3.Stay with me

 沖矢昴に連れられたのはわたしたちが初めてことばを交わしたあのバーだった。端っこの、せまい、せまい、カウンターテーブル。揺れてしまえば触れそうな肩が、自然と緊張を誘った。
 ポツポツと、言ってはならない部分はもちろん隠して、赤井のことを話した。彼が亡くなってしまったこと、わたしは彼がすきだったこと、たまにくれる笑みがうれしかったこと、優しい手が彼を物語っていること。
 恋人という立ち位置で、亡くなってしまったことを除けば惚気にでもなっていただろう。けれど、わたしの顔は終始落ち込んでいたことだろうし、沖矢さんもそれには気づいていたんじゃないだろうか。
「ではぼくの話もしましょう」
 顔をあげて彼を見る。
「どうして」
「ぼくだけがあなたのことを知っているのは申し訳ないと思ったので。それとも、やめておきましょうか」
「いえ、それはぜひ聞かせてください」
 それさえ聞けば、もしかすると沖矢さんを赤井と重ねるのをやめるかもしれない。自分でコントロールできない感情をなんとかしたくてお願いする。
「彼女は、とても強いひとでした」
 過去系で話すことから、おそらく彼のいった彼女と会うことはままならないのだろう。
 彼の言葉に耳をすませ、小さい声をかき集める。それはとても淡々としていて、まるで感情を失くすみたいに話してくれた。

 そうですね、話しにくいのであなたの名前を使いましょう。翔子は、ひとの感情を読み取ることに優れたひとでした。前の恋人を亡くしたあと、すぐにいつも通りになったぼくを周りは大丈夫だと思い、彼らもいつも通りに接するようになってました。元々笑うほうではなかったし、表情筋もかたいので、それは仕方のないことでしたし、決していつも通りがいやだったわけではありません。けれどどこか彼女のことで突っかかってしまう部分はあったんですよ。亡くしたのは自分のせいなんじゃないかと。実際のところ、彼女は自分から命の危険に晒され、自らが命を墜したようなものなので、決してぼくが悪かったというわけではないんでしょうけど、それでも考えてしまいました。そんなときに、翔子が寄ってきて、不安そうにぼくの顔を覗くんです。口ではなにも言ってきませんでしたが、毎回ながら顔には「大丈夫?」と書いてあるんです。そのような友人がいることはとても誇りでした。会う回数を重ねるごとに、「大丈夫?」は「調子よさそうだね」、だとか「この間の話どうだった?」だとか、少しずつ、少しずつ、こちらの傷が癒えるのと同時に会話が増え、普通にしてくれる回数も増えたんです。翔子の笑顔は宝物のようでした。翔子がいなければもっと心は重たかったに違いない。けれどぼくの気持ちの切り替えができてきたころに、ある事件がありましてね。その事件のあと、翔子は姿をくらましてしまったんです。手の届かない、どこかもわからないところに、行ってしまったんです。

 話し終えると、彼は薄い目を少し開けてわたしを見た。その視線がわたしのものと合わさった。
 どうして、わざわざ、わたしの名前を使ったのか。疑問はそこから始まって、どうして沖矢さんの話す人物、仮として翔子と呼ばれた人物が、こうもわたしと重なるのか。余計に、沖矢さんを赤井と重ねてしまうではないか。都合のよすぎる考えに、めまいがしそうだ。
 いつの間にか寄せてしまっていた眉間を、彼は手を近づけてそっと触った。近づいた顔を眺め、顔も声もこんなに違うのに、と相違点を見つけようとするが決めつけた、否、決めつけられた心はそう簡単に方向性を変えない。
「どうして、そうまでして沖矢さんは、あのひとに似ているんでしょう」
「そんなに似ていましたか」
「彼の送った人生までも、似ているんです」
「それは、とんだ偶然、ですね」
「もしかして、なんて考えてばかみたいなのはわかってます。でも、」
 彼は人差し指を自分の唇に置いた。静かにと示唆するように。
「ぼくは、沖矢昴です」
 そんなことわかってるよ。わかっている。だけど、
「どうして、あなたはあのひとじゃないの。どうして」
 ずっとずっと、なんてそんな大それたものではない。けれどわたしはどうしようもなく、彼のことが忘れられなくて、苦しい。
「ぼくでは、代わりになりませんか」
 そのことばを待ち望んでいました。そう言わんばかりに、わたしは手元にあったキューバ・レバーを全て飲みほした。
「キツい、お酒をください」
 お願い、今夜だけでいいの。
「わかりました。すみません、そうですね。……カミカゼを」
 わたしにどうか、夢をください。
「なんで、そんなもの頼むんですか」
「あなたが強い酒をと言ったので」
「あなた、そんなつもりじゃないでしょう?」
 隣の彼に、わたしは噛みつく勢いで胸元の服を掴んだ。想像以上にたくましいその胸に、驚いた。
「では本音をいいましょう」
「なに、よ」
 すぐに離したわたしの手が彼に捕まれる。ちょうどカミカゼがやってきた。それは沖矢さんの目の前に置かれる。空いた手で、彼はわたしとのあいだにグラスを置いた。
「あなたには、ぼくが必要ですか」
 ことばが詰まる。もちろん、本音を言うならばそれは願ったり叶ったりのことばだった。意味がわからないほど、わたしはこどもじゃない。
 でも、これで彼を求めてしまうことは、つまりそれは赤井と重ねるということである。それは正しい選択なのだろうか。いや、止めるべき感情なのだろう。
 目の前のグラスに目を向ける。そして、彼の少し開いた瞳を見つめる。その瞳は明らかに赤井を思い出させて、ついにわたしは、そのグラスに手をだして、口づける。
「ばかですね」
 沖矢さんのことを笑ってみると、彼はそのグラスを奪いわたしと同様口づける。
「それはお互いさまですよ」
 そして空いた手で指を絡ませてきて、グラスのふちをわたしの唇に近づける。応えるようにわたしが甘くグラスを噛むと、それは自然と少し傾いた。口内にはいったカミカゼをゆっくりと喉に流す。傾きの戻ったグラスから唇を離し、彼を見上げ、指の力を強めた。
「……わたしを、助けて」
「ぜひ、お受けいたします」
 隠された言葉は、『あなたを救う』。
  • 3 / 9

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -