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▼ 首筋にかかる手に毒牙を


ちっさい頃、それはまだ今みたいにあの家が澱んで重くて、息苦しくなかった頃。
そう思えていた頃だ。

「お兄様!」

階段を元気にかけ下りる音ともに現れた、俺のコガモ、もとい弟であるレギュラスだ。

「おせーぞ、レジー!ちゃんとアレ、持ってきたか?」

俺の胸ほどしかない身長のレギュラスは、その小さな体で支えきれんばかりに大きい筒を抱えている。

「はい、お兄様!クリーチャーにもバレていません!」

「あったりまえだ、アイツにバレたら一巻の終わりだぞ!」

「あと、この本、図書館に行った時に内緒で借りてきたんです!」

弟が得意げに懐から取り出したのは、マグルの本だ。
どぎまぎと不安げな、しかし褒められるのを期待した目でレギュラスは本を掲げている。

「おいおい、母様の手前でそんなモン借りるとは…やるじゃねぇか!」

コツンと拳を胸に当ててやれば、それだけで足元をふらつかせる。しかし、したり顔で小さな悪巧みに目を輝かせていた。

「僕はお兄様よりも嘘が上手いですよ!」

「生意気なコガモがよー。すぐ泣くくせに。」

「泣いてません!」

反抗的な弟は、腕力でねじ伏せるのが兄の常だ。
軽くデコピンをすると、すぐに涙を滲ませた弟にまだまだだと首をすくめ、屋根裏にかけ上った。




「おい、あそこ!ほら見てみろ、赤いヤツだ!あれが1番かっけーぞ!」

つい先程までお役御免でホコリを被っていた望遠鏡を、ホコリだらけの屋根裏で、覗きみる。

ここ最近はもっぱら乗り物全てに興味をそそられていた。弟も、待ちきれない様子で窓枠に掛かった望遠鏡を覗こうとするが、ちっさな体は覗き穴をしっかり見ることができないようだ。

「ほれ、これで見えるか?」

小さくてひょろっとした身体を抱きかかえ持ち上げると、抵抗しようと身をよじるが、非力な弟を押さえつけることは容易い。

「わざわざそんな事しなくても大丈夫ですよ!」

「はいはい、ほら覗いてみろよ、チョーカッコイイぜ!」

諦めの悪い弟を焚きつけると、好奇心に目を光らせて、しぶしぶと望遠鏡に向き直った。

「……わぁ…!あ、動きましたよ!すごいくはやい!どんどん他のくるまを追い越してます!」

「おい、マジか!?ちょっと代われ!」

望遠鏡にしがみつく弟をひっぺがし、食い入るように望遠鏡を覗き見る。
後ろで弟が抗議する声と、背中を叩くちっさな力を無視して、俺は夢中になって覗き込んだ。


男の好奇心というものは、際限がない。
来る日も来る日も、父親や屋敷下僕のクリーチャー、特に母親が躍起になって俺達にマグル達の穢れた歴史を、愚かな過去を教えこんだ。
何をするにも、それらを批判し、遠ざけようとした。

しかし俺達はそんな説教をかいくぐって、外の世界、マグル達への好奇心のままに、知ろうとしたがったのだ。
その度に、外に出たがった俺達を宥めるべくホグズミードへ連れて行かれたものだ。魔法界がいかに素晴らしいかと。
弟はいつもはしゃぎ回り、生意気にも競争的な態度を貫くが、疲れきった頃にはそんな意思もとうに折れきっていて、おんぶをせがむただのワガママなガキで、手を焼いた。

……魔法界がいかに素晴らしいかなんて話は愚問だった。
そんなことは知っていた。ゾンコが大好きだった俺はそんなこととっくに分かっていた。
ゾンコだけじゃなく、目に映るもの全てが子供にとってはおもちゃ箱だった。魔法界っていうものが大好きだった。

ただ、それだけじゃ嫌だった。
どっちかなんて窮屈な世界が何より嫌だった。

そして頭が数百年前から固まったままの母親や父親は言う。
最初は皆そうだと。
そのうち大人になれば私たちの言うことが分かってくるのだと。

しかしそんな日は来ないだろう。
ダメだと言われた事はやる、知らないことは知りたい。それが男というもので、俺のロマンだった。

そのロマンを共有する弟、レギュラスもきっとそうだと思い込んでいた。




少々、否、かなり窮屈だと思っていたグリモールドプレイス12番地が、
それでも平和に過ごせていた日々が、
時を経つ毎に変わっていく。

組み分け帽子が、俺にグリフィンドールと声高々に宣言した日から、ブラック家の伝統を破った愚息の話は、すぐに母親の耳に入ったのだろう。貴族に噂はかかせない。

キングズリー駅から、嫌味ったらしく着替えないままでいた俺のローブを見て、母親は茫然自失といった様子だった。
迎えに来ていたクリーチャーは苦い顔をして、姿あらわししたが、同じ顔のまま、俺を見ようとはせず、食器のありもしない汚れと睨めっこしたままだった。

生き生きと学生生活を楽しむのに連れて、休暇のグリモールドプレイスはドロドロと澱んで地獄のようだった。
母親は俺を見えないもののように扱い、度々ヒステリックを起こしてはワインボトルが砕け散った。
母親はどうやら俺のことを自慢に思っていたらしい。それは俺が何をやるにしても上手くできて、ブラックの高貴で純な血が流れていて……母親の手元で暴れている頃の話だが。

俺の失敗を悟ってからその後は、何かに駆り立てられるようにレギュラスを教育した。

俺とアイツの関わりはほとんど絶たれ、俺の恨み言を夜毎枕元で呟き続け、クリーチャーと2人でマグル教育を施した末に、次の休暇には望み通りの成長を遂げたようだった。

次の年の組み分けでは、どよどよと皆が以前の番狂わせを思い注目する中、帽子には目もくれず、即座にスリザリンと告げられ、可愛げもなく真っ直ぐに歩いて行く姿、つまらなさそうな顔を見て、俺は勝利を確信した。

スリザリンを選んだアイツは一生つまらない籠の中で、外を羨ましがることも許されず、惰性で生きていくのだと。


「お前はいつもいつも、私の言うことが聞けない!出来損ないが!」

「お前なんか産まなきゃよかった。そう、きっと誰がどう育てたって、お前はこうなってたんだわ。」

情緒が不安定で、感情に乱れる母親の様子を呆然として見ていた。
アルコール臭く濡れた頭から赤く滴るワインが妙に熱く感じた。
奥様、と一緒にバカバカしいほど哀れげに嘆くクリーチャーをどこかガラス1枚隔てた向こうの世界のように見ていた。
そうだ。ずっと前から、最初っから俺の居場所なんて無かった。
自分の中の否定できない、変えられない俺の存在は、いつだってこの家に許されたことは無かった。
ただブラック家の跡取りとして育て上げられた、血と、品性と、教養と、ただそれだけがこの家に存在していられる理由だった。


コイツら純血一族様は、ブラック家としての俺以外に、必要なものは無かったんだ。


「……全部俺が踏みにじってやる」

ポツリと呟いたソレは母親、あの女の啜り泣く声にかき消された。









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