▼ いつかの蝶の羽ばたきは
5話
「アクシオ、羽根ペン!」
机に置かれた私の羽根ペンは一瞬ふわりと浮いたものの直ぐに力なく机に落ちた。
皆が皆杖を振り呪文を唱え、どこからともなく物がひゅんひゅんと飛んでいき教室はてんやわんやとしていた。
ときどきフリットウィック先生がこうするのですよ、と身振り手振りして実演するのを皆見様見真似している。
私は予習も済ませていたので比較的早くに呪文が成功し、隣で項垂れるティティにアクシオを教えていた。
「ようはイメージなの。物体が自分の方に向かってくる様をうまく想像出来ればあとは唱えるだけよ。」
呪文学は魔法の仕組みの理解のための座学と、実際に魔法を使う実技で構成されている。
ティティは前者はしっかりと出来ているものの、後者がいまいち苦手らしい。
ティティは私の言葉をゆっくりと噛み砕くように復唱し、額に手を当てて考え込んだ。
うわ、まつげ長い。
伏せられた彼女のブロンドのまつ毛は美しく、女の私でも見惚れてしまうほどだ。
これはモテるわけだなあ。
不躾にじろじろと友人の顔を見つめる。
そういえばこないだも誰かに告白されていたはずだ。
あれはたしかレイブンクローのトレバーだったっけか。
突然パチッと見開かれた猫目に動揺して体を揺らす。
彼女は少し不思議そうな顔をしたが、特に気にする様子もなく、やってみるわ、と杖をかまえた。
杖を振り上げ前に突き出す。
「アクシオ、羽根ペン!」
彼女が凛とした声で呪文を唱える。
すると、机に置かれていた羽根ペンはひゅんっと迷いなく彼女の手に飛んでいき、握られた。
「やったわ、レーベラ!」
少し興奮気味に羽根ペンと私を交互に見つめる。綺麗なブロンドヘアを揺らして嬉しそうに顔を綻ばせるティティはとても可愛らしい。
「礼には及ばないわ、ティティのちからだも…!」
言葉を続けようとした私の声は最後まで言うことなく止まる。
一瞬、首元がしめられる感覚がした。
何事かと考えるよりもはやく、フードが私の体を思いっきり後ろに引っ張ったのだ。
突然のことに為す術なく私は後ろに倒れる。
背中を長椅子の背もたれにぶつけ、ずり落ちるような形で私は体勢を崩した。
反射的につぶってしまった目を開くと、斜め後方の席だろう、シリウス・ブラックがにやりと嫌な笑みを浮かべているのが見えた。
犯人わかった瞬間、腸が煮えくり返るような気持ちになる。
ああ、またコイツか。
もう見たくない顔が嘲笑うのに、私は寝転んだままの状態で迷いなく、握っていた杖を振り上げた。
「エクスペリアームスっ!!」
…
今思えば、こんなことさえしなければコイツとあんなに関わるハメにならなかったかもしれない。
*
目の前にはいつもの穏やかな雰囲気とは打って変わって、目の端を釣り上げ顔が少し赤くなったフリットウィック先生。
隣には不満そうな顔をしたシリウス・ブラック。
そして今ものすごく冷や汗をかいている、私。
事の発端は先程私が放った武装解除呪文だ。
ヤツに向けて放ったそれはプロテゴによってしっかり跳ね返され、それがスリザリンのソフィに当たり、さらに武装解除呪文で飛ばされたソフィの杖はグリフィンドールのパーサーにあたり、そして杖に驚いたパーサーは練習していたアクシオをフリットウィック先生の足場の本棚に直撃させてしまった。
それは呼び寄せ呪文としてはしっかりと機能しなかったものの、フリットウィック先生の足場を崩すには充分だったのだ。
そのあとのフリットウィック先生は言うまでもなく、バランスを崩して本の山に埋もれたのだった。
そして今にいたる。
フリットウィック先生の髪の生え際には大きなコブができていた。
おそらく本があたってできたそれは痛々しく赤みを帯びている。
