元彼


元彼



定時きっかりにパソコンの電源を落とした。もうなにがあっても明日にしよう。だから何も頼んでくれるな。


出来るだけ存在感をなくすことに努め、入口へとすり寄る。今日のお疲れ様は「…さまでーす…」で通り抜ける、よし。あとはカードをピッとするだけ。目ざとい松山さんも今は外出中だ。


無事、何事もなく会社のビルを出た途端携帯が鳴った。会社からの電話かとおそるおそるディスプレイを見ると、これから会う奴だった。


「もしもーし」
「おー!仕事終わった?今こっち着いたんだけど、どこ行けばいーんだ!?」


相変わらず電話越しでもウルサイ男だ。私が待ち合わせ場所を伝えると、オッケーオッケーと本当に分かってるのか不安になるほどでかい声が返ってきた。少し心苦しい、懐かしい響きだった。


「大楠!こっちこっち」
「よーぅ!久しぶりだな!」


長身の彼を見つけるのはとても簡単な作業だ。昔の方がもっと分かりやすかった。今は金髪ではなく、茶髪がかった髪をしている。それも随分前に染めたのを放っておいた感じの。ガタイの良さは今でも健在だ。


近場の居酒屋に流れるように入ると、大楠がパパパっと料理を決める。そしてご注文。店員さんがオドオドしながら去って行った。


「ちょっと威嚇しないでよねー」
「どこがだよ!あんなナヨナヨしてんのがわりーんだろ」


キレやすいのもご愛嬌というところで。


「あ、そうそう。鳴海が結婚するって。大楠が式出てくれるか気にしてたよ」
「なに!結婚かよ!?カー!羨ましいな!てかなんだよ、それ。全然行くに決まってるだろ!」
「サキも来るのよ?」
「…あぁ、そうゆうこと」


行きたいけどなオレは。
大楠はそれだけ零すと、ビールが入ったジョッキをぐいっと飲み込んだ。人が幸せになるのを、いつからみんなで祝えなくなったんだろうか。大人になればなるほど窮屈を感じる世界だ。


「でも結婚か、いいなオレもしたかったけど」
「過去形?」
「いや今もしたいけど、今オレ最低ヤローだから」
「、彼女と続いてんでしょ?」
「放ったらかしだけどな」


「全部おまえのせーだ」


大楠が意地悪を言う。私に対しての最大の優しさだと思った。


「ロージーは?彼氏できた?」
「ぜーんぜん。大楠と別れてから一度もないよ」
「ほらやっぱりな!おまえにはオレしかいないって!」
「はいはい、言ってな」


その言葉、9割が本音なんだと伝わってくる。別れてから何度も言われた言葉だし、彼女が出来ても私から言われたらすぐ戻るなんて。答えにくいことも直球で言ってくる奴だったから。


「今度付き合う人はホントに好きになった人だよ」
「ロージーはそれじゃうまくいかねーと思うけどな」
「分かってるよ!でも今度は、さ」
「オレへの当て付けだな。相変わらずハッキリしてるぜ」
「へへ。私も前に進めるように頑張るよ」
「そっか、まぁ頑張れ」


居心地の良さに酔いしれそうだ。正直言うと、私は今でも一緒にいて一番落ち着くのは大楠なんだ。それはこの先変わらないかもしれない。でも期待させるようなことは言いたくないし、今は大楠とヨリを戻す気はない。5年後、10年後のことは分からなくてもそれを見据えた話をすること自体ナンセンスだ。


そんな私を分かりきっている大楠は帰りがけにこんな言葉を吐いた。


「オレはお前が好きでもない男に期待させるようなこと言わない奴だって知ってるからさ、今もそれで言葉選んでたりすんのかなって思うことがあるんだよな。でも、オレ期待しねえから、楽しいことは楽しいって言ってほしい。期待したところでそれはオレの勝手だ。ロージーが責任感じることはねーよ」


「オレ付き合ってた奴と友達に戻るなんてこと絶対ないんだ。今までも多分これからも」


「お前と友達が続けれて良かった。それだけでオレは幸せだ」


辛さもあるけどな、と彼は笑いながら前を見た。別れた頃を考えると信じられない進歩だと思う。この大楠が泣いて喚いて別れたくないと言った。そんな彼を見て私はひたすら別れを告げたんだ。当時の二人には涙しかなかったのに今こうして笑えている。そんな未来が来ることをあのときの私たちに教えてあげたい。過去を過去に出来たとき前に進めるんだと思う。



だとしたら私は。
あのことを過去に出来ているのかな。
過去にすることがこの先出来るのかな。
未来の私は今の私になんて言いたいんだろう。
逆に今の私はあの時の私になんて言ってあげたい?



大楠がせっかく良いことを言ってくれたのに、きまって思い出すのはいつも洋平のことなんだ。