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Chapter5-5
今日は授業のない、一日休みの日だ。
部屋にいるとどこから嗅ぎつけたのかジェームズ率いるいたずらっ子たちやルシウスが溜まり場にしようとやってくるので、最近はふらふらとホグワーツの中を歩き回ることが多かった。
もちろん、彼らに見つかることも多いのだけど。
わたしが湖にさしかかると、水辺の芝生で誰かが座り込み、手持ち無沙汰に落ちている石を大きくしたり小さくしたりしながら本を読んでいるのが見えた。
わたしはその背中に見覚えがあった。黒い髪に少し猫背、ローブは体にあっていない。
セブルス・スネイプ。その人だった。
わたしは何度か彼に話しかけたことがあったけど、それは毎回かわされていた。もしかしたら、わたしは彼に天敵であるジェームズびいきの教師だと思われているのかもしれなかった。
正直ジェームズを大切に想う気持ちは人一倍あるけれど、ジェームズだけを贔屓する気は毛頭ない。
わたしはそのまま歩き去ることもできずに、一人きりでそこにいるらしい彼の隣にしゃがみこんだ。
「ねえ、隣いい?」
もうすでに座り込んでしまったというのに、そんな言葉を白々しくかけながら。
彼はよほど本に集中していたのか、わたしの気配に気づくと飛び上がってしまうのではないかと思うほど驚いていた。ジェームズと比べればよっぽど大人びているように見える彼でも、そんな子どもらしい反応をすることがあるらしい。
彼は立ち去ろうとしたのか本を閉じて腰を浮かせたけれど、相手が教師だと思い出したようで渋々もう一度座り直した。「どうぞ」とつっけんどんな言葉とともに。
彼が先ほどまで開いていたのは教科書だったらしい。すでによく使い込まれたのがわかるほど、それは彼の手に馴染んでいた。しかも、少しめくれたページから見るに、すごい書き込みの量だ。彼は前々から思っていた通り、ホグワーツ時代の机にかじりついていたわたしを凌ぐ勉強家らしい。
「何の用ですか」
彼の手の中をじっと見つめていたわたしに、彼は胡乱げに問いかけた。よっぽど気味が悪かったらしい、少し体が向こうへ仰け反っている。
「わたし、よっぽど拒否されない限り、生徒をファーストネームで呼んでるの。
ミネルバには距離が近すぎるって怒られるけど、ダンブルドアだってそうしてるでしょう」
「何が言いたいのかわかりません」
「きみ、その”よっぽど拒否する”タイプ?」
わたしは彼の顔を覗き込んだ。彼はその距離感に慣れていないのか、余計仰け反ってなぜか教科書を抱き込んだ。
わたしのことをトロールか何かだと思っているのかもしれない。
「3秒以内に拒否されなかったらもう、拒否しなかったことにするね。さんにーいち、はい終わり」
彼は今にも逃げ出したいと思っているに違いない。先ほど落ち着けた腰を、また浮かせようとしているのがよく分かる。
「セブルス、それ魔法薬の教科書?」
「…はい」
真面目なセブルスは教師に聞かれたら返さざるを得ないのか、胸に抱いていた教科書を手に持ち直してわたしに見えるようにした。
そういえば、スラグホーンが自慢げに言っていた気がする。我が寮の生徒に驚くべき天才がいる、と。
彼の教科書をぱらぱらとめくると、彼は彼自身の解釈も書き込み、教科書の訂正もしているようだった。
「すごい!わたし、学生時代はこれ必死で刻んでたわ。すり潰せばよかったのね」
わたしが思わず感心してうなると、セブルスはためらいがちにその説明をし始めたものの、だんだん言葉に熱がこもってきた。彼は本当に魔法薬学が好きらしい。
わたしも学生時代の好きな教科に魔法薬学が入っていたため、彼と話すのはとても楽しかった。
「夏休みも実験したりしてるの?」
ふいにそう質問すると、彼は急に押し黙った。唇を噛み締めているのを見て、わたしは踏み入ってはいけない部分だったか、と悔やんだけれど言葉は取り返せない。
しかし、彼はしばらくするとぽつりと話し始めた。
「僕の父親はマグルで、魔女の母親といつも喧嘩してばかりいる。魔法が嫌いみたいだ」
だから、夏休みは何もせず、ただじっとしてる。
そう言う彼は、教科書の上でこぶしを握っていた。彼が混血だと言うことは教師が知り得るプロフィールとして知っていたけれど、詳しい家庭事情までは知らなかった。
彼は言わなければ良かった、とでもいうように苦虫を噛み潰したような顔をしている。きっと、彼の好きな魔法薬学の話をして気がゆるんだのだ。普段の彼なら話さなかったに違いない。
わたしが思わず彼のこぶしに手を重ねると、セブルスはぴくりと体を揺らした。
彼も孤独なのだ。エバンズに好意を抱いているけれど、それはかなっていない。家庭には居場所がない。
