アイスクリーム


窓を遮るブラインドから、オレンジ色の光が漏れ込んでいる。
もう夕刻だった。
昼間の刺す様な光線は落ち着いても、未だ未だ外は暑いだろう。
空調の利いた待機所にいれば、暑さは感じずに済むのであるが…。
こちらはこちらで、肌にピリピリと刺す様な、険悪な雰囲気に包まれていた。

「ほんっと鈍臭いよね、お前って。」

向かいのソファに腰掛ける名前に、カカシは辛辣な言葉をぶつける。
俯いて黙り込む彼女相手に、カカシは容赦しなかった。
その目は、彼女の手首に巻かれた真新しい包帯を睨み付けている。

「俺が助けなかったら、その腕丸ごと持ってかれてたよ?」
「…。」
「大した任務じゃなかったのに、気抜き過ぎなんだよお前。ナメてんの?」
「…。」
「ほんと…どうしてお前なんかが上忍に昇格出来たのか、不思議で堪んないよ。」
「…。」
「もうさ…、忍辞めたら?向いてないよ、お前。」
「…っ」

名前はその場で勢い良く立ち上がった。
震える拳からは、彼女の怒りが窺える。
高を括っていたカカシは、肘掛に頬杖を突いた儘、それを鼻で笑う。
けれども、彼女の目に溜まった涙を見た途端、動揺を隠すのに手一杯になってしまった。

「酷いよ、カカシ、」
「…。」
「そりゃ、カカシは昔から要領良いし、頭も良いし…でも、」
「…。」
「私だって…私だって、頑張ってるのに…!」
「名前、」
「馬鹿!もうカカシなんか知らない!」
「ちょ、名前!」

カカシの制止を振り切って、名前は駆け出した。
力任せに扉を開けると、丁度部屋に入ろうとしていたアスマが、突然の事態に目を丸くしていた。
そんな彼と目を合わせることもせず、名前はその儘去ってしまった。
部屋には、彼女を引き止めようと突き出した右手をその儘に、立ち尽くすカカシ。
アスマと目が合うと、バツが悪そうにして、その手で頭を掻いた。

「おいおい…また泣かせたのか?可哀相に。」
「…五月蠅いよ。」

呆れた様子で部屋に入るアスマ。
それを一瞥すると、カカシは再びソファに身を沈めた。
その向かい、つい先程まで名前が座っていたソファに、アスマも腰を下ろす。

「相変わらずだなお前も…、嫌われても知らねぇぜ?」
「余計なお世話ですー。」
「優しくしてやれよ。唯一の幼馴染みなんだろ?」
「…どうでも良いよ。アイツなんか。」
「嘘だな。」

くしゃくしゃになったパッケージから飛び出た煙草を、アスマは直接銜える。
ジッポで火を点けると、煙をゆっくりと吸い込んで、吐き出した。
口元はニヤニヤと笑っている。

「アレ、やったのお前だろ?」
「何よ、アレって。」
「包帯。」
「…。」
「名前の腕、看てやったんだろうが。」
「そんなの、知らないよ。」

しらばっくれるカカシに、アスマは片眉を引き上げる。
その儘ニヤニヤする顔で、指を差した。
何事かと、カカシがその指先を辿れば、
自分の横をしっかりと陣取る、救急箱。
今の今まで、存在を忘れていた。

「…あ。」
「ばーか。」

バレバレなんだよ、
そう言って背凭れに身体を預けたアスマは、ゆっくりと煙を吐き出した。

「惚れてんだろ?」

カカシは遂に、口元を手で覆って(とは言っても、既に口布で隠されて、見えやしないのだけれども)そっぽを向いてしまう。
その耳元は、少し赤い。
降参した様子のカカシを見て、アスマは声を上げて笑った。

「お前が一人の女に四苦八苦してるなんてな。世も末だぜ。」
「もー…熊ほんと五月蠅い。」
「とっとと謝っちまえよ。どうせまた、お前がつまんねーこと言ったんだろうが。」

煙の輪を作る呑気なアスマを、カカシは目を細め、恨めしそうに見やる。
そんな彼に、アスマはニヤリとした笑みを返した。

「甘い物でも買ってやれば良いんだよ。損ねた機嫌もコロッと直りやがる。」
「甘いモノ…。」
「それで済めば、安いモンだろ?」

カカシは顎に手を当てる。
名前の好きな物は何だったか。
そんなことは、最早考えるまでもない。
唯、アスマの顔を見ていたカカシは、別の思考に支配される。
口布の下で、思わずニヤリと笑っていた。

「そっかそっか、」
「あん?」

急に上機嫌になった男を、アスマは不思議そうに見やる。
席を立ったカカシは、ニヤニヤする目を抑えようともしていなかった。

「アスマはいつも、そうやって紅の機嫌取ってるンだ。」
「ばっ…!テメェ!一言多いんだよ!」

真赤になって怒鳴るアスマ。
カカシは手をヒラヒラさせながら、彼を置いて部屋を出て行った。

(アイス、買って行こ。)



カカシがスーパーに寄って、冷たいアイスクリームを買う頃には、辺りはすっかり夜になっていた。
昼間、晴れていた空。
今は、彼女が大好きな、星空に変わっている。

(開けてくれるかな。)

ビニール袋をカサカサ言わせながら向かう先は、自宅ではない。
少し離れた、彼女のアパート。
二階へ続く階段を一段一段上がる度に、心拍数まで上がっていくのを、カカシは感じていた。
目的のドアの前に辿り着くと、ゆっくりと深呼吸をする。
袋を左手に持ち替えてから、利手でチャイムを押した。

「…あれ、」

部屋の中を、お馴染みの音色が微かに響いた。
けれど、反応がない。
中の気配を探って見ると、どうやら名前はいないようだった。

(読まれたかな。)

