▼ 白か黒か、赤か緑か
溶けて中の肉が見える指先がじんじんと血液の脈を感じさせる。なかなかグロテスクだ。
しかし医務室へ行くのに積極的だったのはこれのせいだけではない。
実は今朝から月の物(月経)だった。授業を受けれないこともないが、正直あのまま授業を受ける気力がなかった。お腹の奥が重く、心做しか頭痛もあるような気がする。
それはそうと、目の前を歩くスネイプにお詫びをしなければならない。
一度ギュッと目を瞑って息を吐き、後を追いかけた。
「あの、さっき先生に言わなかったよね」
先を行くスネイプは、細長く薄暗い地下廊下の黒と混じりあって曖昧だ。
声をかけたつもりだが、スネイプはピクリともせず歩みを止めない。
スネイプは、何度か話した事があるが苦手なタイプだ。スリザリンの中でも彼は浮いている。
常に人を跳ね除けるような態度で、気軽に話しかける人はあまり見ない。
「あれ、私の友達の呪文で」
「ごめんなさい」
追いつこうと小走りで、諦めずに話しかける。
必死にぶら下げた笑顔は効果ナシ。
「グリフィンドールにやるつもりでやったらしいんだけど、跳ね返されちゃって」
聞いていなくても言うだけ言えばいいと思っていたが、スネイプはいきなり立ち止まり、バサリとローブを翻し、ビシッと効果音が着きそうな勢いで振り返った。
「お前は…どっちなんだ」
「え?」
いつもの目付きが良いとはいえないスネイプの5倍くらいはひどい、ギラギラとした目で睨みつけられる。
私はスネイプの言葉の意味を測りかねていた。
「前のホグズミードのこと、レギュラスから聞いた。」
「ホグズミードって、」
「最近のアイツの行動を見るに、もう冷められたか?」
スネイプは馬鹿にしたように、そして隠しきれない嫌悪感を含めてそう言った。
アイツ、とはきっとシリウスのことだ。
「…彼とは何の関係もないわ。」
左の指先がぴくりと反応した気がしたが、右手でそれを押さえつけ、同じように脳裏に浮かんだあの時のシリウスを、必死に押し込めた。
もうやましいことはないのに、スネイプの目を見れなかった。
「あんな奴にいつまでも惚けるな」
呆れたように息を吐いて、スネイプはこちらに歩み寄る。
私の言葉は聞いていないようだった。
「だから私、そんな気持ちは…」
じわじわとにじり寄るスネイプに、握りしめる右手の力は比例する。
思ってない。思っていない。シリウスなんか嫌いだ。大嫌いだ。グリフィンドールは嫌い。マグルも大嫌い。マグルの味方をする奴も大嫌いだ。
頭の中で言葉が暴れるようにグルグルと回った。
いつの間にか石畳の床を向いていた私の視界に、黒のローファー、スネイプのつま先が映っていた。
「そう思うならそれ相応に行動しろ。」
スネイプの声が近い。先程とは違って囁くように言う。
おもわず顔をあげた私の目を、スネイプはじっと見た。
彼の頭にはきっとシリウスやポッターにどう仕返ししてやるかしか無いのだろう。
私を見つめる瞳は私を見ていないようだった。
「わかってる…」
頭痛が酷い、体も重たい。
段々、目の前のスネイプが霞んでいく。怪訝な表情で私をみている。
あれ
スネイプの肩がだんだんと近くなっていく気がした。
「ぉ…おい!」
遠くで私を呼ぶ声がする。
必死で私を揺さぶって、何だか覚えのある感覚だ。
寒くて、白くて、オレンジの光に照らされている。
凍える中、あたたかい貴方に触れた。
優しい声が懐かしい。
そんなに遠くない過去なのに、とても懐かしい。
ただずっとあのままでいたかった。
戻りたいな。
…
薬品の匂いが鼻腔をくすぐる。
気分が良い。柔らかな綿生地のシーツに包まれ、素晴らしい心地で、ここから出たくないと感じた。
『びーひゅろびーひゅろ〜いたずらさんじょうまだむーぽぽぽんり〜よんこいち〜』
突然の音に私は飛び上がる。
瞼を擦ってみると、真っ白の掛け布団と、カーテン。音の根源はベッドの横から顔を出す猿のおもちゃだった。
白衣をきて、看護師のような姿をしたソレは不気味な笑顔を浮かべている。
「うるさいですよ!まったく趣味の悪い!」
シャッとカーテンを開き、ヒステリックに叫ぶのはマダムポンフリー。彼女をみてここは医務室で間違いなかったと確信する。
マダムポンフリーは私をちらりと見たあと、カツカツと未だに叫び続ける猿に歩み寄り、どこからか取り出したハサミで猿の首を切った。
果たして私の知ってるマダムはこんな風だっただろうか。固まってマダムの方をみていると、マダムは忌々しげに見つめていた猿から私に向きなおり、和やかな笑顔を浮かべた。
「あら、これで魔法が切れるのよ。」
表情の変化の速さに呆気を取られていると、マダムは説明を続けた。
「これも、あの子達、悪戯仕掛け人達の仕業です。
全部取り除いたと思っていたのにまだあったとは、本当に!患者の安静が第一というのに!!」
徐々にボルテージを上げるマダムに、目を白黒させていると、再びマダムはハッとして私に和やかな笑顔を向ける。
何が目的で、こんなしょうもない悪戯をしたんだろう。本当に呆れる。
「貴方が倒れたと、ミスタースネイプが運んできてくれました。」
「スネイプが?」
記憶を辿り、スネイプの仏頂面が思い浮かんだ。私、あのあとスネイプに、抱きついたような…。
なんて恐ろしい!あとで何て言われるか!
