羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「お前に注文聞いただろ。厨房に入った後すぐ電話しといた」
 何勝手なことしてやがるという気持ちと、やっぱり会えて嬉しいという気持ちがない交ぜになってどうすればいいか分からない。遼夜はまだ自分が何故呼ばれたのか飲み込めていない様子だったので、とりあえず俺の隣に座ってもらった。
「今日は元々約束をしていたのか?」
「いや、偶然三人まで集まったからお前も呼んだ。悪かったな、いきなり呼びつけて。ケーキ食うか?」
「ありがとう。じゃあ、頂こうかな」
 ケーキケースの前までゆっくり歩いていく遼夜は楽しそうだった。なんとなく落ち着かない気持ちでいると、横から高槻がこそっと「最後に吸ってから時間経ってるみたいだし大丈夫だと思う」と耳打ちしてくる。こいつほんと、異様に気が利くんだよな……心の中だけで素直にお礼を言った。今日は高い酒たくさん頼もう。
「あっ! そうだ高槻さっき何言いかけてたの?」
「さっき……? あー、顔の話か」
「顔の話だよ!」
 何の話かな、と席に戻ってきた遼夜に尋ねられたので、「この中で誰の顔が好きかっつー話」とざっくり答えておく。遼夜はちょっと首を傾げて、恥ずかしそうに目を伏せると「おれは、やっぱり奥がいいなあ」と小さく囁いた。
 新たにつまみとして追加された揚げパスタを幸せと一緒に噛みしめる。俺をかわいく産んでくれた母親に感謝だなマジで。いいことなんて何も無いと言ってしまったけれど、撤回しなければ。こいつが好きでいてくれるなら何でもいいや。
 高槻は、「この状況で言いたくねえんだけど」と若干渋ったものの、八代にせっつかれてぽつりとこぼす。
「…………津軽、の、……こいつの顔かっこいいなって思う……」
 初耳すぎる。は? マジで初めて聞いたぞ。八代が心配そうに俺を見てるが、流石に「そういう」意味かそうじゃないかくらいは分かるからそんな顔しなくてもいい。ちゃんと分かってるって。
 けれど、予想外だったのは遼夜の反応。
 てっきりさっきみたいに恥ずかしがって俯くのかと思ったんだけど、遼夜はたっぷり黙って高槻の言葉を咀嚼してから、すっと目を細めてこう言った。
「……。それ以上は、喧嘩を売られていると判断するけれど……?」
 目が笑ってなかった。自分の恋人に対してこんなことを言うのもなんだが、こいつ素だとかなり目つき悪いな……。普段の表情や声音にどれだけ気を遣っているか涙ぐましい努力がうかがえて切なくなった。
 にしても。遼夜がこんな風になるなんて珍しい。二時間くらいかけてひたすら焦らしプレイしたときだってこんな剣呑な目つきはしなかったのに。
 高槻が怯えているのが分かるしなんなら横で見ていただけの俺も八代もびびってしまって、慌てて遼夜の着物の袂を引く。
「遼夜、どうした」
「だって何が悲しくて高槻にそれを言われなきゃいけないんだ……おまえ、初見でまだ一言も喋っていないのに『えっなんか怖い』って言われたことなんて人生で一度も無いだろ……ああもう、思い出して悲しくなってきた……」
 津軽は後半を高槻に向けて言うとケーキをひとくち食べて「おいしい……」と呟きながら落ち込むなんて無駄に器用なことをしている。
