SPARK!


とりあえず、最悪。
その気になれば凍死できる気がするよ。
子どもって雪好きだけど、アレどうしてなんだろうね。
俺は物心付いた頃から修行やら任務やらで、雪が降って嬉しいだの楽しいだの思ったことなんて一度もなかったよ。
もうほら、手足は悴むどころか凍り付きそう。
頼りの鼻だって、気が付いてないだけでもげちゃってるかもしれない。
耳はもげてる、絶対もげてる。
だって寒過ぎるよ。
本当、この儘だと真面目に死にそう。

思考は寒さですっかりネガティヴになってしまったけれど、そんな心を唯一支える糧。
待機所。
待機所ならいつもストーブ点けっぱなしだし、絶対誰かいるから二酸化炭素ムンムンで暖かいのは間違ない。
冷え切った身体を一刻も早く暖めたくて、今にも凍結しそうな身体に、俺は只管鞭を打った。


「なああああ!」


超絶暖かかったお目当ての待機所にようやっと辿り着いた途端、この俺が猪木もビックリな奇声を発したのには訳がある。

「お疲れ様でぃーす。」

残念ながら、よりによって部屋にたった一人名前がいたからという理由ではない。
猪木から励ましのビンタを百パーセント頂けること請け合いの、やる気も労いも全く感じられない発言があったからでもない。
これはいつものことだ。
因みに、俺なら往復でくれてやる。

「何でストーブ消しちゃうのよ!」

今の今まで燃え盛っていたはずの炎が、シュボシュボ等とほざきながら、俺の目の前から消え去っていく。
炎を囲んで真赤だった金属も、みるみる色を失っていった。
次いで、灯油臭さが鼻を突く。
…あ、鼻、ちゃんとくっ付いてるみたい。

「ってそうじゃなくて!」
「誰に突っ込み入れてるんスか。」

絶対態とに違いない。
どこからか俺が帰還することを嗅ぎ付けて、待機所に入るのを今か今かと待ち構えていたに違いない。
こんなつまらない嫌がらせをするためだけに、夜の夜中まで。
お前、相当暇そうだね、
厭味の一つでも言ってやりたかったが、生憎今はそれどころじゃない。
即刻ストーブを復活させないと、命に関わる、ガチで。

ジィィーー…

固まった指先で金属製の小さな扉を何とかこじ開け、縋る様にレバーをスライドさせれば、火は素直に灯ってくれた。
どこかの馬鹿とは大違いだ。
少しの熱も逃すまいと、ストーブのすぐ前に膝を立て、手をかざす。
温もりが手に入るのならば、灯油臭さも何てことない。

カシュン、

すぐ横でした、聞き慣れた音。
香ばしい匂いが鼻を掠め、それが缶珈琲だと分かった。
任務の間ろくに飲み食いできないでいた俺は、不覚にも振り向いてしまう。
しまった。
これもあの馬鹿が仕掛けた罠に違いない。
きっと俺の前で一人だけ、美味そうに珈琲を飲み干すに違いない。
一瞬そう思ったけれど。
予想に反して、彼女は自分の物とは別の一本を俺に差し出していた。

「どうぞ、バカカシ先輩。」
「おん前…、」
「要らないんですか?」

半笑いを惜し気なく晒す彼女は、どう頑張って見ても胡散臭い。
しかし、身体の芯から冷え切っている今、藁にも縋る思いだった。

「…くれるの?」
「どうぞ、遠慮はいりませんよ。」

目の前に差し出された缶を良く見れば、甘臭い彼女の珈琲とは違い、俺の珈琲はちゃんとブラックだった。
彼女の様子を窺えば、極自然な笑みを湛えている様に見える。
流石の彼女も、凍え死にそうな俺を心配してくれたのかもしれない。
ここはありがたく、彼女の厚意に甘えることにしよう。
そう思った矢先だった。
差し出した手を擦り抜け、缶珈琲が思っクソ首に押し当てられたのは。

「ほら、キモチイイでしょうバカカシ先ぱ」
「冷てぇよ!!」

言うと同時に、珈琲ごと手を払い除けた。
床に缶が叩き付けられる音と共に、卑しい笑い声が部屋中に響く。
危ない。
生命の危機を感じた。
だって一瞬花畑がちら付いて見えたよ。

「ちょっと!何でコーヒー冷たいの、殺す気?」
「いけませんか。」
「外見て欲しいんですけど。ていうかこの肩に積もってるモノ見て欲しいんですけど。」
「ああ、雪。降ってるみたいですね。」
「降ってるどころじゃないよ。ガンガン吹雪いてるよ!」

