羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 っつーかオレ高槻のこと好きだったのかよ。
 オレはベッドの隅っこで小さくなって、今日の出来事を冷静に思い返して恥ずかしさに身悶えていた。高校生にもなって友達の前でマジ泣き、かっこわるい。
 そう、友達だ。高槻はオレの友達。一番仲が良くて、他の大多数の物事よりも優先できる奴。でもどうやらそれだけじゃないらしい、とオレはちゃんと気付いていた。考えることは好きだ。思考することで自分というものの中に一本芯が通る気がする。
 初めて会ったあの日から、オレは高槻敬吾というこの不思議な同級生にたくさん心を揺さぶられてきた。あんまり学校に来ないのに寂しがりで、普段はぶっきらぼうだけど女相手だとやけに愛想がよくて、何でもできるくせに自分のためには何もできない。そんな、矛盾ばかりのこいつをきれいだと思った。傍で見ていたいと思って実際そうしてきたし、次第に見ているだけじゃなくてオレも何か力になれたらいいな、頼ってもらえたら嬉しいな、って思うようになった。
 友達じゃ足りなかった。切っても切れない何かが欲しかった。そう、例えば家族のような。
 そーっと寝返りをうつと隣で眠る高槻の整った顔が視界に入った。そう、隣で寝ている。この家には余分な布団が無くて、「さくらの使ってた布団か俺の隣」と究極の二択を突きつけられたのだ。さくらちゃんの布団を借りるなんてデリカシーゼロなことは流石のオレにもできなかったし、ソファとかなんなら床でもいいよ、って言ったんだけど「親父が帰ってくんの明け方だからリビングで寝てたら起こされるぞ」と退路を塞がれた。というかこいつは男が隣で寝てても気にならないんだろうか。狭いでしょと一応気を遣ったつもりの言葉は、「大丈夫だろ、お前体格だけならそこらの女くらいしか無いし」と失礼極まりない暴言になって返ってきたのでオレとしてはもうどうにでもなれという気持ちである。
 カーテンから漏れる月明かりが、辛うじて視界を確保してくれている。高槻はどうやら早寝早起き派のようで、「おやすみ」と言った十数分後には規則正しい寝息が聞こえてきた。
 本当に、きれいな顔をしている、と思う。行儀よく並んだ睫毛もすっと通った鼻筋もかたちのいい唇も、きっと神様のえこひいきの賜物に違いない。長らく看病生活を続けていたせいか肌は意外なほどに白い。こいつがこれから、もっと日焼けできるようになればいい。夏が好きだと言ったこいつが、好きな季節を満喫できるようになればいい。
 考え事のせいで目が冴えてしまった。こんなにまじまじと見つめる機会なんてもう無いかもしれないし、とひたすら目の前の顔をガン見する。オレはきっと、いや確実にこいつのことが好きで、友達以上の特別になりたくて、それは疑いようもなく確かなことだったんだけど――だからと言って、キスしたいか、抱き締めたいか、と言われるとなんか違う気がする。別にやせ我慢とかじゃない。なんて言えばいいだろう。例えばとってもきれいなガラス細工があったとして、不用意に触れないよなあ、と思うわけだ。こんなきれいな顔に自分の口をくっつけるの、怖くない? もったいねーなーって思う。高槻に言ったら「ばっかじゃねえの」と呆れたような顔をされるんだろうけど。いや、そもそもこんなこと言えないって。
 自分から触れるのは躊躇われるけど、オレのよく知らない他人がこいつに触れるのかと思うとそれも嫌だった。この身勝手な独占欲をオレは飼い慣らすことができるのだろうか。高槻に、気付かれないように。
 なんというか、オレはこいつにかなり好かれてる……と思う。や、そういう意味じゃなくて、純粋に友達として。たぶん今、こいつの一番近くにいる家族以外の人間ってオレだと思う。こいつからの好意みたいなものは強く感じるし、『特別』の枠にきっと入ってる。
 それをなくしちゃうのは、嫌だな。
 オレが不用意なことを言わなければこのまま。高槻と仲良く友達をやっていられる。それはとても魅力的で、少しだけ寂しい。
