▼ 嘘も真も
3話
臭い
酒臭い
吸う空気に濁った酒の匂い、そして微かな香水の匂いがする。
レーベラはぼんやりとした意識のまま目を開いた。
昨日はたしか…
あの黒猫にやられて、髪の毛が染まって…
ふと自分が不自由な状態にあることに気づく。
首元に何かが巻き付いていて、体の上になにか乗っている。
そして、かすかに聞こえる…人の息?
「……エーッ!!」
一瞬にして目が冴えた。
かつてないほどの速さで視線を横へと移動させた。
サラサラの黒髪に、繊細な輪郭の綺麗な横顔、陶器のような肌、長いまつ毛…
トム・リドルだ。
昨日の出来事が走馬灯のように流れ込んだ。
すぐに自分の服を確認した、が不用意に乱れていた訳ではなかった。
何も無かったのだろうか。
突然の状況と、あまり面識のない(それも学校中の憧れのような)トム・リドルに、私はパニックになっていた。
「ぅ…」
うめき声がきこえて咄嗟に身を固めて目を瞑る。
私はこの状況をどう説明すればいいんだろう。
身をよじるトム・リドルに、その体温に、全神経が集中して、なんだかこそばゆくて、さらに身を固める。
私を抱き抱えるように上に乗っていたトム・リドルは抱く力をさらに強めて、私は心臓の音を抑えるのに必死だった。
サラリと首筋に擦れる黒髪と、かかる熱い吐息と、酒臭さの中にも上品に香る彼に、私は全身が溶けそうに熱かった。
思わず距離を取ろうと身をよじったとき、リドルがぱっと、私の体から離れるのを感じた。
咄嗟のことで準備もできていなかった私は、やはり目を瞑った。
しばらく、どちらとも動かない沈黙の後、それを破ったのはリドルだった。
「君、起きてるんだろ」
好意的でも、その逆でもない、温度のない声でそう告げた。
ぶわっと全身に冷や汗が出る。
しばらく狸寝入りを続けようか迷ったが、堪えきれずに目をそっと開いた。
いつもの整った黒髪は、寝起きなのかいつもよりも無造作に乱れている。(しかもそれが色気を助長させている)反対に細く開かれた瞳は鋭くこちらを覗いていた。
「ごめんね、恥ずかしながら昨日の記憶が無くて。
君は僕に連れ込まれたのかい?」
飲みすぎたせいで痛むのだろうか、頭を押さえながら私に聞いた。
トム・リドルとは同じ学年、同じ寮ということで、多少は話したこともあったが特に親しいわけではなかった。寮に関わらずいつもまわりに人がいたのだ。(自分が積極的に関わろうとしてるわけではない)
しかし、それなりに人やなりは知ってるつもりでいた。
目の前で私を鋭くみる彼はいつもと雰囲気が違う気がする。言い訳も何も許さないような、なんだか危険な香りだ。
「それとも…君が僕を連れ込んだ?」
リドルはニコリと感情の読めない笑みを浮かばせた。
「私、ここに迷い込んできて」
「どうやって?ここに入れるのは僕だけだよ。」
「どうやったかはイマイチ覚えてないわ。その扉が勝手に開いたの。」
「疑わしいね。」
「嘘なんて言わないわ」
彼はその綺麗な目で私を数秒じっくりとみた。
「そのようだね」
納得していないような顔をした彼は、ため息をついて、頭をガシガシとかいた。
乱れた神でも絵画に出来そうだと、呑気に心の中で呟いた。
壁掛けの時計を見上げた彼はもう一度横目に私を見る。
「僕になにかされた?」
「……き、スとか」
その後は口を噤んだ。なんだかどちらとも言って欲しくない気持ちは一致しているようだったからだ。
そのまま気まずく目を右往左往していると
『僕がいない間何かをした?』
『いいえ』
『何かを見た?』
『いや』
『本当に?』
『本当よ。』
『君は、蛇語を話せる?』
蛇語…?それはスリザリンの血族しか話せないものではなかったか。
彼が何故そんな事を聞くのかが分からずに私は答える。
『いえ、話せないわ。話したことがないわ。』
「…そうか、わかったよ。ありがとう
…オブリビエイト。」
彼の声色がなんだかはっきり聞こえた気がしたその瞬間、リドルは煙のように消えていった。
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