「貴方にはこの月経症薬を飲ませております。」
頭を抱え込んでいた私にマダムは淡々と告げる。
マダムの左手には、ゴブレットが握られており、中はこぽこぽとと音を立てるココアのような見た目の液体があった。
甘い匂いがする。
「これにはある種の副作用がありまして、いえまあでも、もう消灯時間もとうに過ぎていますし、貴方は今晩ここに居て、幸い今日あなた以外患者はいません。特に問題がないことでしょう。」
マダムは壁掛け時計をちらりとみて言った。
「それでは貴方も目覚めたことだし、私は部屋に帰ります。その様子だともう特に問題はなさそうだけれど、念の為医務室で、薬をもう一度飲んで寝なさい。それとお見舞いの品はここに。」
マダムは矢継ぎ早にそういって、籠を持って見せた。籠には数個のお菓子と本がスペースを十分に確保して入ってあった。
「わかっていると思うけど、出歩かないように。それでは良い夜を。」
マダムポンフリーはにっこりと口角を吊り上げた笑顔を残し、去っていった。
気分は良い。さすがマダムだ。パッと左手を見ると、昼間焼け焦げた跡も、綺麗さっぱり無くなっていた。不思議なもんだなと魔女ながらに思った。
こうやって治るなら、何したって良いのかな。治したら彼らは何も悪くなくなるのかな。
気分はいいはずなのに、心は感傷的で、心に浮かぶ些細な傷をすくって私に見せる。
「だめだ、だめだ。」
最近本当にこんなことばっかり。ちょっとやそっと、嫌なことされたくらいでめそめそめそめそ。感傷的になったって仕方が無い。シリウスのことだって…
「だーーっ」
思い浮かぶ種を振り払うように頭を振る。
そうだ、お見舞い品。元気が出そうだ。
そう思うや否や、私はマダムが先程足元に置いた籠に飛びついた。
やはり籠の中は寂しげな量だ。数日前ルシウスマルフォイが箒の授業で転落して医務室に運ばれた時は、籠4個分はあったと聞いたけど。
いや、マルフォイと比べる必要は無い。彼はファンが多いし。ちなみに籠のうちひとつは悪戯仕掛け人の魔法で…ってまたシリウスだ。
何故だかさっきから頭から離れない。
再び頭をぶんぶんと振り、お見舞い籠を探ることにした。
『牛乳ヌガー大量祭り (いちご牛乳味あたる!)』
センスが良い。これはティティね。
晩御飯も食べていないからちょうどお腹が空いていた。紐を解いて袋からヌガーを取り出し食べる。
ザクザクと音を立てて食べていると、中に手紙が入ってることに気づく。このピンク色、間違いなくティティだ。
『レーベラ!今日は大変だったわね!これを読んでるってことはこんばんはが良いかしら?私はなんとかスラグホーンにバレずに過ごしたわ。それにしてもアイツらって本当最悪。スネイプと貴方が出来てる〜闇のカップルだとかなんだとか。本当に幼稚だわ。あの中にいたトレバー、私に告白してきたやつなんだけど、やっぱりグリフィンドールって最低ね!ちょっと顔が良いから考えてみようと思ってたのに…。今度こっぴどく振っとくわ!レーベラ、体調は多分マダムに聞いたらすぐに治るって言ってたから大丈夫よね。でもこれからはしんどくなったら親友の私に言ってね。すぐ抱え込むから心配だわ。
あ、そうそう長くなっちゃったけど、レーベラなら課題が心配でしょ?今日天文学の課題が出たわ。明日の授業まで。最悪!忘れないようにね、あなた課題大好きでしょ?
愛してるわ。
あなたの親友ティティより』
流暢でパワフルな文章と、色ペンで書かれたそれに目がチカチカした。
なんだか色んなことを書いてたけど、重要なことは…
「……天文学のレポート、明日までって!」
今日だして明日提出ってことは、今晩の星を見に行くしか無いじゃない。時刻は12時。
消灯時間はマダムが言った通りとっくに過ぎていた。
でも課題を忘れる訳にはいかない。そんなことしたことないし、ただでさえ天文学は苦手なんだ。
参考資料も借りてないし、状況は絶望的だ。
どうしよう。天文学のレポートの内容は手紙に入っていたもう1枚の紙に書いてある。
『星占いと実際の星の関連性、星を読んで明後日の運勢を占う。よ!心配しないで、レギュラスにこのこと伝えておいたわ。』
再び籠に目をやると、本が。
『ザ星見表・いつでもどこでもまるわかり!』
最高よ、レギュラス…!!
一気に希望の光が差し込んできた。
ちらっと医務室の窓を見るが、細長くて小さい。とても空は見渡せない。窓から雲が迫ってきているのが見えた。急がないと、雲で星が隠れる。
天文台に行こう。
私は規則を破るために大きく鳴る心臓を右手で押え、左手に星見表を持ち、そっと医務室の扉を開けた。
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