羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 部活の帰りに暁人と大牙と一緒に食事をして、何故だか二人を家に招くことになった。思っていたよりも抵抗は無くて、高校に入学してから確実に何かが変わってきているのを感じる。
 漠然と、食事は家で食べなければならないものだと思っていた。おれは自分で自分を制限しすぎていたのかもしれない。母親はおれの帰宅が少し遅くなった程度では何も言わなかったし、料理長は食材が無駄になったと怒るようなひとではなかった。おれは何を気にしていたのだろうと思う。勝手に周囲の視線にびくびくして、可哀想ぶっていた。恥ずかしい。
 楽しい予定が入ったというのに自意識過剰っぷりに落ち込んでしまったが、夕方からの予定――セツさんのいるお店に遊びに行ったことでそれも解消された。あのひとはいつ会ってもにこにこしていて、こっちまで明るい気持ちになれる。今日は前に行ったときよりも空いていたので長く話をすることができたのだが、セツさんが時折何か物思いに耽っているのが少しだけ気になった。
 おれはメールの受信画面を何度もスクロールして、今日飲んだカクテルの味を思い返す。時間が経てば経つほど記憶は薄れてしまうものなので本当ならその場で答えるべきだったのは分かっているが、またあの場所に訪れる口実が欲しかったのだ。あそこはみんな思い思いに楽しんでいて、おれなんかのことを気にするひとは誰もいない。それが心地よかった。
 それなりに悩んで送ったメールには、とても丁寧な返信がきた。ああいう職業のひとは大勢とメールやラインでやりとりをしているイメージがあって、一人に割ける時間なんてそう多くはないだろうと思っていたのだが、そんなことは感じさせない文面で驚いた。少なくとも、五分やそこらで考えて送ることのできるものではないと思う。
 優しいひとだ。結構歳が離れているのに、お店でたくさんお金を使って帰るわけでもないのに、適当にあしらうなんてことはせずおれの相手をしてくれる。
 もうすぐ学校が始まるのでこれまで以上に気軽に行けない場所になってしまったけれど、また時間を見つけてあの雰囲気に浸りに行きたい。
 セツさんが「材料当ててみて」と言ってきたのは予想外だった。予想外であると同時に嬉しくもあった。子供っぽい考えだというのは分かっている。でも、褒めてもらえたし喜んでもらえたのが嬉しかったのだ。特段この舌が上等なものだとも思わないが、今日ばかりはよくやったと自分を褒めてやりたい。
「うーん……全部分かるかな、今度は」
 前に飲んだものよりもグラスの底の部分が僅かに細く窄まっていて、乳白色から鮮やかな赤色へのグラデーションがとても綺麗なカクテルだった。口をつけて微炭酸なことにまず驚いて、おいしい、と思った。セツさんが作ってくれたものはどちらもおいしかったけれど、今日飲んだものの方が味は好みだ。
 今度お伺いするときは事前に連絡をします、といったことをセツさんに返信して、とりあえず風呂にでも入りながら考えようと立ち上がった。
 明日は二人を迎えに行くから、きちんと準備をしないと。
 教えるのは数学がメインでいいのだろうか……と今更ながら僅かばかり不安に思いつつも、初めて友人を自宅に招くことへの期待の方が上回ったという自分の意識の変化を嬉しく感じた。


「うわっ、塀ながっ! なあこれどこまで続いてんの、門でけーな」
「暁人、頼むからおとなしくしてて……うう、もうちょっとちゃんとした服装で来なきゃだめだったかなぁ」
 次の日、車は出さなくていいのかと言う母親に大丈夫だと断ってから二人を駅まで迎えに行った。まだ本格的に暑くなる前の時間帯で、どうやら大牙が暁人をわざわざ家まで起こしに行ったらしい。まあ、そうしないと昼過ぎまで寝てるって言ってたしな。
 おれの家は駅から少し歩くので、変に気にせず車を出してもらえばよかったかも……と駅に向かう間にさっそく後悔してしまったのだが今更仕方ない。二人と合流して、家に着いたらすぐ涼しい部屋に案内しなければと考えつつ歩いた。十五分ほど歩いたところで今日は自分で門を開けて二人を招き入れる。やっぱり反応が気になって、なんとなく声が小さくなってしまう。
「あの、おれの家って基本的にみんな和装だけど、あんまり気にしないでほしいというかなんというか……」
「なあ万里あの池なにめっちゃデカいんだけど! 鯉いる? 餌やったりできる? っつーかマジで広い、庭で百メートル走できそう」
「万里も家にいるときは着物なの? 俺、着付けって自分じゃできないや」
 ああ、よかった。二人とも気にしないでいてくれるつもりのようだ。暁人に至ってはおれの話を聞いていない。池に鯉がいるかどうかに興味津々らしい。いるかいないかを聞かれるとまあ何匹か泳いでいたはずなので、餌をやっていいか後で聞くのもいいだろう。
 あと、流石に百メートル走はできないぞ。シャトルランくらいなら余裕だろうけど。
 そうこうしているうちに母屋の方からこちらに向かってくる人影が見えて、おれはその意外な人物に驚いてしまう。
「ようこそお越しくださいました。……ふふ、万里のご友人にお会いできるとはね。万里がいつもお世話になっております」
「お邪魔してます! えーと、万里のオニーサン? 似てる! 明日までお世話になりまーす」
「初めまして、あの、万里くんにはいつもお世話になってます。これ、よかったら皆さんでどうぞ」
「あっそーだそーだ大牙と買ってきたんだった。悪い万里、なんか完全に好きに選んだけど許して」
 お土産を持ってきてくれてたのか。そんな、気にしなくてよかったのに。なんだか収拾がつかなくなりそうだったので会話もそこそこに部屋へと通す。暁人が何やら別れ際に兄さんと喋っていて、どうしたんだろうと不思議に思った。

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