1−2

 次に彼らと会うことは一生ないと信じていた。広い世の中、そう簡単に会うことはあるまい。しかし、その姿を翌日に捉えてしまっていた。

 愛菜は百貨店のとある店舗のアパレル店員として働いている途中、目の端に毛利御一行がはいった。愛菜の働く店にはこないだろうと思っていたが、彼ら彼女らがどういった服装を好むのか愛菜にはわからない。

 しばらくして、やっぱりこなかったと安堵していた。接客していた客の買い物袋を店舗入口まで持っていき、渡してから深く礼をした。しかし顔をあげた途端、目の前にあの御一行とプラスアルファとしてついてきたらしい喫茶店の店員がいた。さきほどまで見かけなかったのはなにかの陰で隠れていたからだろう。

 顔をあげた愛菜は一瞬固まり、そして何事もなかったかのように店に引き返そうとした。

「お父さん。これ、お母さんにいいんじゃない?」

 蘭は彼女が受け持っている店舗の商品を手にとった。お父さんと呼ばれた毛利小五郎は気乗りしない様子だが、娘のノリに引き返すのは難しそうだった。母親の可能性があったことに愛菜は頭を抱えたくなったが、いまはそんなことを考えている場合ではない。接客をしなければならないのはわかっていた。しかし、できることならやりたくない。そのまま奥のレジまで移動し、パソコンで在庫管理システムを起動させた。店内で服を畳んで回る店員が蘭たちに声をかけたところでやっと安堵する。さきほど購入してくれた客の商品を確認してからシステムを落とし、レジカウンターの内側でシフト表を開いた。

「あの、」
「はい」

 男性の声が降ってきた。どこか聞き覚えのある声に戸惑いながら顔をあげると、特徴的でありながら爽やかな、一見サーファーにも見てとれるイケメンがそこにはいた。

「どうされましたか?」

 気づかれないように。あなたには初めて会いましたという態度で。

 しかし彼は一切そんなことはしようとせずに話を切り出す。

「きのう、ポアロという喫茶店にいらっしゃいませんでしたか?」

 愛菜の心臓がどきりと鳴った。

「なんてお店かは覚えてないですけど、喫茶店にはいきましたね」
「米花駅が最寄りなんですけど」
「そういえばそうでしたね」
「煙草、吸ってますよね」
「ええ、まあ、はい」

 まるで誘導尋問されているかのような居心地に悪さに笑顔が薄くなる。それに気づいてなんとか表情筋に力をいれた。

「お金、置いていただいたのですが、多かったもので」
「すみません、急に用ができたので。残りはもらってください」
「それはできません。できれば、ぜひ」

 そのあとの言葉を想像するのは簡単だった。

「こちらにこられるときにご連絡ください。そのときにお返しいたします」

 まったくもって、行くつもりはなかった。二度とあの土地には行く予定などなかった。返すことばに困っていると、男性は「もしくは今度お届けに参ります」などと言った。それに愛菜は首を振る。さすがに愛菜の性格がそれを許さなかった。

「いえ、伺います」
「ありがとうございます。ぼくは安室と言います。お名前を教えていただけませんか?」
「岸本です」
「わかりました。ご足労おかけしますが……」

 また愛菜は首を振った。

「あそこのコーヒー、すごくおいしかったので、ぜひ行かせてもらいます」
「そう言っていただけて嬉しいです」

 安室と名乗った男は優しい、しかし業務的な笑みをした。こんなときでさえ作る営業スマイルに、愛菜は関心していた。どこか見覚えのある顔がどうしても自身の違和感として残っているのが気持ち悪いが、他で似たような人間がいるだけなのかもしれない。

 一方、安室は彼女の突き放した態度に違和感を感じていた。本人からすると、笑顔を向けていやな顔をする女性はいないと思っていた。しかし愛菜は、笑顔をむける度に警戒の色を見せる。どこか戸惑いがあるような、疑いをかけているような、信じていない顔をするのである。普通であれば気づきにくいそれに、安室が気づくのは観察眼が優れているからだろう。

