羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「高槻サン、こないだは勝手なことしてスミマセン」
 平日の夜。開口一番謝られたので何のことやらと思っていると、どうやら俺の父親に向けて送ったオオカミ少年メールについての謝罪らしかった。あいつには既に謝罪済みだとか。別にいいのに。それよりも、他に聞いておきたいことがある。
「お前さ」
「はい」
「あいつが基本的に味見とかしない理由知ってたろ」
「あ、バレました? 俺の兄貴は気ィ遣って聞けなかったらしいんすけど、俺気になることあったら夜眠れなくなるタイプなんですよね」
 悪びれもせず言う暁人に、こいつも別の意味で気を遣える奴なんだろうなと納得する。俺が聞かなかったから話さなかっただけだとあいつは言っていたけれど、よく考えたら俺も同じことをあいつに対してしているので文句も言うに言えなかった。
「はぁー、俺まで大牙に似てお節介になってきたかも」
 相手を選べばそう悪いことでもねえだろ。現に、今回俺はかなり助かったし。
 と、ドアベルが控えめに音を立てた。「いらっしゃいませ」そういえば今日は朝も昼も来なかったなと思いながら接客の定型文を口にする。
「あっ、スズカさんだ。こんばんは」
「あきじゃん、こんばんは。一人で夕飯?」
「高槻サンと内緒話がしたかったんで一人で来ました!」
「ふは、そうなの。あきはいつも楽しそうだね」
 これから仕事というわけでもないだろうにスーツだったので理由を聞くと、「知り合いの仕事の手伝いしてたから。働いてないと毎日暇でさー、色々掛け持ちでやってんの。まともに働いてないくせに割と忙しいとか笑えるよな」とあっさり答えが返ってきた。聞けば答えてくれる。簡単なことだった、こんなにも。
 厨房に戻って一人分の深皿を用意する。今日はクリームシチュー。気持ち肉を多めに入れて、パンはハード系よりも柔らかい方がいいかなとちょっと悩んで、付け合わせの野菜の量にも悩んで、それらを全てトレンチに載せて運ぶ。
 そいつは俺のことをじーっと見ていた。何がそんなに面白いんだか、よくよく思い返してみると俺の記憶の中の父親はいつも笑っていたんだったな、と今目の前にある柔らかい笑顔と照らし合わせて少し恥ずかしくなってしまう。
 カウンターに皿を全部乗せて、一拍置く。やっぱりまだ慣れない。離れていた期間が長すぎた。
 でも。記憶とたがわぬ笑顔で今日も笑ってくれるから、俺も頑張りたいと思う。
「…………これは、親父の」
「けーごはそういうとこ律儀だよなー。ありがと」
 いただきます、と静かに手が合わせられ、シチューがゆっくりとそいつの口に運ばれた。「美味しい」その言葉に、暁人が少しだけ驚いたような声をあげた。
「分かるんすか?」
「まだいまいち分かんないけどちゃんと分かるよ。懐かしいわ、俺昔料理下手な奥さんによく『無理して美味しいって言わなくていい』って言われてたんだけどさ、美味しくないなんて思ったこと一度も無かったんだよ」
 三回病院送りにされたくせにか? そう横槍を入れるとそいつはやっぱり笑って言う。
「そりゃ、料理は愛情だからな。ずっと勘違いしてたけど、お前って実は俺のこと大好きでしょ?」
「――、今更すぎるんだよばか。当たり前だろ、家族なんだから」
「あはは。俺だって我が子のことはすげえ愛しちゃってるから気持ちはよく分かるよ」
 そういえばお前のお友達あれきり見ないけど大丈夫? と余計な心配をされたので、「近いうちにまた来るから大丈夫」と言っておく。……別に嘘じゃねえよ。絶対仲直りするから、そんな心配そうな顔すんなっつの。
「はあ……こういうことは十年前にやっときたかった……」 
「ん? 何が?」
「反抗期をまともな時期に終わらせておきたかった。寂しかったときに寂しいって言えてればこんなにこじらせてなかったって断言できる」
「え、お前それ反抗期のつもりでいたの? どんだけ可愛い反抗期よ」
「ばかにしてんのか。数少ない友達に引かれたり呆れられたり引かれたり散々だったんだぞ」
 八代のとこはお互い丁度いい距離感を保って家族をやってるみたいだし、あのチビも片親ではあるけど普通に家族を大事にしてるって感じで変に執着はしてねえし。
 また会う機会があったらこの間話し相手になってもらったお礼を言いたい、とふにゃふにゃ笑っている親父にものすごく微妙な気分になった。いや、別に友達に紹介するのが嫌なわけじゃなくて……顔が似てるわりに表情の作り方とかが全然違うから自分の別人格を見られてるみたいで恥ずかしいんだよな。
 自分と同じ顔が、自分じゃ絶対にやらない言動してたらちょっとアレだろ。要するに俺の顔であんまりふにゃふにゃしないでほしい。とは言っても俺の方が後発なので文句を言えた筋合いじゃないことは分かっている。
 ふと見ると暁人の席の飲み物がすっかり空になっていたので「おかわりいるか?」と尋ねた。「ありがとうございます! お願いします」いい返事だな。りんごジュースを注いでやろう。
 コップを手渡すと暁人は俺を見て含み笑いをした。ん? なんだよ。
「高槻サンって割と完璧超人だと思ってたけど、案外フツーに人間でしたね」
「なんだその評価……」
 自分で言うのもなんだけど、できることが人よりも大分多いってだけで上等な人間ってわけじゃねえよ。
 ……一番仲がいいはずの友達との付き合い方すら正解が出せねえし。
 電話しようか、それともメールがいいだろうか。連絡とったのに無視されたらどうしよう、本気で立ち直れる気がしない。今度こそ本当に見放されたかもしれない。不安で胃が痛い。
 これ以上依存してしまうかもしれないのも怖いのに。
 改めて自分の性格を面倒に感じつつ、最低でもあと十年は引きずることになるのか……と父親の言葉を思い出してまたげんなりする羽目になったのだった。

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