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砂糖の分量調節、下手くそ問題


 誘われたからといって一人暮らしの女性の家にのこのこ上がり込む男ってどうなんだろう。やっぱアウトだよな。
 彼女の家にお邪魔してソファーベッドに座ってからそんなことを考えたってもう遅いことは重々承知しているのだが、目の前のテーブルの上に広がるお菓子を眺めながら俺ができることといったら、くだらない後悔をして勝手に落ち込むことぐらいだった。
 彼女は鼻歌を歌いながら、先ほどコンビニで買ってきた飲み物をご丁寧にグラスへ注いでくれている真っ最中。二人分のグラスをテーブルに置いて、おそらく一番のお目当てである本日発売のスイーツとスプーンを二人分持って来た彼女は、何の躊躇いもなく俺の隣に座る。
 肩が当たるか当たらないか、ギリギリの距離。ソーシャルディスタンスとかプライベートスペースってものを知らないであろう彼女らしい近さだ。もっとも、身体を重ねたことがある俺たちにとっては考える必要がないことなのかもしれないが。

「お待たせ」
「そんなに待ってないよ」
「じゃあ乾杯しよっか」
「乾杯って、お酒の席じゃあるまいし。二人だけなのに?」
「いーの。こういうのは楽しんだもん勝ちだから」

 酔っ払っているわけでもないのにヘラヘラした様子の彼女は「かんぱーい」とレモンティーが入ったグラスを掲げた。仕方がないので俺もカフェオレが入ったグラスを小さく掲げ、控えめにチンとグラスをぶつける。彼女は満足そうにレモンティーを流し込んでいるが、これは一体どういう状況なのだろうか。俺は今更ながらに首を傾げる。
 男女が一室に二人きり。デートという名目でここまで来た。下心が全くなかったと言えば嘘になる。しかし現状、俺たちは肩を並べて酒でもない健全な飲み物を飲みながらお菓子パーティーをしているだけ。何度もセックスをしたことがある仲なのに、だ。こんなに滑稽なことはない。
 きっと彼女は、俺がここで急にキスをして押し倒したりしても怒らないだろう。緩やかに笑って「今日はそいうつもりなかったのに」とかなんとか、本音か建前かもわからないセリフを吐き捨てて、全てを受け入れる。彼女はそういう女だから。

「テレビつける?」
「この時間って面白い番組ないじゃん」
「DVDでも借りてくれば良かった」
「そうだねー。今から借りに行くのは面倒だなあ」

 会話はあるものの、それ以外の音がないのはなんとなく落ち着かなくてテレビに助けを求めようとしたが、何も考えてなさそうな彼女によって阻止された。新発売のスイーツは既に空っぽ。一口ずつ交換しようと言っていたくせに、俺が食べたのはどちらも一口だけ。結局彼女一人で二種類ともぺろりと平らげてしまった。
 ぼりぼり。お互い手持ち無沙汰すぎてスナック菓子を食べ続けているものだから、このままでは数十分と経たずしてお菓子の袋が空っぽになってしまうだろう。なくなってしまったら、いよいよ間が持ちそうにない。これでも俺は緊張しているのだ。

「ねえ黒尾くん」
「なんですか」
「お菓子、もうすぐなくなっちゃいそうだね」
「なくなったらパーティー終わりにしますか」
「夜ご飯食べてく?」
「材料あるの?」
「パスタぐらいなら作れるよ」
「そっか」
「うん」
「……名前さんはそれでいいの?」

 ざくざく、ごくん。スナック菓子を咀嚼して飲み込んだ彼女が、キョトンとこちらを見つめてきた。俺の問い掛けの意味がわからないほど純粋でも馬鹿でもないくせに、まるで純粋で馬鹿な女ですって顔をして。あざとすぎて逆にあっぱれだ。

「だめです、って言うと思う?」
「そりゃそうなんだけど、そういう意味じゃなくて」
「付き合ってるわけでもないのに二人きりでパーティーしたり夜ご飯食べたりするのはおかしいってこと?」
「まあ、うん、そうかな。そうじゃない?」
「じゃあ黒尾くんが私を誘い込んでセックスしたのはおかしいことだったんじゃないの?」

