羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 実は俺も、誰かにプレゼントをするなんてことに慣れてはいなかった。これまで俺が買って帰ってきたりしたものは大体、必要そうだから、使うだろうから……という理由がメインで、もちろん買って帰ることによって喜んでくれるかな、と楽しみにはするのだが、こんな風にただ喜ばせたくて、というのはあまり経験が無い。理由の無いプレゼントって恥ずかしいよな、どうしても。
 潤には、最初に「名前」という渾身のプレゼントをしたので、それを超えるものが俺の頭では思いつけないというのもあるのだが。
「――できれば、形の残るものがいいなぁ」
「あー、俺もそれ言おうと思ってた」
 電車で二十分ほどの場所にある百貨店への道すがら、俺たちはそんな言葉を交わした。
 潤も、かなりしっかりしたプレゼントをくれるつもりで貯金をしていたのだろうし、なくなってしまう食べ物とかよりは残るものがいい。できれば、身に着けたり持ち歩いたりできるものだともっと嬉しい。
「財布とか時計とか靴とか……色々考えたんだけど、いまいちしっくりこなくって。好みじゃないデザイン選んじゃうとまずいから一緒に選んでほしいんだ」
 潤が俺のために選んでくれたものならそれだけで十分嬉しいけどな。
 そんなことを考えつつ、平日で人もまばらな百貨店に到着したのでぶらぶらと練り歩く。男二人でこういう場所はやはり若干浮いているけれど、潤が気にしていないようでよかった。
 俺はあまり持ち物にこだわりが無い方だが、潤がああでもないこうでもないと熱心に選んでくれているのを見ると心ときめくものを感じる。時折、「んんー……もうちょっと明るい色の方がいい?」と悩ましげに首を傾げたりしているのがまた可愛くて微笑ましくなった。
 昔は、買い物に長い時間をかける心理が分からなくてウィンドウショッピングなんてものは殆どやったことがなかった。今日はふと時計を見ると一時間近く経っていて本当に驚く。退屈や居心地の悪さを感じないのは、やっぱりこいつが隣にいるからだろう。
「あっ、ねえねえ孝成さん、あれ」
 くい、とシャツの袖の部分を引かれて歩く。華奢な背中を追った先には、随分と落ち着いた雰囲気の店。価格帯は――そこそこ高めだ。ちょっといいものを普段使いしたいときに使う店、って感じか。
「かっこいいー……ね、これつけたらきっとすごくかっこいいよ」
 そう言って潤がその細い指で示したのは、シルバーのネクタイピンだった。シンプルだがよく見ると控えめな装飾は非常に凝っていて、いいものなのが分かる。入り口の外からでも目を惹くショーケースの中に飾られていたので、この店のイチオシとかそういった類のものなのだろう。
「お、いいな。俺に似合うかはともかく」
「なんでそういうこと言うのーもぉー」
 いや、どう考えてもタイピンみたいな洒落たものは俺には似合わないぞきっと。逆にこういうのをつけておけば少しは頭がよさそうに見えるだろうか? まあ、俺は同僚曰く「身のこなしがいちいち雑」らしいので、動き回ってもネクタイがしっかり固定できるのはいいかもしれないが。
「……俺がつけても変じゃねえかな? 大丈夫だと思うか?」
「絶対大丈夫! っていうかこれつけてる孝成さん見たいからプレゼントしたくなっちゃう」
 潤がしきりに「かっこいい」とはしゃいでくれるので俺もついその気になってしまう。そして駄目押しと言わんばかりに、潤はこんなことを言った。
「あのね、初めて会ったときの孝成さんスーツだったでしょ? いちばん印象に残ってるし、おれ、スーツ着てる孝成さんすごくかっこよくってすき、だから……」
 こいつの目、曇ってるよな……という照れ隠しはどうにか心の中だけにとどめておく。客観的に見て自分より顔のいい奴にここまでべた褒めされると恥ずかしいを通り越して悟りが開けそうだ。まさか仕事場でも俺のことそんな風に言ったりしてないよな? 潤の働いてるスーパーとかコンビニとか、俺も使ってるんだぞ。
 ともあれ、ここまで瞳をきらきらとさせている潤を邪魔する理由なんてどこにもない。実はタイピン憧れてたんだよ。仕事のできる男っぽいだろ、なんか。自分で買うにはかっこつけてる感じで恥ずかしかったけれど、潤からのプレゼントなら毎日つけられる。
