羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 今となっては何故屋上なんかに行こうと思ったのか、あのときの自分の行動が不思議で仕方ない。けれど当時はなにがなんでも屋上に行きたいという気持ちだったので、要するにオレがあいつと出会ったのもあいつを好きになったのも、最初からそうであるように決まっていたということだったのかもしれなかった。

 オレが転校をしたのは、季節外れの二月も終わりかけた頃だった。親が転勤族なので慣れたものだったが、やはりこんな中途半端な時期の転校とあってはいまいちクラスでも浮いてしまっている。ひょっとすると学年が変わるときのクラス替えで友達をつくることを狙って、今は極力おとなしくしておくべきか……なんて考えつつ、オレは昼休みの校内を一人で探索していた。校内マップはできる限り早めに把握しておきたい。
 一階から順番に見ていって、最上階。三階の踊り場のその先に屋上へと続く扉がある。四角い磨りガラス越しにぼんやりと晴天の青が見えた。
 なんとなくドアノブに手をかけて、それが何の抵抗もなく回ったことに驚いた。前の学校では屋上は当然のように立ち入り禁止だったからだ。ちょっとわくわくしてしまう。
 オレはふと思い立って教室に戻り、購買で買った昼飯用のパンを入れた袋を掴んでまた屋上にUターンしてきた。天気はいいし季節のわりに暖かいし、これはもう屋上で昼飯を食うという青春を体験しておかねばと思ったのだ。あいにく一緒に食べてくれる彼女はいないけど……と若干の寂しさを感じつつも屋上に一歩踏み出すと、ふわりと独特なにおいがするのに気付いた。
「ん……? タバコ?」
 そう、オレはもう少しよく考えるべきだった。こんなに天気がよくて日差しが柔らかく降り注いでいて、おまけに立ち入りが制限されていない屋上があるのになぜ人っ子一人いないのかを。
「――めっずらし。喧嘩しそうにない奴がここ来てる」
 上から楽しそうな声が降ってきた。慌てて見上げると、給水塔に上るための梯子の上に仁王立ちする人影がひとつ。
 表情は、逆光でよく見えない。これ以上なく着崩した制服に脱色しているのだろう髪、そして両の耳を貫くピアス。普通の丸いやつじゃなくて、なんか棒みたいなやつだ。痛そうで思わず顔をしかめると、「なぁーにガンつけてんだコラ」とそいつがオレのいる場所までふわりと身を翻して飛び降りてくる。
「うわっ……! あ、あぶなっ」
「んだよ別にぶつかったりしねーよいちいちウザいな。っつーか珍しく知らねえ奴が来たと思ったのに冷やかしか?」
「ひ、冷やかしとかよく分からんけど危ないのはオレじゃなくてあんたの話だって。怪我したらどうするんだよ」
 実際はとても綺麗な身のこなしだったので間違っても着地に失敗しそうな感じではなかったけれど、目の前でそんな危なっかしいことをされると心臓に悪い。
 オレとしては至極当然のことを主張したつもりが、目の前のそいつは一瞬きょとんとしてばつが悪そうに唇をとがらせる。
「……心配してくれた奴につっかかるとかダセェことしちまったし。早く言えよそういうことは」
「り、理不尽……」
 近くで見てみると案外背は高くない。平均以上ではあるが、オレより僅かに低い――くらいだろうか。色素の薄めな瞳が眩しそうに細められて、それがまるで微笑んだように見えたものだから少しどきっとした。
「えっと、ここ、いいとこだな」
「だろ? こんな天気いいと煙草もうまいんだわ」
「……ここはあんたの貸切? って感じ?」
「全然。そこまで独裁気取ってねえし。お前もしかしてマジで飯食いにきただけか? そこ見晴らしいいけど」
 そいつは先ほどまで自分がいた給水塔の上を指差す。今日はいつもつるんでる奴らが他校の生徒と喧嘩をしに行っているから暇なのだ、と聞きもしないのに言ってきた。
 最初は嫌な汗をかいたが、どうやらカツアゲしてくるタイプの不良ではなさそうである。話し相手がいなくてつまらないのだろうか。にしても他校の生徒と喧嘩って、この現代日本でそんなシマ争いみたいなことほんとにあるんだな。こいつは参加してないみだいだけど。
「あんたは喧嘩せんの? 留守番?」
「留守番って! 今回のはなんかつまんなそうだからパスした」
「ふーん……もう飯食った?」
「まだ。学校抜けてラーメン食いに行こうかと思ったんだけど歩くのだりぃ」