 ぎゅっと目をつむった。無理やりにでも眠っちゃわないとこの思考は終わらない気がしたから。高槻の呼吸音と、自分の身じろぎによるシーツの衣擦れの音だけが聞こえる室内はとても静かだ。
 明日目を覚ましたとき真っ先に聞こえる声がこいつのものだと思うと、今はそれだけでも得した気分だった。



 食器の触れ合う音で目を覚ます。あくびを噛み殺してリビングに行くと、キッチンに立つ高槻の後ろ姿が見えた。「おはよ……」声をかけると、肩越しに振り返ったそいつは「おはよう。まだ寝ててよかったんだぜ」と笑った。
「何作ってるの」
「ほうれん草とベーコンのソテー」
「うまそう」
「弁当のおかずだから、これは昼にな」
 まるで子供をあやすみたいな言い方をされたのがちょっと恥ずかしいけれど、オレのお願いちゃんと聞いてくれたんだ、って嬉しくなる。高槻はそのままてきぱきと数種類のおかずを作ったかと思えば、別のフライパンを取り出して温め始めた。
「何作るの」
「フレンチトースト」
「オシャレだ……」
「お前は甘いのそんな食わねえよな。目玉焼きとハムのせる」
「高槻は?」
「メープルシロップかける」
「朝からよく食えるね……というかデザートを飯にできる派?」
「うん。まあでも朝くらいだな」
 喋りながらも手を動かすのはやめない高槻。どうやら準備は弁当のおかずを作る前に終わらせていたようで、厚めの食パンがボウルの中で牛乳やら卵やらの液に浸っていた。フライパンの上で多めのバターが融けて、ふわりといい匂いがする。
 そう時間も経たずに完成したフレンチトーストは、綺麗な焼き目がついていていかにも美味しそうだった。一口大にカットして食べるとほんのりミルクと砂糖の風味がして、甘くて柔らかくて優しい味だ。ハムのしょっぱさとちょうどいい塩梅だった。
「美味しいね」
 高槻は笑って「そりゃどーも」と言った。あー、こういうの幸せって言うんでしょ。知ってるよ。
 やっぱりこいつの作るご飯は美味しい。
「オレさー……お前がご飯屋さんとかやってたら毎日とまではいかないけど、きっと週の半分は食いに行くよ」
「お前一人暮らしすんの?」
「いつまでも実家ってわけにもいかなくない? 男だし。大学に入ったらバイトしつつ一人暮らしとか……って思ってる」
「へえ……お前生活力ゼロのくせに」
「そこはほら、必要に迫られたらできるようになるかも」
「じゃあ俺いらねえじゃん」
「なんでそういうこと言うかな!? でもたぶん料理だけはしないよ、一人暮らししたとしても」
 どうしても労力と成果を天秤にかけてしまうたちなのだ。今ってコンビニでもそこそこ美味いし、というかオレが作るよりは明らかに美味いだろうし、頑張って作ってコンビニ以下とかへこむから。
 何故だか高槻はそんなオレの言葉を聞いてちょっと嬉しそうにしていた。まあ、こいつが笑ってくれるならなんでもいっか。最後のひとくちを咀嚼しつつ、ちらりと高槻を見る。高槻は、とても器用にナイフとフォークを操ってフレンチトーストを食べていた。こいつは食べ方も綺麗だ。たぶん高槻なら、椅子に座ってるだけとかでも十分絵になるんだろうなあ。
 ふと高槻と視線が交わる。そいつはちょっと首を傾げて、口の中のものをこくりと飲み込んでからほんの少しだけ恥ずかしそうに笑った。
 あー、かわいいね。ずっるいわ。
 こんな、好きです大切ですってオーラを隠さず出されるとこちらとしても恥ずかしい。でも悪い気分じゃない。たぶんこいつは交友関係が狭く深いタイプ。大多数の他人とうわべだけで接することに苦痛は無いんだろうけど、本当に仲良くする人間はほんの少しでいいんだと思う。
 オレは改めて、入学式の日にこいつとぶつかっててよかった、と思った。何の縁もゆかりも無い中学への受験を決めてよかったし、入試で抽選が実施されなくてよかった。色々な「よかった」を積み重ねて今のこいつとの関係がある。
 こいつもオレと同じように、こうしで出会えて友達になれたことを「よかった」って思ってくれればいいな。
 そして、オレがこいつにとっての幸せの理由のひとつになれるなら、とても嬉しい。

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