自分がここに来ることを見越して、名前は逃げたのかもしれない。
相当怒っているのだろうか。
カカシはそんなことを考えた後、左手の袋を見やった。

「…どうしよう。」

いつ帰るか分からない彼女を、待つ訳にはいかない。
蒸し暑い中ずっといれば、手元にある、この甘くて冷たい根性なしは、おぞましい物に変わってしまうだろう。
かと言って、ドアノブにぶら下げて当て付けにするなんて、以ての外。
意地悪をするために、わざわざ来たのではない。

(折角謝ろうと思ったのに。)

冷凍庫にこんな甘い物が入ると考えただけで鳥肌が立つけれど、この際仕方がない。
カカシは一旦、自宅へ帰ることにした。

カカシのアパートも、名前のそれと大差はない。
こちらの方が、若干老朽化が進んでいる位で、大きさや造りなんて、ほとんど同じだ。
錆びた階段を、カカシはとぼとぼ上がって行く。
ドアの並ぶ通路に目をやると、思わぬ光景が飛び込んで来た。

「名前…?」

一番奥の角部屋。
ドアの前には、蛍光灯の光に照らされて蹲る、小さな人影があった。
それは紛れもなく、彼女の物。
カカシの足音に気付くと、名前が顔を上げた。
そわそわした様子で立ち上がる。
こんな所にいたのかと、カカシは小さく溜息を吐いた。

「どうしたの。」

名前の顔を目の前にすると、後ろめたさからか、自棄に優しい声が出た。
暫しもじもじしていた彼女も、漸くカカシの顔を見上げた。

「あの…、ごめんね、カカシ。」

思わぬ言葉に、カカシは目を丸くした。
何故名前が謝るのか、全く分からない。
戸惑うカカシを余所に、名前はぽつぽつと続けた。

「私、今日の任務、少し、気抜けてて…、カカシがいるから大丈夫だって、思っちゃって、それで、本当に図星だったから、なんか、悔しくなって、あんなこと言っちゃったの。助けてくれたのに、お礼も言えなくて、ごめんね。あと…、」

これも、ありがとう、
名前はそう言いながら、包帯の巻かれた手首をなでた。
つい居た堪れずに、カカシは手癖で頭を掻く。

「いや、全然、良いんだケド、」
「…じゃあ、それだけだから、」

名前は照れ臭そうに言うと、カカシの横を擦り抜ける。

「え?ちょっと―――」

カカシは身体を捻ると、咄嗟に伸ばした腕を、名前の腹に回す。

「えっ、」

その儘引き寄せると、彼女を後から抱き込んだ。

「待ってよ。」
「カ、カシ…?」

腕の上から、彼女をしっかりと抱き直したカカシは、ふと思う。

(あついな。)

夏の夜だから蒸し暑いとか、
夏の夜とはいえ密着すると余計に暑いとか、
きっとそんなんじゃない。
身体の中から、なんだか熱い。

「俺も、…謝ろうと思ってたよ。」

名前の耳元で、カカシは静かに言う。
蒸し暑い空気と、くっついた所から身体にじわじわ広がる熱と、内側から来る熱さに耐えながら。

「酷いこと言って、……ゴメンネ。」
「ううん…、」

二人が喧嘩をした時、決まって謝るのは名前からだった。
たとえ明らかにカカシに非があったとしても(というか、そんなことばかりだったが)、申し訳ないと思いつつも自ら謝ることもできない男だということを、名前はすっかり承知なのかもしれない。
いつだって、カカシに助け舟を出すのは名前の方だったのだ。
謝罪の言葉を絞り出したカカシは、左手にぶら下げていた物の存在を、漸く思い出した。
ビニール袋に入った、甘くて冷たくて、名前が大好きな、根性なし。
未だ溶けずに生きているかは、謎だけど。

「名前。アイス、買ったんだよ。」
「え?アイス?」
「そう、コレ。」

早速食い付いて来た名前に、カカシは後ろでこっそりと笑みを漏らす。
彼女の目の前で、ビニールをカサカサ言わせてみせた。

「ハーゲン?」
「ハーゲン。」
「マカダミア?」
「マカダミア。チョコもあるよ。」
「チョコ!」

名前は身を捩って、カカシに顔を向けた。
その表情はキラキラしていて、見るからに嬉しそうだ。

「ありがとうカカシ!好き!」
「わっ!」

首に腕を回して抱き付いてきた名前に、カカシは動揺を隠せない。
名前とは、幼馴染み。
人懐っこい彼女が抱き付いてくることなんて、今までに数え切れない程あった。
焦りと緊張から、鼓動が早まっていく自分に、カカシは思い知らされる。

(もう、前とは違う)

「違うんだよなぁ。」
「え?」

訳が分からない、
名前がそんな顔を向けると、カカシは微笑んで見せた。

「俺はね、名前のこと、大好きだよ。」

目を見開いた名前の顔が、見る見る内に赤くなっていく。
とうとう俯いてしまった名前の耳元に、カカシは唇を寄せた。

「今晩、泊まってってよ。」

一緒に、アイス食べよ、

そう言って、腰に腕を回したカカシは、彼女を抱き締める。
暫くそうしていたら、名前が小さく、うんと言うのを耳にした。
腕の力を緩めて、名前を見やる。
彼女は、やっぱり真赤な顔をしていて、カカシを見上げていた。

「中、入ろっか。」

夏だし、
君がいるし、
とってもとってもあついから、

(早くしないと)

「溶けちゃうよ。」










アイスクリーム





07.07.30

21.06.21

過去作レタッチ
昔は三人称視点で書いてたんだなあ。



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