羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 休み明けの部活は休まなかった。というか、休めるわけがなかった。おれはいつものようにストレッチをして筋肉をほぐす。文化祭が終わってなんだか急に気温が冷え込んだように感じられた。登校時に息が白くなっていて、もう冬だなあと季節の巡りに感嘆したものだ。
「津軽先輩!」
 前方の、少し離れたところから部活の後輩に声をかけられて顔をあげる。応えるとその女子たちは駆け寄ってきて、「先輩って、高槻先輩とお友達なんですか?」ときらきらした瞳でそう尋ねてきた。
「と、ともだち……ええと、まあ、友達だとあいつが思ってくれているならおれはうれしいというか……」
 思わず歯切れが悪くなってしまう。いや、我ながらあいつとの関係性は微妙なんだよ。なんと言えばいいのか分からない。勝手に友達認定したら怒られるかな……とはらはらしているおれに構わず、女子たちは「仲良しなんだぁー!」とすさまじい解釈をしていた。今のをどう聞いたらそうなるんだ……。
 どうやら彼女たちは外部生で、文化祭で初めて高槻の存在を知ったらしい。かわいそうに。あいつのあれは全部猫かぶりですと言えるわけもなく、すっごくかっこいいですよねという言葉には同意の相槌を打った。なんとなく、高槻がコンテストへの参加に乗り気ではなかった理由が分かる気がする。こういう子たちが一時的に増えるのだろう。
 高槻先輩の誕生日とか好きなものとか分かりますかと聞かれたから、誕生日はついこの間過ぎたばかりで甘いものが全般好きだったと思うよと答えると「やだーかわいい!」と大好評だった。いつも思うのだけれど、この「やだー」という枕詞はなんなのだろう。ニュアンス的には真逆だよなあ。
 好きなものくらいなら話してもいいだろうと思って情報を開示したが、まずかったかもしれない。バレンタインにチョコ渡したら受け取ってくれるかなあ、とはしゃいでいたので、手作りはやめた方がいいと思うよ……と内心で念じる。高槻は料理がとても上手だから、半端なものでは返り討ちに遭いそうだ。
「津軽!」
 今度は右側から声がかかる。今日はよく話しかけられる日だな。もしかして部活中なのに私語をしていたから怒られるのかもしれない……と一瞬気まずく思ったが、すぐにその声が八代のものであることに気付く。どうしたんだろう。
「八代。どうかしたか? 練習場、こっちじゃないよな?」
 短距離とハイジャンプは近頃完全に活動が分かれてしまっている。陸上部自体の規模が大きくなってきて、それぞれ競技別にふさわしい練習ができるようになったからだ。
 八代は笑って、自分の後方を指差した。
「いやあ、今日はちょっと連絡係をね。お前にお客さんだよ」
「うん……?」
 八代の指先を視線で追うと、見間違えようもないやつがいる。近くにいた女子たちが色めき立っているのが分かる。なんだか所在なさげにぽつんと植え込みの横でおれを待っているらしいそいつは――高槻、だった。
 えっ、なんでここにいるんだ……。


「別に俺だって嫌がらせで言ったわけじゃねえし……でもあのチビはめちゃくちゃキレるし……」
 どうやら高槻、律儀にも謝りに来たらしい。あのチビって奥のことか? また怒られるぞ。
「いや、おまえに悪気があったわけではないのは分かっているから……おれも少し、過剰反応してしまった。すまない」
「別にお前が謝ることじゃねえだろ」
 どうして部活中にわざわざ、と聞いてみると、奥のいる場所で話しかけるのはためらわれたからなんだとか。まあ、この時間ならあいつは図書室にいるだろう。
「部活、邪魔して悪かった。俺の用事はそれだけ」
 言い方はまずかったかもしれないけど思ったことしか言ってない、それは本当、と高槻が窺うような視線を向けてくるものだからちょっと楽しくなってしまった。ふと、今年の体力測定や体育祭でのことを思い出して「おまえ、部活には入らないのか?」と聞いてみる。
「あ? 部活? 今入っても半年くらいで引退だろ。まあ……もし入るなら、陸上かバスケがよかったけど」
 そうだったのか。運動神経いいもんなあ。高槻はおそらく高校生活の一年目で――いや、もっとずっと前から何かしらごたごたを抱えていて、そういうのが無ければもしかすると最初から部活に所属していたのかもしれないなとそんな風に思った。
「おまえと競うのは、きっと楽しいだろうね」
 だからおれは思ったままを伝える。高槻はちょっと驚いたような顔をして、視線を下げて、「……そんなこと初めて言ってもらえた」と珍しくたどたどしい声音で呟いた。
 うわあ、こいつ色々ずるいな。八代がこうして何かと仲介をしたくなる気持ちも分かる気がする。
 体育祭で一緒に走ったのを思い出して顔がほころんだ。こいつ、別に色々取り繕わなくても十二分に魅力的だと思うのだけれど。
「来年の体育祭でも、また一緒に走れると嬉しいなあ」
「えっ……いやあれはちょっともう勘弁……」
 おや、ふられてしまった。そんなに勢いよく引きずった記憶は無いのに。というか、おれが普通に走ってぎりぎりついてこられるのは高槻くらいだから、そんなつれないことを言わないでほしい。
「その『納得してません』って顔やめろ、リレーとかならまだいいけど二人三脚とか借り物競走の借り物にされるのは無理だからな……?」
「おまえ、案外と根に持つタイプだったんだね」
「はあ!? お前も自転車とかに引きずられて百メートルくらい走ってみればいいんじゃねえの」
「申し訳ないけれど、百メートル程度なら普通の自転車よりおれの方が速いと思うよ」
「お前……そういうことを言ってるわけじゃねえんだよ……ああもう」
 分かっているよ。少しいじわるをしてしまったね。
 あまりやりすぎるとおれが八代に怒られてしまうから、名残惜しいけれど部活に戻ることにしよう。
「ああそうだ。高槻、最後にひとつ」
「なんだよ」
「おまえ、バレンタインのチョコレートは貰うなら市販と手作りどちらがいい?」
 高槻は、おれの後輩たちの視線にはしっかり気付いていたらしい。「手作りはあんまり……何入ってるか分かんねえし。っつーか自分で作った方が美味い」とちょっぴり苦い顔で答えた。
 予想が当たって嬉しくなる。答えてくれたお礼に、それとなく後輩たちに「手作り以外で」と伝えることにしよう。
 気付けば話し込んでしまっていて、おれは慌ててグラウンドに戻る。後輩がそわそわしていたのでそれを微笑ましく思いつつ、おれはいつだったか高槻に渡してお気に召してもらえたらしいお菓子のブランド名を彼女たちに伝えた。話のついでに聞いておいたけれど、ここのお菓子が好きだと言っていたよ、と添えて。
「えっ津軽先輩マジ神対応! ありがとうございます!」
「もちろんバレンタインは先輩の分もありますよ!」
 いやいや、お気遣いなく。ほんとうに頂けるのならお返しを考えないといけないな。
 この学校のひとたちはあまり、おれのことを怖がらないでくれるから嬉しい。最初はどうなることかと思ったけれど、想像していたよりもずっと、この学校の環境はおれにとって走りやすいものだった。
 冷たい空気を吸い込んで気合を入れる。いい日和だ。コンマ零一秒でも速く走るために、今日も頑張ろう。
 おれにできるのは、努力することくらいだから。

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