4.Help me

「翔子」
 彼は愛おしそうにソファーのうえでわたしの名前を呼ぶ。それは本来、別のだれかの名前を呼ぶべきはずだろうが、彼は名前の脳内変換をしているのか、はたまたただわたしを慰めるためだけに呼んでくれているのか。

 連れられたさきは、彼の家らしき一軒家だった。そこは先日、依頼を受けて調べていた阿笠博士さん宅の隣だった。そこまで張り込みをしていなかったので、沖矢さんの存在には気づかなかったのかもしれない。こんなところに住んでいるなんて、とんだ金持ちだ。彼の職業がなんであるのかは知らないが、若いわりに社長なんてやっているのかもしれない。
 お互いにお酒に酔ったまどろみのなか、小さな右手と大きな左手を求めるように繋がせていた。だからと言って、赤井と恋人だったわけでもなく、想いを寄せているとはいえ彼は憧れのような存在だったわけで。そんなひとを重ねて、そのひとだと思って、おとなの一夜をそう簡単にすごせるほど器用ではなく。
「すみません、ほんとうに」
「いえ」
 彼は薄く笑いながら、仕方がなさそうにしている。けれどその手を放そうとはせず、わたしはそれに甘えて温もりを感じるだけだ。わたしもわたしで、そう簡単に彼の手を放せずにいたので、これはうれしいことなのだが。沈黙が、はずかしい。
 それを読みとったのか、彼から口を開いてくれた。
「いつきてもらっても構わない」
 敬語を取ったのは、彼なりの近づいた証だろう。
「ありがとう」
 だからわたしもそれに応える。お互いにお互いを気遣いながら、証は信頼へと変える必要があるのだ。
「沖矢さんはどうなの」
「どう、というのは」
「どんな関係がお望みなのかな、と」
「関係、か」
 その考える姿は、どこかやっぱり赤井に似ている。ちょっとの沈黙の末、きちんとことばにして返してくれるとこ。
「これからのために、あなたがぼくの前に現れたと思っている。つまり、」
 そしてまた沈黙。この隙間は、わたしのすきな時間だ。ちょっとどきどきするのだ。なにを言うのかと楽しませてくれる。そして絶妙なタイミングで、彼はふっと鼻で笑う。
「できることなら、進みたい」
 進みたい。それは過去のことを悔やまずにお互いに近寄りたい、ということだとわたしは捉えた。けれどわたしには、まだ少し早い話だった。
「時間が、ほしい」
 本当はむなしい関係のはず。あなたが求めているのはわたしじゃないし、わたしが求めているのもあなたじゃない。
「待てるさ。そのほうがきっとおいしくいただける。精神的にはよくないが」
「そこまでしてあなたは重ねてしまうの?」
「いや、」
 彼は少し考えて、「あなただから待つ。ただそれだけのこと」なんて言うもんだから、沖矢さんを見ればいいのか、はたまたうっすらと見える赤井を見ればいいのか。……うっすら?
 いままではそれなりにはっきりと、赤井を重ねてしまっていた。それがいまはどうだろう。彼は彼で、赤井は影と化してきていた。触れたいと思うのは赤井と似ているから、傍にいたいのは赤井と似た雰囲気に飲まれたいから。そのはずだったのになぜ沖矢昴という存在が見えるのだろうか。それとも、ついに同化させてしまったのか。そこまでいっているのであれば自分の脳内に呆れてしまう。
「そういえば」
 声をかけられて、目の前の人間だけになった。赤井は後片もなく消えて、そこにはただ彼を眺めるわたしを不思議そうに見る沖矢さんの姿があるだけだった。
「あなたの言っていた彼と、ぼくはどこが似ていると?」
「……間、かな」
「ま?」
「うん。あなた、ちょっと考えてからものを言うでしょう。それから小さく鼻で笑って、楽しそうに答えを言うの」
「ほう、くせが似ている、と」
「そう、それ。その感嘆の声とか。あ、声って言っても声色じゃなくてね」
「言っていることはわかる」
「あとは、そうね。ちょっとカサついた白い手とか、大きさとか、布越しの温度とか」
 胸板とか。最後は変態かと疑われるのは嫌なので黙った。
「そういう沖矢さんこそ、どうなの」
 自分から聞いてきたくせに、彼は難しそうな顔をした。けれど答えはわかっていたみたいで、すぐにこちらにまっすぐ顔を向けた。
「すべて」
「え、」
「全部が同じだ」
 いまのわたしの顔はどうなっているだろう。例え、顔が似ているひとが世の中にいるとして、何億といる人間のなかで“すべて“が同じであることは可能性の問題として有り得るのだろうか。わたしには一卵性双生児の姉妹はいないし、偶然にしてはできすぎてるとしか。彼のいう彼女は同一人物、ということだろうか。わたしは彼とどこかで会っていたのか。
 もしかして本物の赤井なのでは? そう考えるとしっくりくるのだが、でもこうまでして顔を変えることは容易ではないだろうし、彼がわざわざ整形なんてするとも思えない。怪盗キッドじゃあるまいし、変装なんて御茶の子さいさい、なんてひとでもなかったように記憶している。では、彼は、なんだと言うのだ。
「あなた、何者?」
「何者、か」
 思ったことを口にしただけなのに、沖矢さんは楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「ただの大学院生、というところかな」
「ああ、大学院生だったんだ」
「言ってなかったか?」
 うそつき。
 彼はきっとただ者じゃない。赤井でもないのだろうが、こうまでして摩訶不思議なことが起きるとどうも疑いたくなるわたしの心情はおかしくない。けれど目の前の彼は、起きた事実を認めてしまっていて、しかも特に心を乱すということもしない。それはただ者じゃない、ということなのではないだろうか。
「あなた、やっぱり似てる」
「やっぱり、というのは?」
「なに考えてるかわからないところだとか、不思議なところだとか」
「誉め言葉としてとっておこう」
「そうね、あのひとに似ている、ていうのは誉め言葉かもしれない」
「一度、その彼を拝みたいところだな」
 沖矢さんは視線をわたしからそらして、天井へ向けた。
 わたしが彼の写真を持っていて、その写真を見せたらあなたはきっと笑うんだろう。似ていない、と言って顔をしかめそうだ。想像を膨らませるとなんだか笑えてしまって、でもやっぱりあなたは似ているのよ、という気持ちを持って彼の肩に頭を預ける。
 あなたもわたしもおかしいの。だからおかしいもの同志、甘えることを許された。それはお互いに了承していることだし、本来はそのさきに進もうとしていたのだからこのぐらいかわいいものだろう。
 そっと、優しく、頭に手が触れられた。心地よくて目をつむる。脳内には赤井がわたしの髪を撫でる姿が映ったので、どうやらまだ沖矢さんと赤井は別のものと認識しているのだと安堵した。いつか混ざりきってしまったら、さすがに自分の脳内がどうかしてしまった証拠なのだろう。
 体制があまりよろしくなかったのか、彼はわたしの頭をゆっくりと自分の膝に移動させた。そしてまた撫でてくれる。
「沖矢さん。名前で呼んだほうが、いい?」
「いえ、どちらでも」
「そう」
 もしかすると、彼の重ねているひとも名字で呼んでいたのかもしれない。それならば、このままのほうがいいだろう。
「翔子」
 彼は愛おしそうにソファーのうえでわたしの名前を呼ぶ。
 手はいまだ離れないまま。何者かもわからない人物に、わたしはなぜか心を許している。
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