「いつごろ、これそうでしょうか」
「そうですね。最近予定が埋まっているし、新しいシフトをつくってからになりますかね」

 愛菜は卓上のカレンダーを手にして眺めた。もちろん、予定がはいっているなどうそだった。別に休みの日は特別な用事があるわけではない。ただあっちに行く用事はないし、作る予定もない。まさに当初の予定通り、一生近づかない気でいたのである。できれば近づきたくない。その気持ちを悟られないように、なにも思っていないような笑みを顔に貼り付けたまま、なにも考えずにカレンダーを見つめる。

「来月あたりですかね」
「一番早くてそのぐらいですね」

 愛菜の返答にうーん、と彼は悩んでみせた。

「少し、日が遠いですね」
「ええ、ですからお返しいただかなくても」

 できればこのまま返さない方向でいってほしい。その意味をこめて安室に微笑みを向けたのだが、どうやら彼にはきかなかったらしい。

「やっぱりお持ちします」

 いらねえって言ってんだろ。

 ひさしぶりの苛立ちに、愛菜は頭を抱えたくなった。

「……明後日、何時ごろになるかはわかりませんけど、伺います。それでいいですか?」

 結局は愛菜が折れることになった。性格が悪いとは思えないが、少し自分勝手がすぎるのではないだろうか。それともただひたすらに客を思って言っていたのだろうか。他の女性客なら喜んでいるところかもしれないが、残念なことに愛菜はそんなものじゃなびかない。性格は顔にでると言われているが、絶対そうであると言い切れるわけがない。このひとだってわからない。甘いマスクをして、実際はとんでもなく性格が悪い可能性だってある。

 キツい口調になってしまっていたのか、安室は少し戸惑いの表情をした。

 この場では相手が客だというのに、なんて態度をとってしまったのだろう。彼女は言い訳をするように、困った顔をして彼を見上げた。

「すみません、こちらの都合で振り回してしまって」
「こちらこそわがままをすみません。本当に大丈夫ですか?」
「はい。車で出る予定だったので。でもあそこの近くって駐車場ありませんよね? それでちょっと、行きづらいな、と」
「きていただけたら、近くの駐車場をお教えしますよ。もしよければゆっくりされてください」

 商売上手だ。こうやって一定の客でもつけているのだろうか。店長までさっさと駆け上がった愛菜でさえも、見事なまでの誘導に感心した。彼の誘導の仕方は愛菜にとってはあまりいい気分にならなかったが。

「わかりました」

 ここまできたのならば仕方がない。基はといえば、ただもう関わりたくないというだけの理由で金だけを置いていった愛菜が悪いのである。その店の人間はそれを気にするひとで、たまたまきっちりしているひとだった。決して安室は悪くない。

 ため息をつきたいのは山々だったが、飲み込んでからバレないように頭を下げた。

「安室さんにこれなんてどう?」

 メンズコーナーで、安室の服を楽しそうに見繕う蘭の声が聞こえた。愛菜も安室もそっちを見やり、先に安室が歩を進めた。その後ろを愛菜が歩く。

 蘭が持っていたのは、淡い水色のシャツ。たしかに顔がさわやかなので、似合わないこともない。けれど少し顔年齢の割りには年寄りのセンスに向かっているその服装はあまり良いとは思えない。時期も合っていない。

「店員さんはどれがいいと思いますか?」

 屈託のない笑みを眩しく感じながら、「そうですね」と安室を上から下まで眺めてから少し離れたところに置いてあった服を持ってくる。エメラルドに近づけた紺が濃いハイネックロングティーシャツ。それとハンガーにかかってあった丈が長めの白ニット。とくにしゃべろうとしていないコナンにも見えるように置く。

「肌が濃い目でいらっしゃるので、はっきりした色もお似合いかもしれませんね」

 シンプルなデザインながら、色が多少の主張をしている。蘭は気にいった様子で、感嘆の声をあげた。続けて聞いてきたのは安室だった。

「合わせるならどういったものがいいですか?」
「そうですね。こちらでしたら、」

 近くにかかっていた色の優しいベージュのチノパンと、多少細身のデニムを選ぶ。これまたシンプルなデザインだが、チノパンには少しスリットが、デニムは縫い糸が赤で施してあった。

