……。
 こっそりため息をついた。けれど、それとは裏腹にこの雰囲気を楽しく感じているというのも確かだ。千羽と喋っているときの一色は、オレから見ても楽しそうだった。
 オレは、引きずられないようにしっかりと地面を踏みしめる。
「おい、歩きにくいっつの! さっさと行くぞ」
「とっしー急に乗り気!」
「どうしたの、楽しそうだね」
 なんだよ。みんなで美味いもん食いに行くのは楽しいだろうが。敢えて口にはせずに、歩調を速める。
 見上げると、今の気分にぴったりの、とてもいい天気だった。

prev / back / next


- ナノ -