羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 毎年のことなのだが夏バテはつらい。どうにも暑さに弱いたちらしく、ここ最近は家の中でも起き上がる気力が無かった。暑いと気が滅入るし、だからと言ってあまりクーラーにあたっても体がだるくなってしまう。
 食欲が無い俺を心配して行祓が毎日色々考えてくれるのが、ありがたいやら申し訳ないやらでどうすればいいか分からない気分だった。ただの同居人にここまで色々やってくれるなんて、行祓は優しい。ルームシェアを始めてすぐは食事の至れり尽くせりぶりに若干の居心地悪さを感じたりしたけれど、別にあいつはお礼の強要をしてくるでもなし、ただ俺が食べるのを嬉しそうに見ているだけだった。一方的にやってもらってばかりは借りを作るようで嫌なので、掃除や洗濯をしたら大げさに喜んでくれるのもなんだかくすぐったい。
「まゆみちゃん、今日は夕飯食べられそう? というかちょっとは食べた方がいいよ」
 キッチンから行祓の声がする。実家にいた頃は親に甘えて、食欲が無いからフルーツだけとかおかずだけとかをよくやっていたけれど、まさかここで同じことをするわけにもいかない。そう心がけているお陰か、今年は例年よりも顔色がいいしやつれてない……と自分でも思う。
「大丈夫……ちゃんと食うから。今日の夕飯何……?」
「今日はねー、うなぎ! ほんとは土用の丑の日に出そうと思ってたんだけど、まゆみちゃんその頃からバテてたじゃん?」
「あー……そうだな」
「周りに夏バテする奴いなかったからおれも慌てちゃって、あのときはヘルシーでさっぱりなものばっかり作ってたけど、そろそろ精つけなきゃ治るもんも治らないよ」
 確かにそうだ。今年がいつもより体調がマシなのは、ちゃんと三食食ってるからだろう。夏バテって、体調悪化して食欲なくなって食事とらなくなって余計に体調悪化して……っつー悪循環なんだよな。
 俺は気力を振り絞って起き上がる。甘辛いタレの香ばしい匂いがした。
「うまそうな匂いする」
「でしょ? すぐ並べるから待っててよ」
「俺も手伝う……」
 語尾に力が入っていないのが自分で分かるけど、もうこれは仕方ない。先にお茶とコップと、あとは箸を並べていると行祓は丼を二つ抱えてきた。
「うなぎの卵とじだよ。あー、小鉢あったかな……」
 キッチンとテーブルを往復する行祓を横目に、俺は食欲が刺激されるのを感じていた。相変わらずうまそうだ。こうして料理が食卓に並んでいるのを見ると、いくら夏バテでぐったりしててもよし食べようという気持ちになれる。箸休めの小松菜とトマトの酢和えが彩り鮮やかで、それもまたうまそうだった。
「いただきます」
「いただきまーす」
 もういい加減こいつの前で手を合わせるのも恥ずかしくなくなってきた。外ではこの癖が出ないように気を遣わなければいけないから、寧ろこの家では開き直って堂々としている。
 一口食べると、鰻も玉子もふわふわでなんだかとても幸せな気持ちだ。ちょっと甘めのタレで米に照りが出ていておいしい。胃に物が入ったことで体が空腹を思い出したらしく、俺は思う存分箸を進めることができた。そういえば鰻って昔は骨が多くて苦手だったんだけど、いつの間に平気になったんだろう。こいつの料理を食べる前に克服できていてよかった、と何故かそんな風に思った。
「どう? 元気出た?」
「うん。うまいよ」
 お吸い物も優しい味がする。「ありがとう」と行祓にお礼を言うと、そいつはにやりと笑って「ちょっとアンニュイな笑顔のまゆみちゃんもいいね」とからかうように返してきた。
「なんだよそれ」
「ほら、目病み女に風邪引き男ってやつ」
「ん?」
「普段とのギャップにやられちゃうねって意味」
 役得役得、と独り言のように呟いてそいつは箸休めのトマトを口に放り込む。勝手に自己完結されてしまったけれど、目の前の飯がうまいから別にいいか、と思う。こいつの料理を毎日食べられることは俺も役得に感じてる、と言おうかどうか迷って、結局俺の口は今日も行祓の料理を食べることにひたすら集中するのだった。

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