「ニットなら、この組み合わせでぜひ着ていただきたいですね」

 白のニットには黒のスキニーを。それを見た安室は苦笑混じりに「少し若すぎませんか?」と言った。

 たとえ高めに設定しても二十七歳、低めに設定して二十二歳。愛菜からするとそのぐらいに見えたので、決して若すぎる服装ではない。童顔なので、低い年齢を言って傷つけるといけないので、年齢については触れないでおく。

「そんなことありませんよ。これからまだ寒くなりますし、お持ちでしたら上に黒のジャケットを着てもいいですね。もっと寒くなったらグレーのチェスターコートに変えてみるのなんてどうでしょうか。ベージュのトレンチもいいかもしれませんね」

 興味があるのか、安室は彼女の薦める服をじっくりと見た。

「ただメンズ商品なので少しお値段が張ってしまいます。気にいっていただけるようでしたらご検討してくださると嬉しいです」

 そこで値段を蘭が確かめた。高校生にはやはり少し高かったのか、顔に驚きの表情が出た。伊達に百貨店に並んでいるだけのことはあって、例えそのなかで安いと言われても街中にあるショッピングモールとは違う。生地の肌触り、服のもち、そういったものはやはり上だ。とくにメンズはそういったもののほうが需要がある傾向だ。それに彼女の働く店はそこまで安い店ではない。

「わかりました。検討しておきます」

 また、あの営業のような笑顔を向けられる。これは買わないだろうな、と思ったが、こんなことはよくあることだ。特別、残念に思うほどのことではない。

 その代わりと言わんばかりに、蘭が気にいったらしい母親へのプレゼントを小五郎が購入した。丁寧にプレゼント包装をしてから店の前まで紙袋を持っていく。渡してから頭を下げ、去っていく親子と、少年と、青年の四人を見送った。

 店内に戻るとアルバイトの店員が愛菜を見ていた。

 なにかおかしかっただろうか。

 ふとそこで、愛菜は自分の置かれている状況を思い出した。本来であればコナンたちはいないはずで、こうして店にやってくることはないのである。もしも見えないなにかに接客をしていたとしたら。

 急に愛菜は心臓をしぼられたような感覚に陥り、吐きそうなほどに体調が悪くなった。顔色を悪くしながらレジカウンターに戻ると、声をかけられる。

「顔色、悪いですけど大丈夫ですか?」

 心配そうな顔をするアルバイトに、愛菜は精一杯の笑顔を向ける。

「うん、大丈夫だよ。ねえそれより、――わたし、変じゃなかった?」

 答えを聞くのが怖かった。しかしこれからもっと間違えた行動を起こすことのほうが怖かった。

 愛菜はできるだけ平静を装って、優しく彼女に聞く。

「え! ぜんっぜん! むしろ体調悪そうなのに、あんな接客できるとかさっすが店長、て思いました!」

 明るく言われた感想に愛菜は胸を撫で下ろした。途端に鼓動が元に戻って血のめぐりがよくなった。

 いまの現実がおかしいことを愛菜は理解していた。それでも、せめて周りから変に思われないのであれば、おかしくなければ、今はいい。この世界はなんであろう、受け止めることができるのならば、それで構わない。

「それよりさっきのひとすっごいかっこよかったですね! いいなー、あんなひと接客できて。あたし、恥ずかしくて引っ込んじゃいました!」
「ああ、だから見てたのね。次からぜひ譲ります」
「え、いいんですか?」

 彼女は目を丸くして愛菜を見た。どうせもう安室はこないだろうと思ったからだった。あくまでも付き合いできているようだったし、服に興味は持っていたが最近のはやりを確認していたのだろう。

「まあ、店長は彼氏いますもんね!」
「けっこう前に別れてるよ」
「え、うそ! あたし聞いてないです!」

 愛菜は営業ではない、薄い笑みを浮かべて遠いところを眺めた。

 もうあんな苦しくて、痛くて、ツラい思いはしたくなかった。男なんて、心で付き合うべきでないと、いつの間にか怖がってしまっていた。
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