「……潤、ありがとな。本当に貰っていいのか?」
「あったりまえじゃん! 包んでもらうね」
 言うが早いか、潤は少し離れた場所にいた店員を呼んでプレゼント用の包装を頼む。意外にもその声音は落ち着いた低めのもので、俺と喋っているときとは印象が随分違うことに驚いた。そういえばこれまで二人で買い物をするときは、俺が財布を出す関係上店員と対話するのは俺ばかりだった。潤は案外、外で他人と話すときはふにゃふにゃした甘そうな感じではないのかもしれない。
 そんな様子が新鮮でついじっと見ていると、潤が恥ずかしそうに「……孝成さん、外で待ってて?」とはにかむ。少し残念だがおとなしく待つとしよう。
 時間にして三分ほどだっただろうか。「お待たせー」と言って出てきた潤は、シックなデザインの手提げ袋を差し出してくる。中を覗くとそこには綺麗にラッピングされた小箱。
「あと、これも」
「ん?」
 一緒に手渡されたのは棒状の――これは、置き傘か。持ち手が木でできていて、なめらかな手触りだ。
「孝成さんよく傘忘れてくるでしょ、電車の中とかに。コンビニのビニール傘じゃなくて、それなら置き忘れたりしないかなって」
 本当にこいつは色々とよく気のつく奴だ。いや、傘を忘れまくってる俺が悪いんだけど。潤から貰ったものなら忘れないように細心の注意を払うだろうから、これで俺もビニール傘を卒業できるかもしれない。
「レジの横にディスプレイされてたから買っちゃった。使ってくれる?」
「使う。これなら鞄にも入るからいいな。ありがとう、こんなに沢山」
「全然足りないよぉ、おれはもっとたくさん孝成さんから貰ってる」
 そんな風に言い切ってもらえることがどれだけ俺の力になっているか、こいつは分かっているのだろうか。
 本当は食事でもして帰ろうかと思っていたのだが、潤が抱きしめてほしそうな顔をしていたので――いや、俺が、すぐにでもこいつを抱きしめてやりたくなったので、昼は冷蔵庫の中のものでどうにかやりくりしてほしいと頼むと「こっちからお願いしようと思ってたくらいだよ」と返ってくる。
 心もち速足で帰り道を並んで歩きながら、俺はこっそり明日の天気予報をチェックした。午後から天気が崩れそうだという、いつもならげんなりしてしまいそうな予報も今は嬉しい。
 明日はこの傘を持って、できればタイピンは潤に一番かっこよく見えるようにつけてもらって、会社に行こう。
「潤」
「なぁに? 孝成さん」
「あー、いや、……ありがとな」
「それ今日何回も聞いたよー」
 何回でも言いたいんだよ。嬉しいから。
 実は潤に指輪を贈りたくて貯金をしているのだということを伝えるタイミングは見失ってしまったけれど、今はまだこの幸せを噛みしめていようと思う。
 いつかその日がやってきたとき、こいつがどんな表情でどんな声音で俺の名前を呼んでくれるのかと思うと、俺は待ち遠しくて潤のくれたタイピンの箱を人差し指で撫でた。


 余談だが、それから二週間ほど経ったある日、俺は同僚の女子社員からこんなことを言われた。曰く、「安来さんは最近恰好よくなった」らしい。お世辞半分だろうがもしやタイピンのお陰か、とも思って話を聞くとそれだけではなく、シャツにアイロンがきっちりかかっているだとか、靴が綺麗に磨かれているとか、ビニール傘を持たなくなったとか――要するに全部潤のお陰なのだが、そういうところがいいのだとか。
 顔の造作じゃなくて、男はそういう細かいところに魅力が出るのだと熱弁してくれたその同僚は、最後にさらりと「安来さんってたぶん結婚してからモテるようになるタイプですよね」と言ってランチに出て行った。俺の手柄ではないことがばればれだった。
 潤の気配りが俺の周囲にも伝わっていて嬉しいやら自分が情けないやらで複雑な気持ちだったけれど、視界の少し下で上品に光るタイピンが目に入ったので、今日も俺には勿体ない「かっこいい」をくれる潤のために頑張ろう、と鞄から弁当箱を取り出した。
 ああ、今日のおかずはなんだろうか。

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