5.Take your time

 求めるようにして彼に何度も会いにいった。もうどちらがすきなのか、わからなくなるぐらい。
 きょうもわたしは、仕事を終えてから彼に連絡をする。きていい、と了承を得ると、足早に彼の家へと向かうのだ。
 チャイムを鳴らして彼の出迎えを待つ。この家はそこそこ大きいので、彼がやってくるのには少し時間がかかる。その時間さえも、わたしには惜しい。
 はやく、はやく。顔にはできるだけ出さずに、彼がでてくるのをただ待つ。そして扉が、開く。斜め上を見て、彼の顔を拝もうとする。けれど、そこには彼の顔は、なくて。上から下までゆっくりと視線を動かす、と。
「お姉さん、だあれ?」
 メガネをかけた小さなこどもがわたしを見上げていた。わたしは彼と目線を合わせるために膝を折った。
「沖矢さんの友だちよ。海野です」
「沖矢さんがいってた翔子さんね! どーぞ」
 あの大学院生には子どもでもいたのだろうか。いや、ただの親戚の子どもなのかもしれない。いやいや、血の繋がりがあれば沖矢さん、などと呼ばないだろう。多少の焦りを感じつつ、わたしは彼に促されるままに家にあがった。
「いまちょっと、沖矢さん買い物にいってるんだ」
「ああ、そうなの。きみは沖矢さんのお友だち?」
「うん! ぼくの名前は江戸川コナン!」
「コナン?」
 すごい名前だな。頭に浮かんだのはイギリスの小説家だった。この子の年齢のことを考えると、そういった名前にされることはあるだろうが、知的なのか知的じゃないのか微妙なラインの名前だ。
「そう、コナンくんって言うの。よろしくね」
「お姉さんは、沖矢さんのこと知ってるの?」
 ワントーン低くなった声に、どこか大人っぽさを感じた。
「バーで知り合ってね。それからよくここで一緒にのませてもらってるの」
 疑似恋愛をメインにして、ね。
「そうなんだー! じゃあ、仲良しなんだね!」
 また声が高くなる。さきほどのは聞き間違いだろうか。
「仲良くしてもらってるかな。それよりコナンくん、おうちに帰らなくていいの?」
 もう時間は夜の八時をこえている。明らかにコナンくんは幼く見えるし、あまり遅いと親は心配するだろう。
「きょうは博士の家に泊まるから大丈夫だよ」
「はかせ?」
「うん、この家の隣」
 ご近所で仲がいいというわけか。そういえば隣の阿笠さんは小学生と暮らしていたし、その繋がりで仲がいいかもしれない。なるほど、阿笠博士、ハカセ、ね。
「そっか。沖矢さんとも仲良いんだね」
「うん! シャーロキアンだからね」
 そうか、沖矢さんもシャーロキアンなのか。またこれでひとつ、共通点を見つけてしまった。いや、シャーロキアン、と断言していいことなのか、いまいち本をたくさん読んでいたわけではないわたしからすると確定するのはよくないのだが、間違いなく赤井はわたしより詳しかった。
「わたしももう十年以上前だけど、少し読んでたよ」
「お姉さんはどの話がすき?」
「短編ばかり読んでいたからなあ。ボヘミアの醜聞が印象的かな。女性としてはね」
「そうなんだ! ぼくはね、」
 話せる人間がきたことが嬉しかったのだろう。コナンくんは目を輝かせてシャーロックホームズを語り出す。
「コナンくんにとってのワトスンはいるの?」
「え、」
 すると彼は少し悩んでから「だれかは選べない」なんて言った。
「沖矢さんなんてどう?」
「どうして?」
「ちょうどよさそうじゃない。わりと気づくし」
「わりと、じゃないよ」
 その顔はさっきと同様大人っぽく感じた。なにかを知っているような、そしてそのままわたしを哀れむような表情で見つめてくる。わたしは次にこの子からでることばを、待つだけだった。
「あのひとはなんでもわかってるんだよ」
 きっとそれはわたしに言い聞かせるつもりなんてなかったんだろうけれど、自然となにかを伝えられているような気がした。
「なんでも、か」
「だからお姉さんのことも知ってると思うよ、どんなひとか」
 鼓動が少し、高鳴った。
「そうなんだ。ちょっとこわいね」
「敵にするとね。ねえ、お姉さんはなんで仲良くなったの?」
 純粋無垢そうなこの少年は、とてもわたしに興味を持っているようだった。
「バーでね」
「そうじゃなくて。ほら、きっかけとか理由とか」
「ああ。知り合いにね、似てたんだよ」
「顔とか?」
「ううん。雰囲気とか、人生とか」