 ぐうの音も出ないとはまさに今の状況をさすのだと思った。彼女の言い分は正しい。だから何も言い返せないし、言い返す気もなかった。
 俺は矛盾している。そんなことは俺自身が一番よくわかっていた。これ以上はだめだとブレーキをかけようとしているくせに、このまま突っ走ってしまいたいという気持ちもあってブレーキをかけ損ねている。だからずるずる進んでここまで来てしまった。
 全てを彼女のせいにしてきたが、本当は全て俺自信の問題なのだ。どうしたいか。どうなりたいか。何も言わずに、何も伝えずにいれば、中途半端でも彼女を繋ぎ止めていられる。都合のいいポジションをキープできる。
 しかし俺は、それを心から望んでいるわけではない。本当は、彼女を確実に俺のものにしたい。彼女の方から求めてもらいたい。だから必死に駆け引きをしてきた。余裕ぶって見せていた。
 しかし、所詮無理だったのだ。俺はもう、どうやっても彼女を求める側の人間だから。

「名前さん、今彼氏いないの?」
「いたらこの状況はまずいでしょ」
「じゃあ俺と付き合う?」
「……黒尾くんはそれでいいの?」

 あれ、そのセリフさっき俺が言ったな。わざとかな。わざとだろうな。じゃあ俺の返しも決まっている。

「だめです、って言うと思う?」
「私、ダメ女だよ」
「うん。知ってる」
「そこは嘘でも、そんなことないよ、って否定するところでしょ」
「知ってて好きになっちゃったからね。否定できないんですよ」
「黒尾くん女の趣味悪いんだ」
「まあね」
「だから今のは否定するところ」
「それで、返事は?」

 大切なことを有耶無耶にしようとするのは彼女の悪い癖だ。茶化して、のらりくらりとかわして、決定的な言葉を葬る。その手法は、もう俺には通用しない。
 とん。腕がぶつかった。というか、彼女がわざと寄り掛かってきた。俺の肩に頭を寄せる。女のずるさとあざとさを最大限に利用した素晴らしい攻撃だ。

「黒尾くん運転できる?」
「あのさあ……」
「できる?」
「……できますけど」
「じゃあ今度ドライブ連れてって」
「今までの俺の話聞いてた?」
「返事はドライブの後にする」
「またそういうこと言うし」
「だめ?」

 ここは「だめです」って言ってもいいところだと思う。というか言うべきところだ。しかし俺には、計算し尽くされた上目遣いに太刀打ちする術がなかった。

「だめです、って言うと思う?」
「思わない。黒尾くんは優しいから」

 優しい、と言うと聞こえはいいが、俺はいいように振り回されているだけだ。それをわかっていても返事を無理強いできない自分が情けない。
 これでも割と本気で、そして割と緊張しながら「好き」という単語を口にしたつもりだったのに、彼女はそれを華麗にスルーした。その時点で返事なんてわかっているようなものだが、俺は未練がましい男だから、今みたいな宙ぶらりんの状態にしがみ付く。平気なフリをして、何も深く考えていないように見せかけて、彼女の我儘に付き合う男を演じるのだ。

「それで、いつ行くの」
「五月の連休中とか……あ、でも黒尾くん部活あるんだよね。忙しいか」
「全部埋まってるわけじゃないから大丈夫」
「じゃあ黒尾くんの部活がない日に予定合わせるよ」

 あれよあれよと言う間に決まっていくドライブ計画。はて、これはデートなのだろうか。そもそも今この状況もデートという名目だったはずだが、そんな雰囲気はない。というか、そういう雰囲気にならないように彼女が立ち回っている、と言うべきか。
 デートでもデートじゃなくても、男と女が二人きりで過ごすのは結構特別なことじゃないかと思う。少なくとも俺は特別だと認識している。彼女は違うのだろうか。訊いてみたいが、答えはあまり知りたくなかった。

「行きたいとこある?」
「遠くならどこでもいい」
「日帰りで行ける距離ってどこが限界かな」
「別に日帰りじゃなくてもいいよ私は」
「一泊二日すんの?」
「なんなら二泊三日でもいいけど」
「名前さんふざけすぎ」
「だって、黒尾くんとならいいかなって思っちゃったんだもん」

 ほらまたそういうこと言うでしょ。勘弁してよマジで。俺の気持ちを知っていてわざと期待させるようなことを言うのは残酷すぎるっしょ。
 俺はどうにかこうにか「それはそれは光栄です」とわざとらしくおどけて言ってみせた。気分を落ち着けようと、残りわずかとなったスナック菓子を適当に貪る。口の中に流し込んだカフェオレが、やけに甘く感じた。