3−3−5 

 隣で眠る彼女を、彼はじっと眺めていた。
落とされた化粧の下は、少し顔色が悪いようだが、決して体調が悪いようではなかった。

 うっすらと彼女が目を開けて、暗がりの中で安室と視線を交わせた。
それから、口がこう動いた。

「れ、い」

 突然の呼び方に、思わず、安室は体を起き上がらせて彼女と距離を取った。
それに驚いた彼女も彼女で、「え、なに?」と焦った様子で、安室を見た。

「あなたがどうしてそれを」
「な、なに? 何の話?」

 眉間に皺を寄せる彼に、驚きを隠せない様子のようだが、それよりもさらに驚いているのは安室のほうだ。
なぜ彼女が本名を知っているのか。

「いま、れい、と」
「そんなこと言ってました……?」
「ええ」

 彼の目つきが鋭くなるとともに、何かを観念したように彼女は「そう」と息と一緒に吐いた。

 ほんの少しの沈黙を挟んだ後、ややあって彼女から口を開いた。
第一声は「ごめんなさい」。

「私の記憶では、アムロ、の後に続く名前は、レイ、なんですよね」

 少し肌寒いのか、彼女は布団を寄せ集めてくるまった。
チラリ、と安室を盗み見て、溜息をついて、それから自身の頬をつねり、また溜息をつく。
それから決心して、やっと声を出すために口を開いた。

「警察の人、なんですよね?」

 「なぜそれを」安室の口が音を発さずにそう動いた。
そこで彼が真っ先に思うのは、彼女が組織の人間であるかどうかだった。
彼女の腕を両腕とも掴み、近くで睨みを利かせる。
これは真実を話さなければ、解放してくれないであろうことは彼女も察したようで、喉をゴクリと言わせてから事実を明かす準備を始める。

「あなたに何かできるほどの力はないので、手を放してもらえませんか。名前を知っている理由もお話しします」

 彼女の声は震えていた。安室は、自分が彼女を怖がらせていることに気づいた。
守りたい存在となっていたにも関わらず、自分自身が彼女を怖がらせていたことに引け目を感じ、手を一度放した。
それから、撫でながら彼女の手を包んだ。

「怖がらせてすみません。せめて、あなたと手を繋いでいてもいいですか?」

 恐怖の色をした目を安室に向けながら、優しく触れてくる安室の手に多少の安心感が出たのか、彼女はうつむいてから頷いた。
そして震えた声のまま、感情的にならないように声を抑えつつ語り始める。



 もしかすると、私が初めて、ポアロに行ったときから怪しまれていたのかもしれないし、すでに私のことなんて調べ上げているかもしれないけど。
私、先日、ストーカー化した元彼に襲われて、その後気を失って入院したんです。
どこか悪くしたわけではなく、ただ通報した後にきた警察と顔を合わせたタイミングで気を失って入院しただけなので、大したことはなかったんですけど。
それから、色々とおかしくって。
私の世界には怪盗キッドなんていなかったし、事件なんてこんなに頻繁に起きないし、米花町なんて街はないし。
ポアロに行ったのは、本当に江戸川コナンという少年が存在するのかをこの目で確認しにいっただけで、事前に色々調べていたから、この世に存在することはわかっていたんだけど、本当にいるとは思っていなくて。
コナンって少年は、とある物語の主人公で、それに、あなたが出ていたから。
私の世界にはない新宿ナンバーのRX-7にあなたが乗っていたから。
そういえばそんな人が警察に、レイ、という名前でいたなって思い出したの。
だから、海に行ったあの日、私が死ぬか、あなたたちが死ぬか、私が世界を受け入れるかするかしないとって話をしたの。



 ねぇ、信じられる? こんな話。

 彼女の目がそう言っていた。
その目に、安室は何も言えずにいた。

「一言で言うと、なんていうんですかね? とにかく、私はこの世界の住人じゃなくて、私の認識では、この世界は漫画の中の話なんですよ」
「非現実的なことが……」
「そうですよね。だから、私の言っていること、信じてくれだなんて言えません」

 でも。

 握られていた手が離れて、今度は彼女から安室の手を握り返した。

「そうでもないと、安室さんの名前なんて知っているわけがないと思いませんか? ただの一般人のわたしが、警察だと知っていることもおかしいと思いませんか?」

 必死に訴える彼女の瞳に安室が映っている。

「それも、そう、ですね……。他に、なにか知っていることはあるんですか?」
「他に……?」
「その物語がもしも完結しているのであれば、この後どうなるのか、とか」
「完結はしていなかったし、友達に連れられて映画を見ただけだから……」

 考え事をする時間がややあってから、何かを思いついたようにそういえば、と口を開ける。

「眼鏡をかけた強面の男性が部下にいたような気が……。あと、その事件では、なんだったかな。モノレールの上を、RX-7で安室さんが走っていてすごいことするな、と思った気が」

 それを聞いた安室はふぅ、と一息ついてから両手を放して軽く上げた。

「参った。お手上げだ」

 苦笑に近いながらも、人を疑っているような目はもうしていなかった。
彼女の言っていたことは全て当たっていたのだ。
眼鏡をかけた強面の部下がいることも、
モノレールの線路の上を車で走らせたことも。
公安内部で秘密裏に情報を書き換えていることもあり、ただの一般人がそんなことを知っているわけがない。
モノレールの話については、コナン以外に知っている人間はいないはずなのだ。

「これで、安室さんが私のことを構う理由がなくなりましたね」

 セックスフレンドになってまでも彼女に近づいていたことはお見通しだったようだ。

「いえ……。追いかけるのが、男の性ですから」

 安室は彼女の髪を撫でてから床に落ちた上着を拾った。
腕を通して、家を出る準備をする。
彼女は布団を手繰り寄せ、自身の体を隠している。
今更恥ずかしがっても、昨夜から今朝までの間に全てさらけ出しているというのに。

「また会いにいきます」

 すぐに準備を終えると、玄関まで一直線に向かっていった。
次の約束はしないまま、彼は彼女の存在を再確認するように一度だけ振り向いてから部屋を出て行った。
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