気まぐれに短文
(主:高丘朝人/たかおかあさと)
マー+ブ
空気の境目。というより、境界線となる壁に扉。
一度足を踏み入れば、戻り難くなる空間。
冷房という名の快適地帯。
「おわ、涼しっ」
「はー、生き返るー……。も、ムリ。ほんとムリ」
扉を開くと冷えた空気に包まれた。閉め切ってしまえば、厭な湿気も感じられない。数分後には、身体の汗もひくことだろう。
「イキナリ無理って、何がだよ」
「決まってるっしょー。おれ様あとはサボる。もうこっから出ない。出れない」
扉を開けばじめじめとした熱気にさらされる。扇ぐ以外の涼はなく、ふき出した汗が皮膚をまとうことだろう。
「確かにこう湿気が多いとなァ」
「あ、別にマークは授業はじまったら戻っていいゼ?」
「ざけんな」
※ 南ブ 注意
綾+ブ
手の平で缶を転がした。右に左に、ころころと。
缶の熱さが、手に移る。
両の手に、赤みが宿る。
「おはよーぉ、上杉。なに、飲まないのー?」
「はよーす」
カシ。彩られた爪で、綾瀬は持っていた缶を器用に開けた。香りが仄かに広がる。
ひとくち、ふたくち。
上杉は転がすのを止め、綾瀬と同じ、黄色で描かれた缶を机に置いた。
「え、熱くね? アヤセ、すげー」
「開けたほーが早くさまれると思うけどぉ?」
確かに。そう言って、珍しくからからと笑う上杉に綾瀬は目を見開いた。
指先で缶を弄りながら、それでも上杉はプルタブに指をかけはしない。眉も目も口も、顔全体を使って笑っている。普段通りの表情。笑顔。
綾瀬は思わず指を伸ばしていた。上杉の額を覆う黄色のゴーグルを、赤い髪をおさえるように除ける。あらわになった額に手を添えれば、異常な温度が主張した。
熱が移る。
触れた箇所が、熱い。
主+マー+ブ
気配に気が付き、高丘は意識を浮上させた。
屋上のフェンスにもたれ、座る彼に影がかかっている。目線を足元から空へ順に辿ると、見慣れた顔が二つ、高丘を覗き込んでいた。
「おわっ、寝てた……っスか?」
「わりィ、起こしたか?」
目の前にしゃがみ込んだ二人は、どこか済まなそうな表情だ。声を掛けられた当人は瞠目し、僅かに口が開いていた。
乾いた風が無言の三人を撫でて行く。
稲葉が鮮やかな黄色の帽子を目深に被り直した。首を竦め、脚に固く握った拳を交互に擦りつける。
上杉はなびく赤毛をそのままに、自身の身体を抱き抱えるように縮こまっている。
寒そうだ。
小さく空気を飲み込み、高丘は左右に首を振る。その様子に、口許を緩めた稲葉がようやくほっと息を吐き出した。
「まだ寒ィのに、屋上にいるのな」
「人、少ないから」
幾分か柔らかい調子で返した高丘の声に、稲葉と上杉は顔を見合わせた。
以前、同じようなやり取りで高丘が発した声は、酷いものだった。聴き手側が思わず喉を押さえ、受けた訳でもない痛みから逃れようとする程に。
若干掠れてはいるものの、無理なく零れた声を聴き、二人が安堵を漏らすのも当然のことだろう。
「よくなったみたいだな」
「おかげさまで」
言いながら、高丘はポケットから何かを取り出し、二人にそれを投げた。
掌に乗った山吹色の小袋には、生姜のど飴と記されていた。
主+ブ
名前を呼ばれた気がして、上杉は振り返った。
目が合ったのは、上杉が突然振り返ったことに驚いた、髪の長い少女だけだ。周囲に目線をやるが、めぼしい人物は見当たらない。
気のせいか。上杉は名も知らぬ少女に笑顔を残し、そそくさと背を向けた。
「上杉」
先程よりはっきりと届いた声に、上杉の肩がびくりと震えた。
「こっち。上」
見上げると、組んだ両腕を窓枠に乗せた黒髪の少年がいた。
口を結び、無愛想にも思える表情。目にかかる程度の長さの髪が顔に陰を落とし、物憂げな雰囲気を醸し出している。
耳元のピアスが存在感を主張するかのように、白く光った。
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