俺の命懸けの説教など、コイツは全く聞いてやしなかった。
それどころか、ニヤニヤしながらこれ見よがしに、湯気の立つ珈琲をズルズルと啜る馬鹿女。
俺は自分の直感が正しかったと気付くと同時に、思考が吹っ飛んだ気がした。
否、とっくの昔に吹っ飛んでいたのだろう。
いつもなら、コイツの考えていることは手に取る様に分かるのだ。
なんせ、コイツは馬鹿なのだから。
俺のことをどうやって貶そうか、どうやって陥れようか。
そんなことしか考えていないのだ。
それなのに、コイツに一杯食わされるなんて、脳味噌まで硬直しているからに違いない。
寒さだ。
全部全部、寒さのせいなのだ。

「こんな冷水シャビシャビの服なんか着てるから寒いんだよ!」

苛立つ気持ちに任せてベストを放り投げる。
びしょ濡れで厚ぼったくなった忍服も同じ様に脱ぎ捨てた。
いきなり上半身裸になった俺に流石の彼女も驚いている様子だが、とにかく俺には余裕がない。

「お前も脱いで、」
「はっ?な、何を、」
「いいから!」

甘い珈琲を握っていた利き手の手首。
無理矢理掴んで引き寄せたものだから、缶は床へと一直線。
珈琲がぶちまけられていることなど一切構わず、名前の服を裾から豪快に捲り上げた。

「やっ、いやだっ」

上着を毟り取り、下着姿になった彼女を無我夢中で抱き寄せた。
隙間なんてなくなる程キツく締め付けて、身体を密着させる。
ストーブの熱を充分に蓄えた肌は熱い位で、唯只管その温もりを貪った。
氷の様に冷え固まった指を背中に這わすと、身体をビクビクさせながら悲鳴を上げていたけれど、そんなの知ったことじゃなかった。
項から髪の毛を掻き分けるようにして指を這わせ、頭皮の熱まで容赦なく奪う。

「あっ…、たか」

冷え切っていた鼻を髪の毛に押し付けると、漸く何もかも満たされた様な気がした。
寒い時は、やはり人肌に限る。
忘れ掛けていた体温を、身体はやっと思い出してくれた様だ。
末端がじんじんと疼き出し、熱を生み出している様な、そんな感覚。
温もりの余韻を味わう様に、首筋に唇を押し付けた時。
名前が震えていることに気付いた。
体温を根刮ぎ奪われて、寒くなったのだろうか。
そんなことを呑気に考えたが、どうやら違うらしい。
胸板に埋めていた顔。
その目を覗き込んだ時、自らが招いたとんでもない事態を目の当りにした。

「あ」
「…」

コイツが女であることをすっかり忘れていた。
いつも男みたいに五月蠅くて汚くて豪快で、淑やかさだとか可愛らしさだとか、女に関するキーワードは何一つ当てはまらないと思っていたコイツが。

今は何だ。

顔を真赤にして、丸で兎の様に小さく縮こまって震えている。
思いの外長い睫毛は、涙で濡れてさえいるかもしれない。
頑として視線を交わそうとしないその瞳は目の端に流されていて、色っぽいかもしれないだなんて、うっかり思ってしまう。
肌も艶々していて綺麗。
あんなに撫で回したけど、障害物なんてなかったから、きっとつるつるしているんだろう…夢中だったから、最早記憶は定かではないけれど。
そしてそれらの要素を遥に凌駕する女の証は、二人の間で押し潰されている。

こんなに胸があるなんて、知らなかった。

俺の中では男同然と認識していたものだから、そんな物持ち合わせちゃいないんだろうと無意識の内に決め付けていたけれど。
谷間。
谷間があるよ。
それが俺の胸板で押し潰され、柔らかさもボリュームも全部直に伝わって来る。

…デカい。

「だから、アナタは、嫌いなんです、」
「え?」

背けられていたはずの目は、俺を睨み上げていた。
涙を浮かべた目じゃ怖くもなんともない。
その代わり、罪悪感が胸を擽るだけだ。

「こんなに恥ずかしいこと…平気でするから、」
「…は?」

何だそれ。
それじゃまるで、俺がお前に四六時中セクハラしてるみたいじゃないの。
お前にそんなことした覚えなんて、…。

「まさか、あのこと根に持ってんの?」

眉間の皺が深くなって、唇を歪ませた名前は、今にも泣きそうな顔になった。
そうだ、きっとそうだ。
そうに違いない。
俺の考えが正しければ、コイツはあのことを言っているはず。
年末開かれた忘年会で遭遇した、悲劇の王様ゲームだ。

