羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 まゆみちゃんが酔っ払って帰ってきた。
 いや、これだと語弊があるかもしれない。大学の程近くでゼミが一緒の人たちとお酒を飲んで、徒歩五分くらいの距離をのんびり帰って来て、しばらくは普通だったんだけどソファに腰を落ち着けたら酔いが回ってきたらしい。頬が紅潮している。なんだか目つきもぽやっとしていていつもより幼い感じ。
「そんなに酔うまで飲むなんて珍しいねー」
 首筋に触れると熱い。まゆみちゃんは、おれの手が冷たかったのかぴくりと身じろぎして「……つまみがうまくなくて、あんま食う気しなかった……」と途切れがちに言う。そっか、まゆみちゃんって基本的に酒単体で飲むことってあんまり無いから。お酒だけだと酔いも回りやすいよね。
「え、じゃあ腹減ってんじゃない? 何かつくろっか」
 今日は夕飯いらないって言われてたけど、この様子だとたぶん居酒屋では殆ど食べてきてないよね? 空腹だと眠れないだろうし、少しでも食べたほうがいいんじゃないかな。
 いつもだったらこういうことを言っても「わざわざ作らせんの悪いし……」とか「別に一食くらい大丈夫だろ」とか遠慮されちゃうから、どうにかまゆみちゃんを丸め込む台詞を考えていたのだけれど、おれの予想に反して聞こえてきたのは「ん……つくって」というどこか甘えたような声だった。
 なにこれ、ちょっとテンションあがるね。まゆみちゃんにこんな風に甘えてほしいって思ってる女子けっこういそうじゃない? 役得役得。ああでも、こういう普段とはちょっと違う態度で女子のハートを奪ったりしているのかも。普段とギャップがあって新鮮だ。
「まゆみちゃんはそうやって女の子をめろめろにしてるのか……」
「はあ……? なにいってんの」
「甘えてくるまゆみちゃんっておれにとっては珍しいからさ」
「……よく分かんねえけど、はやくして?」
 ええー、なにそれずるい。そんな、楽しみですって顔でふにゃって笑われたらはやく作って食べてもらいたくなっちゃうじゃん。おれはいそいそとキッチンに入る。
 あまり手間はかけられないなーと思いつつ手を動かした。炊飯器の電源はさっき落としたばっかりだから、余っているご飯はまだほんのり温かい。冷蔵庫から作り置きしていた肉味噌を取り出して、ご飯の上にたっぷり乗せる。おれの趣味で肉多めだ。濡らした手にほんの少しだけ塩を振ってご飯をすくう。三つほどおにぎりにしたら、表面にタレを塗ってオーブンで焼き目をつける。香ばしい匂いだ。おれまで腹へってきたなあ。
 と、ここまで終えたところで背中にずしっと何かが乗っかってきた。「いい匂いがする」まゆみちゃんが匂いにつられてやってきたらしい。肩にまゆみちゃんの顎が乗っているのですっと通った鼻筋がよく見えた。
 ああごめん手を止めてる場合じゃなかった、まだ完成じゃないんだよこれ。
 三つのおにぎりのうち二つは普通に皿に載せて、残りの一つは茶碗の中に入れた。おにぎりをオーブンで焼いている間にとっておいた出汁を急須になみなみ注いで、ようやく準備は完了だ。
「まゆみちゃん、危ないから先に座っててね」
「俺も持ってくけど……」
「酔ってるでしょ、落とすと危ないよ」
 こくり、と素直に頷いたまゆみちゃんがソファに戻るのを追いかける。ちゃぶ台に全部並べて、おにぎりの上から急須で出汁を注いだら完成。お茶漬けだ。あ、違った。お茶じゃないけど、お茶漬け……みたいな。
「いただきます」
「うん。どうぞめしあがれ」
 今日もまゆみちゃんはおれの料理に手を合わせてくれる。それだけでも作った甲斐がある。
 湯気をたてるお茶碗からは出汁と味噌の混ざり合ったいい匂いがした。即興で作ったわりにかなりおいしそうにできて満足。食欲をそそる匂いは我ながら会心の出来だ。
 まゆみちゃんは、真っ先に皿の上に乗っているおにぎりを箸で半分に割った。右半分を更に一口大にして口に運ぶ。ふわり、と口元がほころんだのが分かって嬉しかった。
「……うまいよ」
「そっか、よかった!」
 食事中は静かなまゆみちゃん。お茶漬け(お茶じゃないけど)を一口啜って、ちらりとおれを見てくる。どうしたんだろう。
「……食わねえの?」
「えっ、いや、余ったご飯それで全部だったから」
「……これ、箸、口つける前に割ったから汚くねえよ」
 これ、って、この半分になったおにぎり? いや汚いなんて全然思ってないけど! そっか、まゆみちゃん、最初からおれの分のこと考えてくれてたんだ。というかひょっとして少しずつ酔いが醒めてきてるよね? さっきまでの言動が恥ずかしかったのか、いつも以上に口数が少ない。
「ありがとまゆみちゃん、おれも食器持ってくる」
「いや……お前が作ったやつだろそもそも……」
 夕飯は軽くしか食べていない。一人だけだとどうしても適当になっちゃうんだよね。だから、おにぎりくらいなら余裕で入る。やっぱり誰かと一緒の食事はおいしい。
 自分の箸と食器を用意して、おにぎりを茶碗に入れて出汁を注ぐ。はー、あったまるね。エアコンきいてる部屋でこれ食べるって贅沢。
「にしてもさっきのまゆみちゃん可愛かったなあ」
「っ、なに、……悪かったよこんな遅くに飯作らせて」
「いや別に嫌がらせで言ってるんじゃないよ? 役得だなーと思っただけ」
 おれとしては、居酒屋のご飯があんまり美味しくなくて帰ってきた、っていうのもポイント高い。おれの作ったものと比べたのかな? おれの作ったものを選んでくれたのかな? って嬉しくなる。
「役得……っつーなら、俺も」
「ん? なに?」
「遅く帰ってきても、あったかい飯が食える」
「あはは、そんなことでいいの?」
 役得という言葉を当てはめるにはささやかすぎる気がしてそう言うと、むっとした顔をされてしまった。「……『そんなこと』じゃねえし……マジで感謝してるから」箸がそっと置かれて、ごちそうさま、と小さく囁くように言われる。
 食器は俺が洗うからなと念押しされたのでまた思わず笑ってしまった。帰ってきたまゆみちゃんのことを真っ先にお出迎えできて、おれの作った料理はいつでも「うまいよ」って言って食べてもらえて、おまけにこうして甲斐甲斐しく食器洗いを手伝ってもらえるなんてこれ以上の役得は無いと思うよ。
 どんなに可愛い女の子にもこの立ち位置は譲れない。
 酔ったまゆみちゃんはいつもよりちょっぴり甘えたで素直だった。また見たい気もするけれどおれが料理作っちゃったらまゆみちゃんは酔えないし……とジレンマを抱えていると、おれを見たまゆみちゃんは不思議そうに首を傾げた。
 あ、また可愛い顔してる。その表情もいいなあ……なんてね。

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