 そういえばこいつ、最近近所の公園か何かで子連れの母親から『ヤクザの跡取りの息子さんかと誤解してました』って言われたとか言ってしくしく泣いてたな。いや、ものの例えだ。涙を流してたわけじゃないけどしくしく泣いてた。ちなみに、遼夜に勢いよくぶつかってこけて泣いた子供をなだめていたときのことだったらしい。お礼と一緒にんな失礼すぎる感想ぶっこんでくるってすげえ親だな。
「あー、ほら、別にこいつも悪気があって言ったわけじゃねえだろ。な?」
「奥の顔はかわいらしいよなあ……絶対怖がられたりしないんだろうなあ……」
「うわっ津軽めんどくせえー! 珍しい! もしかしてケーキの香りづけの酒で酔ってんの?」
 早くも立ち直った八代がそんなことを言って「こいつに出すものに酒使うわけねえだろ」と高槻にどつかれる。高槻には視線で助けを求められたけど、これは別に怒ってるわけじゃなくて拗ねてるだけだと思う。その証拠に遼夜はちょっと気まずそうな表情になって、「すまない、八つ当たりをした」と高槻に謝っていた。
 もしかしてこの面子で顔の話題って基本地雷なんじゃねえの? 誰だよこの話始めたの。……高槻か。じゃあ自業自得だ。
「……人のこと顔で判断する奴なんてロクなもんじゃねえから、お前はそのままでいい……」
「え……ええと、ありがとう……? まあ、顔は変えられないからね」
「なんなんだよ……かっこいいだろ、目つきが鋭いとこがいいんだよ……俺がそう思ってるんだからそれでいいんだよ……」
 なんで高槻がいじけてんだよ。言ってることには概ね同意するけどな。迫力あるっつーか、凄みのあるとこが好き。俺にとってこの場の四人の中じゃ当然一番好み。たぶん異性よりは同性に好かれる――憧れを持たれる感じの顔なんだと思う。遼夜は自分の顔に大分コンプレックスがあるみたいだけど、ちょっと喋ればめちゃくちゃ優しくて穏やかだって分かるんだから堂々としてりゃいい。ギャップ萌えってやつだよ。
「っつーか見た目で勘違いしてお前を怖がるような奴は可哀想だ。絶対損してる。……絶対損してる……」
「何回言うんだよ。お前、実は昔からかなり津軽びいきだよね」
「俺は育ちがよくないからこいつみたいに育ちがよくて誠実で優しい奴は尊敬してる。所作が綺麗でそれが全然厭味じゃないのがすごいと思う」
「それが高校のときにちゃんと言えてたらよかったのに……どうでもいいけどお前酔いが醒めてから自分の発言後悔するなよ。記憶残るタイプなんだから」
 半笑いでそんなことを言う八代。確かにこいつ、普段こんな自分の思ってること喋ったりしないのにこんなべらべらぶちまけて平気か? 遼夜は突然べた褒めされて恥ずかしがっている。かわいい。
 高槻の男友達の少なさを八代は昔から心配していたから、そう言いつつも遼夜たちの交流が途切れなかったのが嬉しいのかもしれないが。高槻は、「女ってマジで見る目無い」とまだぶつぶつ言っていた。
「高槻は自分に好意的すぎる女の子ってあんま好きじゃないのが謎だよね」
「顔に騙されるような女かと思うと冷めるんだよ」
「自分から猫被ってるくせに!?」
「まあ理不尽だとは自分でも思う。でもどう考えてもこの面子の中だとこいつと結婚するのが一番幸せになれそうだろ。俺がもし女だったら彼氏は絶対こいつがいい……心が豊かになる……」
 そう言って遼夜のことを示す高槻。いよいよ気持ち悪いこと言い出したぞこいつ。なんなんだ、心が豊かになるって。浄化されるのか?