あの日、気兼ねなく酒を飲めるからであろう、あの方は頗る御機嫌だった。
良く食べ、良く飲み、良く酔ったあの人が提案した身の毛もよだつ様なゲームに、我々が逆らえるはずもなかった。
王様ゲームよりチョットばかりバージョンアップした『綱手様ゲーム』。
ルールは簡単。
王様は常に綱手様にロックオン、ただそれだけ。
半ば恐怖政治の様な魔のゲーム。
俺達も、まんまとその餌食になってしまったのだ。

「仕方ないだろ。酔った綱手様に逆らったらどうなるか、お前も分かってるでしょ。」
「…」
「あの人に3番が6番にキスしろって、そう言われちゃったら、俺がお前にキスするしかないでしょうよ。」
「舌入れただろ、」
「ああ…まあ、俺も少し飲み過ぎてたし…ってちょっと、何泣いてるの。」

堰を切った様に、ポロポロと零れ出した涙。
麗しい乙女の様にさめざめと泣く姿を目にして、柄にもなく焦ってしまう。
女を泣かせたことなんて数知れない俺だけど、初めて見た名前の涙に少なからず動揺した。
涙を拭おうと、親指の腹で頬を擦り上げる。
泣き顔を見せまいとした名前は、俺の手を振り払って外方を向く。
躍起になって涙を追えば、俺の腕から逃れようと、遂には暴れ出した。

「おいコラ、名前、」

確かにコイツは女だったのかもしれない。
頭に来た俺は無理矢理この胸に閉じ込め様としたけれど、訳なかった。
離せだの何だの言って文句を垂れる名前を無視して、キツくキツく抱き締めた。
力では叶わないと漸く思い知ったのか、抵抗を諦めてすっかり消沈した名前の髪の毛を優しく撫で付ける。
鼻を啜りながら震える背中を擦ったり、身体を揺らしたりして必死にあやす。
しかしこれで、漸く合点が行った。
思い起こせば確かに、コイツが俺をしつこく付け回す様になったのは忘年会以降のことだ。
数々の嫌がらせは、無神経な俺への復讐だったのだ。
胸元で嗚咽を堪える声がする度に、後悔の念が大きくなっていった。

「…ごめんね。」
「…」
「そんなに嫌だった?」
「…」
「ねぇ名前…謝るから、」

涙に濡れ、不貞った顔を掌で包む。
思っていたより名前の顔は小さくて、余った指は耳や生え際、髪の毛を撫でた。
涙の筋を消してしまおうと、親指を頬の上で往復させていると、潤んだ瞳が持ち上がる。

「じゃあ…何でも、してくれますか。」
「何でも?」
「詫びて、くれるんでしょう。」

その瞳が、底なしに無垢に見えた。
見詰めている内に引き込まれ、吸い込まれ、元に戻れなくなってしまうのではないか。
一瞬、そんな馬鹿げた思考が過ぎった。
だって、相手はあの名前なのだ。

「…何がお望み?」
「お願いを、」
「ん?」
「お願いを、聞いて下さい。」

頬の手を握られたかと思えば、大きな瞳がうるりと光る。
そこに映り込む俺の顔は、何だか緊張している様に見えた。
何故なら、とても今更なことに気付いてしまったのだ。

俺達結構、凄い体勢。

男と女が上半身裸で抱き合っている。
…もとい、抱いているのは俺だけか。
この悩ましい状況を作り出してしまった自分自身を、ちょっぴり怨む。
そう、そもそも、俺はただ寒かっただけなのだ。
寒いから、肌をくっ付ける。
間違ってないよ、俺は決して間違っていない。
だって、寒けりゃ裸になってベッドで抱き合ったりするじゃない?
裸で毛布に包まったら、服着てそうするよりも温かいじゃない?