「……そのひとはお姉さんにとってどういうひとだったの?」
「だいすきなひとだよ」
 いまでも。過去にしていないあたり、やっぱりまだ未練はあるし、前に沖矢さんが進みたいと言ってくれたにも関わらず立ち止まってばかりいるのだろう。
「どんなひとだったの?」
 まだまだ質問は止まらない。なぜこの子はこうも悲しそうな顔をするのだろう。あなたには関係のないことでしょう。
「ちょっとぶっきらぼうでね。でも仲間のことはすごく大切にしていて、とてもやさしいひと」
 関係がないからこそ、しゃべることは容易だった。
「そのひとは?」
「いなく、なっちゃった」
 わたし自身、苦い表情のまま笑っていたことだろう。この子の眉間にまで皺を寄せさせてしまって、なんて罪深きおとなになってしまったのだろうか。
「お姉さん、悪いことでもしちゃったの?」
 そうね、わたしに振り向いてほしくて、亡くなった恋人を吹っ切ってほしかっただなんて、赤井が知ったら幻滅するかもしれない。いや、それこそ彼はわたしの考えをわかっていたのかもしれない。
 こんなことを聞いてくるなんて、この子はきっとどんな子どもよりも察しがいいのだろう。
「悪いこと、しちゃってたね」
 ああ、どうしよう。この子は決して悪くないのに、わたしの目頭は熱くなっていく。どうにかして顔に力をいれて栓に蓋をするが、いつ壊れて溢れるかわからない。
「お姉さんはきっと悪いひとじゃないよ」
「どうして?」
「じゃないとそんな顔できないよ」
 やっぱり表情もきちんと隠したほうがよかったか。子どもはこういうところに敏感だから、実はほんの少し苦手だ。でもわたしのことを想って言ってくれたことは間違いなく、心を軽くしてくれた。
「悪者に、なれたらよかったのにね」
 ねえ、いまのわたしは沖矢さんに顔向けできるような表情かな。きっと彼も敏いから、わたしが苦しそうにしていたらまた助けようとしてくれるんだろう。あの出会ったバーで、カミカゼを贈ってくれたときみたいに。
「ただいま戻りました」
 背後で沖矢さんの声がする。ここ数週間のうちで、すっかり聞き慣れた音だ。
「コナンくん、留守番ありがとう」
「うん、お姉さんもじゃーね!」
 コナンくんはわたしを気にした様子で、けれど気遣って特には声もかけずに目の前で手を振っていってしまった。わたしも手を振り返して、さよならする。
 わたしはまだ沖矢さんに顔を向けられないまま、無意味に携帯電話を触った。そんなわたしの隣に、彼は腰かける。
「どうした」
「ううん、なんでも」
「うそだな」
「どうして?」
 彼はわたしの頬に手を滑り込ませ、顔を向かせた。さっきよりは、随分と表情筋が解れていたのでバレる可能性は低いはずだ。
「また、悲しそうな顔をしてる」
「……どうしてバレちゃうのかな」
「ぼくだからわかるのかもしれない」
「すごい自信」
「これだけ会っていればな」
「実はバレてしまうかな、とは思ってた」
 それでも隠そうとしたのは性格のせいだろう。これは癖みたいなものだから、どうしようもできない。
 横目でわたしを見て、彼は鼻で笑った。
「ねえ、沖矢さんは、いなくならない?」
 沖矢さんは固まって、「約束はできない」と呟いた。
「そう、そうよね。ごめんなさい、こんなこと」
 けれどあなたはわたしの唇を手のひらで押さえつけた。
「ぼくが消えたとき。それはあなたの幸福が訪れるときだ」
 どうして、そんなことを言うの。
 意味がわからなかったわたしは、手のひらのなかでなんで、と呟いた。彼は手を離した。
「わかるときは、必ずくる」
「いい、こなくていい、こなくていいから」
「そんなこと言うな。お願いだから」
 こっちだって、あなたが消えることは願い下げよ。
 せっかく止めた涙は、気づかぬうちに出てきていて、彼は数粒拭ってからゆっくりとわたしを抱きしめた。
「お願い、いなくならないで」
「それは、どちらに対しての願いかな」
 そんなこと、決まっているじゃない。
「沖矢さんだよ」
 わたしはどちらをより想っているのだろう。
 答えは全く見つからなくて、まるで赤井の腕にいるような感覚に陥りながらゆっくりと息を吸う。この香りでさえも、赤井と重なるのはどうしてだろう。
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