4−1
間の抜けた音が愛菜の部屋に響いた。時刻は夜の十一時。こんな時間に、宅配は、ない。
そこら辺に放置していた携帯電話を手に取って握り、インターフォンのカメラを見に立ち上がった。そこに映る人物を目にし、思わず目を丸くする。それこそ、言葉通りに。
「え?」
アポもなしにくるだなんて。
そこには、最近よく見る金髪の、顔の整った男が立っていた。
通話ボタンを押して「どうされました?」と彼女が呑気に聞いてみると、人差し指を自身の唇の前で立てた。そんなことよりも早く中に入れる、という意味の現れだった。
急いで玄関へと向かい、鍵を開けてやる。すると、待ってましたと言わんばかりに扉は開き、目にもとまらぬ速さで入室したその男は「不用心ですね」などと戯言を述べた。かと思うと、後ろ手に鍵を閉めて、愛菜を抱き締める。
愛菜と安室が顔を合わせるのは、実に二週間ぶりだった。そこまで長い時間合っていなかったわけではないし、今までも頻繁に会っているわけではなかったので、安室が取る行動に、愛菜は驚く他ない様子だった。
あなたを抱き締めたい。
あなたとキスがしたい。
あなたと繋がりたい。
あなたと、愛し合いたい。
前回よりも欲深くなった彼の心中は、願うだけには留まらず、けれどどうにか声にならないように呟く。この気持ちを彼女に伝えてしまったら、逃げてしまうかもしれない。それでも伝えずにはいられないほど、恋焦がれるようになってしまったのだった。
「どうしたんですか、急に」
「いえ、なんとなく。一報は入れましたよ」
と、言うので、愛菜は先ほど手に持った携帯電話を見てみると、確かに五分ほど前にメールが一件。『泊めてください』とだけ。
これで一報入れたと言われてもねぇ。
彼女の心情はそれだったが、安室はお構いなしに玄関より先に上がろうとする。
「許可はしておりませんけど」
「拒否、するんですか?」
まるで捨てられた子犬のように。わざとやっていることだとわかるのが、本当の質の悪さを軽減させる。
「……ズルいひと」
呟いたと同時に、安室は彼女を担ぎ、靴を脱ぎ……散らかさずに、きちんと揃えた上で奥へと入った。荒々しく、と見せかけて、丁寧に愛菜をおろしてベッドに座らせる。
今日の安室は、いつもよりギラついていた。細められた瞳はしっかりと愛菜を映して放さない。何に緊張しているのか、はたまた単純に欲を抑えているだけなのか、時たま体を震わせて熱っぽい吐息を漏らす。
お互いに求めている。どうしてこんなにも、お互いを引き付けているのか、ふたりともわかりなどしていなかった。気恥ずかしくて、伝えがたいあの言葉の意味はもしかしたらこのことだということを、なんとなくわかっているはずではあった。けれど、彼女の何にそんなにも惹かれたのか、安室は自分でも答えを見つけられていない。
むさぼるようにキスをして、彼女の舌についた唾液をすすり上げ、開いた口から喘ぎ声を漏らさせる。
こんなにもお互いがお互いを求めているのに、手に入らない。手に入れようとすると、きっと彼女は逃げていってしまう。そう思うのに、安室の行為は止まることを知らない。
「明日、お仕事は?」
「休みですけど」
「ご予定は?」
「安室さんに伝える義理は、ありませんけど」
そうすると、彼はもう一度長いキスをする。離したかと思っても、そこから更に唇を軽く啄んでいたずらに笑んだ。
「言ってくれるまでしましょうか?」
「どっちが先に、我慢できなくなるでしょうね」
彼女は安室の問いには返答せずに、逆に啄んでやって容易に煽り返した。悔しそうながらも、優しい瞳の色をさせて、安室はその行為を受け入れる。
ベッドにふたりでゆっくりと転がり込むときでさえも、決して唇は離さずにいたのに、倒れこんだ後は案外すぐに離れたのだった。お互いに見つめあった状態で、先に口を開いたのは安室だった。
「今日、バレンタイン、なんですよ」
「はい、存じてます」
「これ、受け取ってください」
安室のジャケットから取り出されたのは、小さな縦長の小箱だった。箱に書かれているブランドは、有名なジュエリーブランドだ。
「……もらえません」
「先日、傷つけたお詫びということで」
彼は箱を開けて、入っているアクセサリー、ブレスレットを取り出すと、愛菜の手を取って自身に近づけた。
細くて、白い、その腕に、プレゼントのブレスレットをつける。シンプルで、華奢で、濁りのない色をした、プラチナのブレスレットだ。
上半身を起き上がらせて、着ていたジャケットを安室が脱ぐと、彼の手首にも同じブレスレットが着けられているのが愛菜の目に入った。普段そのような物は着けなさそうな人なだけに、愛菜はそのブレスレットと、自分に着けられたブレスレットを交互に観ながら驚きを隠せずにいた。
「これ」
「どうしても、あなたと繋がりがほしいんです。僕のただのわがままなんですけど」
お互いの手首に光ブレスレット。彼女は、今でも、彼に気持ちを伝えられることを、気持ちを伝えることを恐れているのだろうか。
「こんなこと、したら、ダメですよ」
言葉を一言零すたびに、彼女の声は震えていった。溜まった涙は、ベッドに転がっているが故に、意図も簡単に彼女の瞳から流れていく。
「勘違い、する」
「してください」
「ダメ」
「なにがダメなんです?」
「……になっちゃ」
潤んだ瞳が安室と合った。その瞳が、彼女の口の中で埋もれた言葉の意味を、既に物語っている。
「好きに、なっちゃう」
彼女の頬を撫で、涙を指で拭い、彼女のブレスレットにキスをする。
「私は、あなたたちと違う世界の人間なんです」
「ええ、そうですね」
「だから、ダメ、なんですよ」
絞りだす彼女の言葉を遮るために、一度唇に吸い付く。
「もう、手遅れです」
さっきよりも大粒の涙を流し、彼女は彼を見上げている。そして、彼から発する続きの言葉を、待つ。
「好きなんです、あなたのことが」
もうこれで、後戻りはできない。