だから俺は、間違ってない。

唯一の誤算は、コイツが女だったということだけだ。
…結果的に、その誤算が致命的だった訳だけど。

「先輩…、」

伏せられた目の縁には長い睫毛。
薄ら開いた桃色の唇。
嗚呼、コイツはこれから一体何を言い出すつもりなのだろう。
凄く怖いよ。
何が怖いって、コイツが女に見えてきてしまったことが怖い。
俺、熱でもあるのかな。
そうだよね、あの猛吹雪の中ずっといたら風邪くらい引くよね。
そうだ、俺は熱があるんだ。
今日の俺は可笑しいんだ。
今日の俺は、いつもの俺じゃない。
従って今日は、チョット変な日なんだ。
だから少しばかり摩訶不思議なことが起こったって可笑しくない。
むしろそうあって然るべきなんだ。
もう良いよ、どうなったって。
怖い物なんて何もないよ。
良し、俺はもう腹を括ったよ。
さぁ来い馬鹿女。
どんなオネガイとやらでもこのイダイなる先輩サマサマが仰せ付かってやる。
どこからでもかかって来―――

「試しに死んでみて下さい。」
「やだよ。」
「えぇっ、」

何を言い出すかと思いきやこの馬鹿女。
やっぱり馬鹿だ。
コイツ以上に馬鹿という言葉が似合う女って他にいないんじゃないか。
ていうか「えぇっ」って何だ、「えぇっ」って。

「何でも言うこと聞くって言ったじゃないですか。」
「言ってねぇよ、(そのつもりだったけど)」
「…」
「…」
「金玉握っても良」
「殺す気だよね?」

嗚呼もう。
ビビって損したよ。
第一、馬鹿相手に構える必要なんて皆無だったよね。
本当、俺今日どうにかしてる。
心底飽きれた俺は、名前をひっぺがしにかかった。
露出した鎖骨を見なかったことにして、艶っぽい肩を右手で掴んで押し退けようとした束の間。


「キス」


背中を回る細い腕。
胸板に張り付く頬の肉。
しなやかな身体が密着する。

「して、」
「…え?」

俺の心臓は馬鹿の一つ覚えみたいに、胸にくっ付いた彼女の耳を只管叩いている。
その間にも、細い腕がぎゅうぎゅうと身体を締め付けてくる。
寒さなどとうに忘れてしまった。
熱い身体の狭間からポツリと零れたか弱い声が、とうとう俺に止めを刺した。


「もう一度、して下さい」


俺の思考は遂にショートした。

俺にキスされたのが嫌なんじゃなかったのか、とか。
またタチの悪い冗談を言っているのか、とか。
また俺をからかっているのか、とか。
目的は何だ、とか。
もしかして本当にナニ狙いなのか、とか。
お前のナニはナニなのか、とか。
実のところ、どんな顔をして言っているの、とか。
実のところ、何カップあるの、とか。
そういった色々な疑問が、頭の中で一度にクラッシュする。

最早頭は使い物にならなかった。
同時に、使えなくても良い様な気がした。
今日の俺は狂っていて。
今日のお前も狂ってる。
それで良い気がした。

無言だった。
頬を掌で包み、彼女に上を向かせる。
素直に従った名前の瞳には、分厚い涙が被さっていて。
彼女が目を瞑ると、抱え切れなかった分は目尻や睫毛に食み出した。
観察してみると、思いの外色形の良い唇に驚いた。
親指の腹で桃色のそれをするると撫でる。
やかましい心臓が良い加減口から飛び出しそうだったから、大量の唾液と共に喉の下へと押しやった。
ゴク、と意外に大きな音が鳴ってしまい、内心舌を打った。
両手で細い肩を掴んで、眠る少女の様な顔を凝視しながら、呼吸を整える。
と思いきや、いつまで経っても整いやしない呼吸の野郎にイラ付いた。
肩を握る手汗が酷い。
いっそ、先に目を瞑ってしまおうと思って、そうした。
同時に、破れかぶれな気持ちになる。

行こう。

闇の中、そうやって自らを奮い起した瞬間だった。
女の気配が両手の中から擦り抜け、唇に柔らかな衝突が起きたのは。


「…え」


気が付けば、両手をその儘の位置で構え、唇を突き出しっ放しにした間抜けな俺のすぐ脇。
いつの間にか上着を来て、腕を組んだ名前がテーブルの上で仁王立ちしていた。

「ばーか!本気にしてやんの!」

例の体勢の儘固まってしまった俺は、指を刺されて笑われている。
この世の物とはとても思えない高笑いが、待機所中に響いている。
情けないことに、急展開に付いていけない俺は、くどい様だが先述の体勢を維持していた。

「じゃあね、せんぱい。」

テーブルの上で猫の様に四つん這いになり、名前は上手にウインクをした。
呆けた俺に満足した様な笑みを浮かべると、誠しなやかな宙返りを決める。
ドアの手前に音もなく着地した彼女は、その儘待機所の外へと駆けて行った。
その姿を無言で見送りながら、俺は唇をゆっくりと引っ込めるのが精一杯だった。










SPARK!
(火花の様に熱いキスを)





08.07.19

21.06.20

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