▼ ▼ ▼
ハリーは人さらいに取り囲まれ、果てしのない危機にさらされながら、その一方で視界には別のものがちらついていた。ヴォルデモート卿が、感情をあらわにしている。ハリーには、それが見えた。傷跡が疼く。ヴォルデモートは、高い壁の前に立っている。
「グレイバック、―――」人さらいの仲間が、なにかをせわしなく言うのと、ヴォルデモートが塔のてっぺんに着いたのは、ほとんど同じくらいだった。ハリーは目の前で起こっていることと、ヴォルデモートの映像に、しばしば混乱させられた――。しかし、否が応でも彼の目を通した視界が、ハリーの頭に入り込んでくる。
「やってきたか。来るだろうと思っていた――」
骸骨のようにやつれた男が、ヴォルデモートにそう言った。こちらまでひりつくような怒りが、ヴォルデモートによって放たれる。
しかし、その弱った男を睨め付けたヴォルデモートの感情に、激しい怒りとは別の、また違った感情が浮かんだ。それは怒りとは異なるものの――むしろそれを凌駕するような、そんな強い心の揺らぎだった。ハリーは、ヴォルデモートの映像を何度も見せられてきたが、彼がそんな感情を胸に宿したところは初めて見たので、ただ混乱していた。その感情がなにを表すのかも、わからなかった。けれど、それはなぜか、ハリーの心まで揺さぶるのだった。
ヴォルデモートは、男の瞳をじっと見つめた。そこに、すべてが隠されているように。レジリメンスをかけているのではなかった。ただ、その瞳の色を映すたびに、ヴォルデモートが滅多に見せない類の動揺を浮かべているのが、ハリーには分かった。
そんなヴォルデモートの姿を、男もまた観察していた。先ほどまで、ヴォルデモートをあざ笑っていた男は、ヴォルデモートの表情をじっと見つめている。その中に、何かを見出そうとするように。
「お前は……」
先に口を開いたのは、ヴォルデモートの方だった。しかし彼が口にしたのはそれだけで、二の句を継ぐことを、強烈な自制心で拒んでいるようだった。
「ああ、同じ瞳だ、ヴォルデモート。お前が失った女は、私の娘だ」
その言葉に、ハリーははっとした。トム・リドルの日記によって、ハグリッドが陥れられた映像を見たとき、その中に一人印象的な女性がいたのだ。それはハリーが見留めたのではなく、トム・リドルが彼女を意識的に――いや、無意識に、かもしれない――一瞬目にうつしたので、彼の映像を見ていたハリーにも、その女性の姿が見えたのだった。
その女性もまた、トム・リドルを見つめていた――すぐに背を向けたものの、その瞳の色は覚えている。この男と、同じ色の虹彩を、その目に宿していた。
「私は彼女――ナマエが生まれたことすら、ここに入れられる日まで知らなかった。その時に、彼女が美しく育ち、そして目は私と瓜二つだと――そう聞かされた」
「……お前の話など、聞いてはおれぬ。杖のありかを、さっさと吐け――」
「同時に、ナマエがお前のような男に惹かれていると――いっそ、囚われているのだと、そうも言った。私にそれを告げた男は、少しばかり理想を語りすぎるきらいがある――。ナマエの想いによって、お前が変わると期待していた。ナマエが、誰よりもお前を愛した女だと、彼は気づいていたからだ」
とうとう、ヴォルデモートはそのやせ細った男に杖を向けた。
「ナマエはそのような陳腐さを持ち合わせては居なかった。私はお前よりずっと長く、彼女を所有していた。お前に何がわかる」
最初の時より、張り詰めた怒りだった。ハリーはそれを感じた時、思わず体が震えたのを自覚した。これほど怒りを宿したヴォルデモートは、これまでいただろうか?並みの魔法使いなら、この怒気に触れただけで気絶するに違いない。男が、平然としているのがハリーには不思議なほどだった。
「お前のそばで朽ち果てた、その献身を愛と呼ばずして何をその名前で呼ぶんだ?ヴォルデモート」
ヴォルデモートの怒りが頂点に達した。「さあ、殺せ!」男は死を迎合するように両手を広げる。「あの杖は金輪際お前のものにならない!ナマエもまた、喪われたままだ!」緑の閃光がほとばしった。ヴォルデモートの怒りは晴れるどころか、ますます募っていることを、ハリーは感じ取った。そして、ヴォルデモートの思考の中で、彼が杖以外に求めている、意外なものを知った――あの年老いた男に、尋ねたかったもう一つのものを。
あの男は、その考えを読んでいた。最期の言葉でそれを悟ったヴォルデモートは、怒りを爆発させたのだ。死者を呼び戻したいという欲求をヴォルデモートが持ち合わせていることに、ハリーは心から驚愕した――。蘇りの石のありかを、あのヴォルデモートが求めるなど。
ハリーは一瞬の間、あの女性の――ナマエの瞳に思いを馳せた。ヴォルデモートが、執着した唯一のひと。ヴォルデモートの感情に引きずられすぎている、とハリーは頭を振って、ロンに続いて部屋に駆け込む。ヴォルデモートは、ここに向かっている――。
涙なくして埋められぬ