羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「あけましておめでとうございます」
「ん……おめでとうございます」
 ぺこり、と頭を下げる行祓はなんだか妙に可愛く見える。なんだかんだと二年目の正月も帰省をしなかった。雪が降っていて帰るのが面倒だから、帰るなら春か夏辺りがいい……と思っているのもあるけれど、やっぱりこいつがいるからというのが大きい理由だ。
 まあ正月は一日部屋でゆっくりするのも悪くないだろう。そんな風に思う。行祓は実家はどこだと言っていただろうか。こいつの帰省も基本的に夏だ。もしかすると、寒いのは苦手なのかもしれない。
 ちょっぴり微笑ましく感じて、俺はそこで行祓がどこかそわそわしているように見えることに気付いた。どうしたんだ。
「行祓? なにそわそわしてんの」
「えっ……あー、ごめん。えっとね、お雑煮のことなんだけど」
 雑煮? 雑煮がどうかしたのだろうか。行祓は去年、わざわざ俺の出身地の雑煮について聞いてきて、それを再現してくれたのだ。実家で食べるものとはそれでも少しだけ味が違ってはいたけれど、俺はその気遣いが嬉しかった。行祓は料理が上手いから、リクエストに応えることだってできるんだと感動したものだ。
 俺は首を傾げるだけに反応をとどめて、言葉の続きを待つ。行祓はこちらの様子を窺うようにして上目遣いで笑った。
「今年はさ、おれの地元の味付けをまゆみちゃんに食べてほしいなって思うんだけど……いいかな」
「お前の? ああ……なんか地域によって味付け変わるって言うもんな。俺、自分のとこの味付け以外食ったことねえから楽しみ」
 去年はこいつが俺に合わせてくれたもんな。今年は逆にするっていうのはどこもおかしくない流れだ。
 そういうことならわざわざ俺に聞かなくてもいいのに。だって行祓が作るんだから、仮に俺が嫌だと言ってもそれはただの我儘だ。第一、こいつの作るものならきっと美味いんだろうと思えるから断ること自体ありえねえけど。
 行祓は俺が二つ返事でオーケーしたことが意外だったらしく僅かに目を瞠って、「ありがとう」と言ってきた。
「お礼言わなきゃなのはこっちだっつの。正月から料理させちまってるし」
「そんなの、おれが好きでやってるんだから気にしないで。まゆみちゃんはさ、食べてくれればそれでいいよ」
 作ってくるね、お餅何個がいい? と笑顔で尋ねられて、じゃあ二つ、と返す。どんな味がするのだろう。楽しみだ。俺に手伝えることは配膳くらいしか無いというのが分かっていたから、行祓に呼ばれるまでは大人しく待っていよう、と正月特番のやっているテレビを眺めつつこたつの中で心の準備を万端にしておいたのだった。
「できたよー」
「ありがとう。箸と飲み物は俺が持っていくから」
「分かった。いつもありがとう」
 やがて完成して食卓に並んだ雑煮は、至ってシンプルなものだった。汁は透明で、具は丸餅と白菜のみ。彩や食感、箸休めといったことも気にする行祓にしては珍しい。
「他におかずは用意してあるからね。足りなかったら言って」
「ん……いや、とりあえず先に雑煮だけで食おうぜ」
 いただきます、と手を合わせると、行祓も「いただきます」と目の前の椀に手を合わせた。
 行祓がきっと幼い頃から食べていたのであろうその雑煮は、なんだかほっとするような味がした。ちょっと、俺にはこれまで経験が無いタイプの風味だ。これ、なんだろう。
「まゆみちゃん、どうかな」
「うまいよ。俺初めて食べる味かも。何味っつーんだ? これ」
「あ、こっちだとそんなに馴染み無いのかも。あごだし使ってるんだ」
「あごだし……」
「トビウオだよ」
 ああ、トビウオか。こっちに来てからは確かに見ないな。俺も、実際料理に使ってるところは殆ど知らなかった。こんな味がするのか。
 行祓をちらりと見ると、餅が思いの外伸びることに慌てている様子だった。たっぷりの白菜から滴るだし汁からはいい匂いが漂っている。ふと目が合って、笑顔を向けられるのがなんだかくすぐったい。
「……お前、正月はこういうの食ってたんだな」
「うん。具とか全然入ってないし地味だけど、おれの家だとずっとこれだったんだ」
「そっか。俺、お前のとこの味すきだよ」
 何の気なしに言ったことだったけれど、行祓は眉を下げて笑った。「ずっるいねそれ。嬉しくなる」うん? 喜んでくれているのか? それならいいんだけど。
「ほんとは今年もまゆみちゃんのとこの味に倣おうと思ってたんだよ。やっぱ、食べ慣れた味が安心するかなって思って。でも、なんだろ……おれが一番得意な味付けも知っててほしくなっちゃった」
 お雑煮はこれが一番上手く作れると思うから、と行祓はまた餅を伸ばす作業に戻る。一番得意な味付けを知っててほしいって、食べてほしいって、そんなことを言われると俺も嬉しくなってしまう。行祓は普段、俺に合わせてくれることが割と多いと思うから。
「俺はこれすきだから、お前の一番やりやすいように作ってほしい。毎年これでもいいんじゃね?」
「ありがとう。ふふ、かわりばんこがいいと思うよおれ。一年ずつ交代ね」
「ん。そうだな」
 温かい汁を口に含むとまた優しい味が鼻腔に抜ける。さりげなく、来年もその次も正月を一緒に迎えようと言われた気がして今更恥ずかしくなってきた。だって、交代だから。同じ回数ずつじゃないと平等じゃないから。
「はー……うまいわ」
 思わず声に出して、柔らかい眼差しを行祓から向けられていることに気付く。上手な返答ができる気がしなかったから、今だけ気付かないふりで餅をひたすら伸ばしてしまうことを許してほしい、なんて、黙って白菜を咀嚼していた。
 椀の中の餅は、残りあとひとつだ。

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