羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「あっ、みつけた」
 次の日の出勤途中、思わずそんな独り言が小さく漏れた。結局、大の男があまり張り切って花を探すというのもなんだか気恥ずかしくていつもより一本だけ早い電車に乗った。たかだか五分程度の差だったけれど、ほんの少しだけゆっくり歩いていたら、その花を見つけた。マリちゃんにもらった写真と色は少し違うがきっと同じ花だ。
 時刻は十時半を過ぎた辺り。九月に入ったとはいえまだ余裕で暑い。けれどその花は負けじと綺麗に咲いていて、なんだか得した気分になる。同時に、こんな堂々と咲いている花にも気付けないくらい俺は早足でここを通り過ぎてたんだっけ、と不思議に思った。歩きスマホとかはしてないんだけどな。地面ばっか見て歩いてる? 俺は自分で思っているよりも余裕が無かったとでもいうのだろうか。
 いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、そっと道の端に寄って携帯のカメラに花を収める。せっかく教えてもらったから、見つけたよって報告しないと。
 文面は簡単でいいだろう。写真を添付して、本文自体は三行くらいで送った。忘れずにちゃんとゼリーとかのお礼の言葉も添えてみた。よしよし、これで大丈夫。若干うかれた文になってしまったかもだけど。
 店に着いたのはいつも通りの時間で、ちょっと前までなら土日のこの時間に店にいることなんて殆ど無かったのに、それがもう「いつも通り」になったんだなと驚く。土日の早出、嫌だったはずなんだけど。やっぱり太陽光に当たるのって精神的にも肉体的にもいい影響があるのだろうか。
 不思議と、最近は寂しくないのだ。いや、寂しくないと言ってしまうと語弊があるかもしれない。寂しさを持て余してない――と言えばいいだろうか? 一人でも平気。適当な女を引っ掛けなくてもいい。まあ遊びはやめないけれど、純粋に楽しむためだけに誘うことができるようになった気がする。
 朝起きて夜寝るってすごい。理にかなってるな。いいことばかりだ。
 そう思えば残暑の厳しさも受け止められる気がしてうきうきしながら仕事をこなす。休憩時間になって携帯を確認するとマリちゃんから返信がきていて、それが普段よりも長めのメールだったので、ん? と思った。
 マリちゃんのメールはとても丁寧だけれど、長々と文章を送ってくるというタイプではない。そして、必要以上にメールを往復させるタイプでもない。珍しい。マリちゃんも何かいいことがあったのかな。
 マリちゃんからのメールには、俺の送った写真が自分で撮るより何倍もきれいですごい、というようなことが書かれていた。普通に携帯の機種の違いってだけだと思うんだけど、あまりにも手放しに絶賛されたので恥ずかしくもあり嬉しくもあり、という感じ。マリちゃんの学校の近くには、とても綺麗に手入れのされた花壇のある喫茶店が営業しているらしい。今は部活が忙しいけれど落ち着いたらまた行きたい、季節が変わってきっと咲く花も変わるから、と楽しげな様子が文章から伝わってくる。
 マリちゃんのメールってなんかマイナスイオンとか出てそうだよね。書いてあるのは楽しいことばかりだ。酒の席ではここぞとばかりに愚痴る奴が少なくないので、こういうのを見ると嬉しくなる。読んでいると元気になるなあ、と思った。
 そういえばマリちゃんに介抱されたあの日以来、無茶な飲み方もしてないし。元々仕事中に飲むことなんて滅多に無いんだけど、羽振りのいい常連のお客さんなんかはやっぱり自分の酒をオーダーするときバーテンダーにも一杯飲ませてくれる、みたいな感じになる。あまり強く断るのも差し障りがあるし、あのときは確か、個室のVIPルームをとった常連さんにかなり引き止められたのでタイムカードを切ってから一緒に飲んだ。だから厳密に言うと仕事中じゃないんだよね。っつーかバーテンダーの立場で客と酒盛りはまずい。
 裏で働いてるホストはたまに見かけるけど、大変そうだなと思う。だって俺の十倍以上飲んでるでしょあれ。飲むのも仕事ってきついだろうな。訳アリで働いてるホストが多い店らしいけど、うちのオーナーの親族がやってるってことはきっと同じくらいお人好しの物好きなんだろう。
 高卒でこの世界に飛び込んで、この歳まで。俺はこの店に育ててもらったと言っても過言ではない。テーブルマナーとかだってあの人が全部教えてくれたし。実の親は教えてくれなかったからな。俺が使い物になるまで待ってくれたオーナーには頭が上がらない。最近ようやく、自分は利益を生み出せていると感じられるようになって楽しいのだ。
 俺は休憩時間を使ってマリちゃんに返信を打った。今度は少し長めに。仕事の関係以外で結構続いているというのがなんだか嬉しくて、学校のこととか色々聞いてみたりした。あとは、好きなものとか。カクテルを作ったとき、苦手な果物は特に無いと言っていたけれどそういえば好きな物の方は聞いたことがなかったな、って今更気付いたから。あまり質問攻めにしてもなんなので俺もなるべく楽しい感じの話題を選んで送った。
 軽く胃の中に物を入れてホールに戻る。まだまだ夜はこれからだ。太陽にあたるのは大切だけど、やっぱりここは夜の街だから日が落ちてからの方が活気付く。俺はこの街が好きだ。どんな人間でもまとめて飲み込んでくれる、度量の広い街だと思う。それに、不夜城ってなんかかっこいいし。
 たぶん仕事が終わる頃にはまたメールの返信がきてるんじゃないかな、と確信めいたものを感じつつ、俺はそっとシェーカーを手に取った。

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