『彼は愛を知らぬ』ダンブルドアの言葉がなぜだか蘇る。いや、違う。セブルスは愛を知っている。しかし、環境が彼を孤独にしている。
「わたしも学生時代、マグルの孤児院に帰っていたから魔法なんて何一つなかったわ。友達はみんな、家に帰るとフライパンが勝手にスパゲティを作ってくれてるって言うのに」
彼はハッとわたしを見た。
同情させたいわけでも、わたしの方が苦労したと言いたいわけでもないので彼の前で人差し指を立て、チッチと舌打ちとともにそれを左右に揺らす。「これはあなたとわたしだけの秘密よ、引き目に感じているわけではないけど人の噂は尾ひれがつくものだから」と付け加えるのを忘れずに。
「きっとマグル生まれってそういうものね。でも、家が少し息苦しくなったらわたしにフクロウ便を送りなさい。
あなたが好きそうな魔法薬学の本を、スラグホーンの本棚から失敬してあげる」
「な、」
わたしの言葉に口をあんぐり開けた彼は、ここにきた時と比べて表情が豊かになったようだ。
「冗談よ。ちゃんとサインをもらってくるわ」
いささかホッとしたように見えるセブルスは、少し顔色も明るくなったようだ。魔法薬学の本は、彼にとってすこぶる魅力的らしい。
そんな中、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。どう聞いてもジェームズの声だ。わたしは頭を抱えた。どうにかして姿現しできないものかと考えるけれど、悲しい哉、ここは当然ながらホグワーツの敷地内だ。
「ポッターの声だ」
セブルスにも聞こえたらしく、彼は虫歯を我慢しているような顔をする。
わたしへの挨拶もそこそこに足早に立ち去ろうとする彼に、わたしも続こうと立ち上がった時、タイミングの悪すぎる彼はジェームズに見つかったようだ。
ちょうど岩に隠れてわたしの姿はジェームズに見えなかったようで、彼はいつもの調子でセブルスにちょっかいをかけ始めた。
「おや、スニベリーじゃないか。湖で水中人を口説いていたのかい?さすがの水中人も、きみのそのべとべとの髪はお気に召さないだろう」
様子を盗み見ると、ジェームズはすでにセブルスに杖を向けていた。彼の後ろにはいつもの三人がいる。シリウス・ブラックにいたってはジェームズに倣って杖をセブルスに向けている。
「なんて卑怯なの!」
わたしは思わず彼らの前に飛び出した。わたしを見ると、ジェームズはアッと口に出しそうなほど驚き、杖を隠そうとした。
「隠さなきゃいけないほど悪いことをしてる自覚があるなら、最初からしないことよ!」
その言葉に、隣に立っていたセブルスもローブの中に入れていた手をのろのろと出した。彼の手にも杖が握られている。彼も杖をジェームズに向けていたらしい。
先に仕掛けたのはジェームズなのに杖を隠そうとしたということは、何か後ろめたいことをしようとしていたらしい。隙を伺って不意打ちで呪いをかけようとしていたのかもしれない。
しかし、今の状況で悪いのは、どう考えてもジェームズだった。
「こいつがこんなところをうろちょろしてるのが悪いんだ、何か企んでいたに違いない」
シリウス・ブラックがジェームズの後ろから躍り出てくると、セブルスを指さしてそういった。よくそんなことを言えるものだ。
「ええ、ええ、そうでしょうとも!
わたしがセブルスだったら、あなたたちにこうしてやろうと湖で企まなきゃ気が済まないわ!」
わたしはジェームズたちに素早く杖を向けて、そう言いながら無言呪文をかけた。
彼らはポン!という軽い音にひるんだものの、何も変わっていないと思ったのか訝しげに自分の体を覗き込む。
「あっ!」
そう最初に叫んだのはピーター・ペティグリューだった。彼が履いているのは、タータンチェックのミニ・スカートだ。
四人はそれぞれチェック、ストライプ、ボーダー、そして年季の入ったカーテンのような花柄のミニ・スカートを、揃いのブラウスに合わせてはいていた。
もちろん彼らのローブはグリフィンドールの寮に送ってしまった。
「ナマエ!これはひどすぎる!」
そう叫んだジェームズに、わたしは「アクシオを教わったでしょう!」と叫びかえしてさっさとセブルスの背中を押しながら駆け出す。
そんなわたしたちを追おうとするジェームズたちだったけれど、それは失敗に終わった。わたしは先ほどの呪文と同時に、うさぎ跳びでしか移動できない呪いをかけたからだ。
セブルスは笑いが堪え切れないようで、しばらく震えていたものの一度吹き出すと堰を切ったように笑い始める。
ジェームズ、恨むならあなたの父親を恨んで欲しい。
その呪文を開発したのは、他でもない学生時代のフリーモントなのだから。
手のひらに青い鳥