 っつーか、さっき「なんで全員男で四択しないといけねえんだ」って言ってたくせに自分が女だったらとかいう想像をするのはこいつの中でオッケーなのか。
 ……たぶん玉の輿なんて意識は一切無くて、遼夜の人間性だけ見てこういうこと言ってるんだろうな。
 俺は、実を言うとここまできたら流石に八代が拗ねるんじゃないかとちょっと心配してた。でもそれは杞憂どころか、八代まで「はあ!? ちょっと待って……それは正直かなり分かる、オレだって自分がもし女だったら彼氏にするなら津軽がいい。絶対大切にしてもらえるじゃん……っつーかとりあえず高槻はパス」なんて予想外すぎることを言う。いやまあ俺も高槻だけはパスだけど。
「俺だって俺はパスだようるせえな」
「高槻が女だったら超かっこいい頼れる女の人になりそうだよね。あれ? なんかこの話随分前もした気すんだけど!」
 笑う八代は続けて言う。「あー、お前が男でよかったよ。姉ちゃんが無駄に一人増えた気分を味わわなきゃいけなくなるとこだった……」
「お前こそ男でよかったな、今時料理のひとつもできねえ、洗濯物は脱いだまま重ねて洗濯機に放り込むような女絶対嫁の貰い手無えよ」
「無理して貰っていただかなくて結構ですけど!? いいんだよオレはもし女でも仕事して稼ぐから! 家事なんて外注で済ますわ」
 えっお前らお互いにそれでいいのか? 正気か? こいつらかなり仲がいいけど、たまに今みたいなくっだらねえことで言い争うんだよな……。遼夜が困ってるから即刻落ち着け。
 俺の呆れが伝わったのか、高槻が「だから俺はお前に関していい趣味してんなとは思うけど津軽はマジで趣味が悪いと思ってるからな」なんて真顔で失礼なことをほざいてきた。
「それに関しては俺も八代の趣味悪ぃなと思ってるから相子だな」
「待ってなんでオレがディスられる流れになってんの!? オレの趣味は悪くないから! 最高だと思ってるから!」
 こいつら全員我が強すぎるだろ。譲歩ってもんができねえのか……俺もだけどさ。
 と、そこでいよいよ遼夜の制止の声が遠慮がちに差し込まれた。
「あの……あまり言いたくなかったけれど、おまえたち全員酔ってるだろう……」
 あ、やっぱり? 八代たちは結構前から飲んでたみたいだし、俺も今日はペースが早かった。いつもより思考回路がふわふわしているのは否めない。
「さすがに全員介抱するのはおれには無理だから、せめて高槻くらいは正気でいてくれ」
「おい八代言われてるぞ、この中で一番酒強いのお前なのに介抱要員としてカウントされてねえぞ」
「なんでそんな可愛げの無いこと言うかなーお前は。別にオレはまだ大丈夫だし。酔い潰してやろうか?」
 だから、遼夜を困らせるなって言ってるだろ。
 まあ、いつもより陽気になっているだけで喋り方もしっかりしているので実際そこまで心配はしていないのだが。朝の胸糞悪い気分が綺麗さっぱり消え去っているのを感じて、俺はとても満たされた気持ちになった。うん、来てよかったな。
 つまみ追加で作ってくる、と言って戦線離脱した高槻を「いってらっしゃーい」と見送る八代は顔色もまったく変わっていない。さっきまできゃんきゃん騒いでいたとは思えない笑顔だった。この二人、高校のときから変わってねえな。
 ちょんちょん、と腕をつつかれた。そちらを見上げると、目が合った遼夜が笑う。
「そういえば。奥が一人でこのお店に来るのは珍しいんじゃないか? 何かあったのか?」
「ん? んー、まあ、ちょっと高槻に話を聞いてもらおうかと思って」
「話……」
 気になるなあでも聞いちゃだめだろうな、みたいな表情で悩んでいる遼夜が可愛くて思わず笑みがこぼれる。「お前のことが好きだって話だよ」囁くと、「えっ」という焦ったような声と同時にじわじわそいつの目元が赤く染まっていく。戸惑いと羞恥の入り混じった表情だ。
 ……お前のことが好きだから、お前と一緒にいるときくらいはできる限り最高の恋人でいたいって話。
 本当のことは詳らかにはできない。痴漢に遭ったなんて情けなくて言えないしきっと遼夜は心配するし、済んだことなのに心を痛めると思う。なかなか会えなかった期間に煙草が増えたのも、遼夜に会う前はきっちり前日から禁煙して念入りに歯磨きして風呂に入って消臭してるのも、まだ知らなくていいよ。
 俺の隣で八代が、「はは、胸やけしそー……お腹いっぱい」と乾いた笑いを小さく漏らすのが聞こえる。
 やばい、人前だった。にしても、確かに独り身の八代に聞かせるにはデリカシー無かったかもな。酔っ払いの戯言ってことで、許してくれ。
 やがて高槻が戻ってくる。新しく運ばれてきた料理も美味そうだ。みんなで思い思いにグラスを傾けたりと食事を楽しむ。
 三年以上の年月を隔ててまた昔と同じ面子で喋ることができるのは、きっと実感以上に有難く貴重なことだと思う。大切にしたい。
「……楽しいね、奥」
 近くで聞こえる愛しい囁き声に頷いた。
 今日は長い夜になることだろう。

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