あぁ、なんてことをしてしまったんだ私は。
あんな軽率な行動をしなければ…。
まさに断頭台に向かう罪人のような気持ちだ。
フリットウィック先生は、とりあえず一通り言いたいことは言い終えたらしく、ふぅと一息ついた。
そして、向き直ってこちらを見つめた。
先生の真剣な目にすこし狼狽える。
「Ms.バレンシア、聡明なあなたがこの様なことをするとは、非常に残念です。
スリザリンに15点減点。」
減点。
そうだ、忘れていた。
加点こそあれど、減点等とは縁遠かった私はあまりの衝撃にすこし固まる。
どうしよう、お母様になんていえばいいのだ。レポートがAのときだってお母様からお叱りの手紙が届いたのだ。
減点なんて知ったら何を言われるかわからない。
体の中がスゥーっと冷えていくようだった。
先生は固まる私を他所に、横にいる人物に目を向けた。
忌々しい横のブラックは暇そうな顔で長く伸びた自身の黒髪を弄んでいた。
減点などもう慣れっこだというのか。
「Mr.ブラック、あなたもです。そもそも事の発端はあなたなのでしょう。そろそろその趣味の悪いお遊びはおやめなさい、グリフィンドールに20点減点。」
はいはい、と生返事をして、早く帰りたそうに頭をかくブラック。
ブラックはもういつものことなのかフリットウィック先生も呆れたような顔をして続けた。
「そして、罰則についてですが…
丁度困っている先生が居ましてね。
バーキンス先生の資料整理を2人で手伝って貰います。」
「「は?」」
お互いの声が重なる。
罰則?
聞き慣れない言葉にレーベラは一瞬硬直する。
ん?バーキンス先生の手伝い…
は良いとして、2人で?
告げられた罰則は思いのほか軽いものだったが、こいつと2人でという点においては全く違う。
ブラックとはもう関わりたくないのだ。
抗議したいところではあるが、ただでさえ罪悪感と減点で胸がいっぱいだったので、口はパクパクとするだけで、声は発せなかった。
ていうか、バーキンス先生にこのことを知られるのでは…?
あぁ
隣のシリウス・ブラックもこいつと?みたいな顔をしているが、全てはコイツのせいであり、それはこっちのセリフだった。
殴ってやりたい衝動に駆られたが、タダでさえココ最近ははしたない行動が目立っていたので、というか先生の前なので握られた拳を動かすことは無かった。
そのあとも、フリットウィック先生のキーキー声でたっぷりと叱られ、立つのにすら疲れた頃、やっと解放された。
「二人とも以後気をつけるように!」
先生はひゅいんっと杖を一振りさせドアを開けた。そして何かに引っ張られるようにして私達はドアの外に締め出された。
部屋とは違って冷えた空気に一瞬身震いする。
私の頭は減点されたことで頭がいっぱいだった。
今までそんなこと1度だって無かったのに…。お母様にバレたら絶対に叱られてしまう。フリットウィック先生も私に愛想をつかしただろうか。
それに、なによりバーキンス先生になんて思われるだろうか。
考えれば考えるほど不安が募っていく。腹の中になにか重りをのせられていくような感覚だ。
それに胃もキリキリと痛い。
「めんどくせぇ…おい、罰則忘れんじゃねえぞ。」
問題の張本人、私の安寧を脅かす男が私にそう言い置いた。
疲れたように首を鳴らすブラックは全然反省していなさそうだ。
なんだか疲れた…。
こいつに振り回されたせいだ。
昨日の質の悪い睡眠も相俟って私の機嫌は最高潮に悪い。
もう口を聞くことすら面倒くさくなって、私は返事もしないまま歩みを進めた。
後ろでおい、と聞こえたきがしたが、無心で私は寮へと戻る道を急いだ。
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