 すげー質問攻め、と笑うそいつに自分の身の安全を確信したオレは、「今から飯食うけど一緒にどう」と手元の袋を見せつつ誘ってみる。前の学校に比べて購買が豪華だったことに感動し、つい買いすぎた食料がみっちり詰まっていた。明日の朝飯にする分くらいはありそうだ。一人で食うのも味気ないので一緒にどうだろう。
 そいつは驚いたみたいで、不良は焼きそばパンが好きだろうという偏見に基づきビニールに包まれたパンを差し出したオレを不審げな顔で見ていた。最終的にそいつが尻ポケットから財布を取り出して三百円をオレの手の上に乗せてきたので、ソーセージのパンとチョコチップメロンパンも追加しておく。なんか押し売りみたいだなこれ。
 給水塔は見晴らしがよく、太陽の光もさんさんと降り注ぎコンクリートの地面はほんのり温かかった。カツサンドを頬張っていると、早くも焼きそばパンを食い終わったそいつが「そういやお前見ない顔だけど何年?」と今更すぎることを聞いてくる。
「オレは一年」
「は? タメかよ。マジで見たことねえぞ」
「そりゃ、オレ転校生だし」
「だからちょっと訛ってんのか」
 やっぱ分かるもんなんだな。割と気をつけてたつもりだったんだけど。
「親が転勤族で。半端な時期に転校したからクラスで浮いてるとこ」
「ふーん……浮いてるっつーなら俺もそうだし。俺、兄貴が割と喧嘩強くてこの辺りシメてるからちょっと遠巻きにされてる」
 どうやらその兄貴の取り巻きからは可愛がられているらしいが、同級生からは怖がられているのだとか。曰く、弟のそんな学校生活に危機感を覚えた兄貴が、この一年ほどかけて不良を抜けようとしていて今ごたついているとのことだった。
「確かに弟だからっつって喧嘩売られることもあったけど、別に俺普通に煙草吸うし喧嘩もするしそんな気にする必要ねえのに」
「なんか複雑なんだな」
「別に。最初から恨み買うようなことしなきゃいいんじゃねとは思うけど……まあでもお前みたいな物好きが声かけてきてくれるなら、屋上で一人で煙草吸うのも悪くなかったな」
 そんな風に言われて思わず照れた。オレは平均よりちょっと食う量が多いだけの凡人なので、こんな好意的なことを言われると分不相応な気がして恥ずかしい。特に転校してきたばかりで若干心細かったので、余計に嬉しかった。
「実は、この学校不良多いって聞いててちょっと不安だったんだよ」
「この辺りあんま治安よくないからな」
「高校の編入って難しいから、あんま偏差値高いとこ無理で。あー、えっと、別にこの高校がレベル低いって言ってるわけじゃないんだけど」
「気ィ遣いすぎだろお前、別にいいって。確かに真面目な奴少ないし。俺らの学年が一番マシっぽいぜ」
「だから、二年ではあんたと同じクラスになれたらいいな」
 言って、そいつの様子を窺ってみるとメロンパンを咥えたまま固まっている。三秒待ってやると、もそもそパンを咀嚼してオレの麦茶のペットボトルを当然のように取って、口をつけないようにそれを飲んだ。
「……ごちそーさん」
「え、ああ、ここの購買たくさん種類あっていいな」
「そこの……校門出て左曲がったとこの路地裏にあるラーメン屋うまいから今度行けば」
 そんなざっくりした説明で目的地までたどり着けるだろうかと思ったが、暇なら案内してやらないこともない、なんて言われたので期待していいのかもしれない。というか昼休みに外に抜け出すのはオッケーなのかこの学校?
 と、予鈴が鳴ったので慌ててゴミを片付けて立ち上がる。別れ際、名前を聞かせろと言われそういえば自己紹介すらしていなかった、と我ながら驚いてしまった。
「オレ、的場健太。健太でいいよ。あんたは?」
「春見紘」
「はるみ? 晴れた海?」
「春を見る。下の名前は糸偏の紘」
「へー、綺麗な名前。ヒロって今風な響きでなんかいいなー」
「別に健太も悪くねえだろ。覚えやすいし」
「そうか? じゃあオレの名前覚えといてな」
 同じクラスになれるかもしれないだろ、と言うと何故だかむすっとした顔で頷かれた。何か怒らせるようなことを言ってしまったかと思ったのだが、小さな声で「……はっず」と聞こえてきたのでどうやら照れているだけらしい。よかったよかった。
「じゃあヒロ、またなー」
 ヒロが頷いたのを確認して梯子を下りる。そういえば、ヒロのピアスは光の具合で海の水面のように青く揺らめくシルバーだったなあ、と、オレは教室に戻ってからそのことに改めて思い至ったのだった。

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