羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 潤が鰻を買ってきた。
「魚屋のおじさんがね、お店の前で焼いてたんだー。うまそうだったから買って来ちゃった」
 どんぶり飯の上に豪快にそれを載せてにこにこ笑顔の潤はいつにも増してごきげんだ。楽しそうで何より。鰻なんて接待でたまに食べるくらいだったなと新鮮な気持ちで食卓につく。
 手を合わせてから口をつけたそれは、なるほど確かに美味かった。ビールでも買ってくればよかったかもしれない、と思いながらも、香の物で一旦口の中をリフレッシュする。そういえば、こういうメインの料理が潤の手製のものではないというのはかなり珍しい。こいつの負担も軽くなるしたまにはいいな。俺が休みの日とかはそれこそ俺が頑張って作ってもいいかもしれない。潤みたいには作れないだろうけど、簡単そうなレシピを探してみよう。
 潤は相変わらず食べるのがゆっくりで、俺が鰻を食べているのを見ながらふにゃふにゃの顔で笑いかけてくる。本当に、今日は機嫌がいいらしい。
「お前鰻そんな好きだったっけ?」
「え? えと、うん。すきだよ鰻。うまいよね」
 何やらはぐらかされてしまった。ちょっと赤くなって俯いたのがかわいくて、「潤?」と重ねて聞いてみる。潤はコップを口の前に持ってきて顔を隠すようにすると、「……笑ったりしない?」と上目遣いでこちらを見てきた。
「さあ。お前があんまり可愛かったら笑うかも」
「も、もぉー……、そこは嘘でもいいから笑わないって言ってよ」
「ならお前に嫌な思いはさせないって約束する。これじゃ駄目か?」
 潤は一瞬きょとんとして、「えへへ……いいよ」とはにかんだ。
「えっとね」
「うん」
「魚屋のおじさんが、『これで今夜は旦那さんとラブラブだよ』って買い物しにきた奥さんに言ってた、から」
 思わず箸が止まる。おいおいそれは一歩間違ったらというか普通にセクハラじゃねえかとも思ったけれど、あの魚屋のおっさんなら頷けた。いやそんなことより、俺の目の前でもじもじしている潤の方が問題だ。
 ごくり、と鰻を嚥下する。なんだか胃が熱かった。潤は俺の反応をうかがうように、「おれも、孝成さんとらぶらぶしたいなーって……思ったんだ」と小さく言う。
「……、孝成さん、あの、何か言って……?」
「あー……張り切りすぎたらどうしようって思ってる」
 ニヤけるのを抑えようとして変な顔になっていたらしい。潤が、安心したように「へんなかお!」と笑い声をあげた。こいつめ。後で覚えてろよ。
「ほんとはとろろとかも出そうかと思ったんだけど、あんまりあからさまだと引かれそうだったから」
「結局自分から言うんじゃ一緒のことじゃねえ?」
「だって孝成さん、おれの嫌なことしないって言ってくれたじゃん」
 あっでもでも、やらしー意味だけじゃなくて、これ食べて元気出してほしかったんだよ、と慌てて弁解をする潤。いや、別に俺はやらしー意味で大歓迎だけどな?
「もぉー、結局言っちゃった。孝成さんには秘密にできないなぁ」
「お前のそのバカ正直で素直なとこ、いいと思うけどな」
 こいつに対して「正直」って言葉を当てはめられるようになった自分が少しだけ誇らしく思う。鰻の油でつやつやしている潤の唇を奪ってやりたくて、必死で我慢した。
「……これ食べ終わったらいいことしようね?」
「お前その誘い方は反則だろ……」
 潤は今日も笑っている。昔よりも随分と素直で、ちょっぴりやらしくなった恋人。さて、夕飯の後はまず何をしてやろうかな、なんて、俺は少し大きめに鰻を箸で切って口に運んだ。

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