羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「昔はさー……こういうの、何がいいんだろうって思ってた」
 室内で少し温まってから出かけることにしたおれたちは、ソファに座って前にも一度飲んだことのあるミルクセーキを飲んでいた。セツさんはほっとため息をひとつついてから、静かに話し出す。
「『好き』ってなんか重い気がしてた。なんだろ、だんだん身動きとれなくなるような感じの……好きって言ってよとか言われると、なんか、それだけでしんどくて」
 俺はそれこそ、猫が好きとかコーラが好きとか、それと同じくらいの『好き』で十分だと思ってた。セツさんはそんな風に言った。特別な『好き』は家族だけで、暁人だけでいいと思っていたらしい。
「や、ほら、もちろんペットは家族って人もいるけど、そうじゃなくて」
「大丈夫、分かりますよ。自分のペットとしての猫とか犬とかそういうのではなくて、もっと一般化したやつですよね。それこそ、『猫か犬か選ぶならこっちの方が好き』みたいな」
「うん。べたべたしてなくてそっちの方が楽じゃんって思ってたんだ。……そう、思ってたんだけど……」
 今はもうそんなのムリだから、不思議だよね。そう囁いたセツさんの声はとても小さかった。
 セツさんは、初めて会った頃と比べるとだんだん自分の話をしてくれるようになった。明るくて楽しいところだけじゃなくて、セツさんが周囲の人には隠したがっているようなことでも、おれにだけは話してくれるし見せてくれるようになった。それはおれにとってとても誇らしいことだ。セツさんの丸ごとぜんぶを好きになりたいと思う。傲慢だけれど、確かにそう思うのだ。
 セツさんが周りに隠しておきたいと思っているのは、昔のことと、昔の自分が考えていたこと。
「あのね、俺実は冬ってあんまり好きじゃなかったんだ」
「そうなんですか?」
「冬っていうか、誕生日周辺? 寒いし暗いし雪って冷たいし……寒いと寂しくなるから。早生まれだからっていうのもあって何でも人より遅くてさー、周りより背が低いとか逆上がり俺だけできないとか、小さい頃はそういうのも嫌だったな」
 早生まれは幼少期の生活において不利とか、そういう話だろうか? スポーツ選手には四月や五月生まれが多くて早生まれは少ない、という話を小耳にはさんだことがあるけれど、セツさんはそれを実感してきたのかもしれない。
 セツさんの手がおれの手に触れる。すっかり冷え切っていた手はきちんと温まっていた。
「なーんで俺こんなタイミング悪いんだろうなーって思ってたんだけど、今はもうそんなこと思ったりしないよ」
「それは……何かきっかけがあったから、ですよね」
「え、それマリちゃんが言うの? 冬は早起きが気持ちいいって、教えてくれたのマリちゃんだよ」
 驚いた。だってそれは、おれがもう随分前に話したことだったと思うから。セツさんはきちんと覚えていてくれたのだ。おれの他愛のない話を。ささやかな「好き」を。
「『そうかも』って思ったんだよ、初めて。マリちゃんが好きって言ってくれたからだよ」
 ぎゅうぎゅう抱きしめられて、何も考えずに抱きしめ返してしまった。けれどそれは正解だったらしい。首筋に息がかかってくすぐったい。
「寒いと、くっついたときにあったかいのがよく分かるからいいよね」
「はい……」
「マリちゃん、体温高い」
「よく言われます」
 あったかい、ともう一度だけ言って、セツさんはおれの耳元に頬を寄せてきた。こうして甘えてもらえるのも、ちょっと弱いところを見せてもらえるのも、嬉しい。
「……今まで内緒にしてたこと言うね」
「? なんですか?」
「俺ってマリちゃんと八学年違うけど、マリちゃんの誕生日から俺の誕生日までの半年くらいは七歳差なんだよ。その間はちょっと近づけた気がするから、早生まれでよかったかもって……思いました」
 恥ずかしかったのか、最後は少しだけ茶化すような口調だった。けれど、全部本音なのだろう。それくらいはきちんと理解できる。
 だったらおれも、すきなひとの言葉には応えたい。
 おれは深呼吸する。「セツさん。おれも、内緒にしてたこと言いますね」体を離してじっと目を見て、伝える。
「おれ、あなたに会ってから冬がいちばん好きになりました」
 これまで、四季は全部好きだった。順位をつけようと思ったことがなかったし、それぞれいいところがあると思うから。けれど今たったひとつを選ぶなら、きっと何度でも冬を選ぶだろう。夏ではなくて。このひとに出会えた夏ではなくて――。
「あなたは冬が似合う。冬に見るあなたがいちばん綺麗だ」
 おれのすきなひとは、冬が似合うし、雪が似合うひとだった。おれが冬を選ぶ理由は、それだけで十分なのだ。
 セツさんはちょっと眉を下げて、「そういう口説き文句、どこで覚えてくるの」と恥ずかしそうにしている。おれは思ったままを言っているだけなのだが、どうやらセツさんには予想以上に効果があったらしい。
「……俺も、もっと冬のこと好きになりたい、から」
「はい。おれが魅力を伝えられたらなって思います」
「うん……教えてね、マリちゃんの『好き』を、たくさん」
 とりあえず、このミルクセーキを飲み終わったらまた雪を見に外に出ませんか。かまくらや雪だるまは無理でも、雪兎くらいなら作れると思います。雪が積もるなんて滅多に無いことだから、今しかできないことをたくさんしましょう。
 言いたいことはたくさんあったけれど、セツさんが迷うように目を閉じたのでおれはその唇に軽くキスをした。「雪人さん。……この名前も、とてもすきです」そう伝えてみると、彼は観念したように目を開ける。
「どんどん好きになっちゃうから……ゆっくり、ね」
 どうしよう、その「ゆっくり」は保障できないかもしれない。逸る気持ちを抑えつつ、おれはまだ温かいミルクセーキのカップにおとなしく口をつけた。

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