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太陽はまだてっぺんにあるけど


 次はない。会っちゃいけない。会うべきではない。こんな関係は不毛だ。自分に何度もそう言い聞かせた、はずなのに。気付けば俺は、高校二年生の夏を終えてからも、彼女から連絡がくるたびに逢瀬を重ねてしまっていた。
 理屈じゃないのだ。彼女からの連絡がきたら、身体の芯が疼く。会っちゃいけない、会うべきではないという正論より、会いたい、触れたいという低俗な欲求の方を無条件で優先させてしまう。まるで反射みたいに返事をし、呼び出されたところにホイホイと出向いてしまう。
 きっと俺は彼女にとって、都合の良い男にしかすぎない。そんなことはわかりきっていた。そりゃあそうだ。名前を知る前に身体の関係をもったのだから、そこに気持ちなんてありはしないに決まっている。
 俺だって、まさかたった一度の過ちから自分がこんな泥沼にハマるなんて思っていなかった。しかし何度も言うように、理屈じゃないのだ。どうしようもなかった。抗えなかった。本能に。
 当時の俺は彼女が初めての相手だったから、身体の相性云々はよくわからなかった。ただ「これがセックスってもんなんだ」と受け止めていたのだ。しかし、経験を重ねた今の俺ならわかる。俺と彼女は、確かに身体の相性が良い、と。
 だから惹かれていた。本能的に求めてしまっていた。……のかは、いまだにわからない。ただ一つ言えるのは、彼女と逢瀬を重ねるごとに、俺は確実に大人の階段を上っていったということ。それまで部活に明け暮れるだけだった純真無垢な俺の女性関係(というかセックスに関するあれやこれや)の基盤を作ったのは、間違いなく彼女だと言える。
 しかし不思議なことに、当時の俺は彼女と「付き合いたい」とは思っていなかった。彼女にとって、所謂セフレ、もしかしたらそれよりもっと地位の低い何かでしかないとわかっていても、俺みたいなガキがそれより上を望むことができないと心のどこかで諦めていたからかもしれない。

「名前さんって何歳なの?」
「レディに年齢を訊くのはタブーでしょ」
「俺より年上なのはわかるけど」
「いくつに見える? あててみてよ」

 何度目かの逢瀬の時、彼女と交わした会話を思い出す。セックスを終えた後のピロートークには少々色気のないやり取りだったなあと、今更ながらに反省する。しかし彼女は、俺の問い掛けに嫌な顔ひとつせず、茶化すように相手をしてくれたんだっけ。
 最初は敬語だったのに、おそらく三、四度目の逢瀬の時にはタメ口になっていた。彼女の方から「堅苦しいの嫌いだから普通に話そうよ黒尾くん」と言われたのがキッカケだったと思う。
 三つか四つぐらい上かなあと予想していた俺が正直にそう答えると、彼女はセックス中よりも随分幼く見える笑顔で「そんなに大人じゃないよ」と言って、二つ年上だと教えてくれた。
 たった二つ。しかし俺には、その二つ、二年分の年月が、途轍もなく遠く感じた。二歳年上というだけでこんなに大人に見えるのか。俺も二年後にはもう少し大人になれているのだろうか。彼女に追いつくことができているのだろうか。
 ……いや、二年後にはきっと、彼女はもっと先を行ってしまっているのだろう。俺は永遠に追いつけないに違いない。そう思っていたから、結局俺はセフレ(もしくはそれ以下の何か)から上を目指すことができなかったのである。

 そうこうしているうちに月日は流れ、俺は三年生となった。そしてそれとほぼ同時に、彼女からの連絡はぱったりと途絶えた。
 当然と言えば当然。いつかはこんな日がくるだろうと覚悟していた……つもりだったが、俺はわりとショックを受けていた。ありきたりな言葉で言えば、心にぽっかり穴があいた、みたいな。そんな感じ。
 しかし傷心の俺には、幸いにも部活という逃げ道があった。最上級生、部活の主将。その重積を担いながら全国制覇の夢を掲げて日々バレーに打ち込む俺には、彼女のことばかり考えて落ち込みまくる時間は与えられなかったのだ。
 そりゃあ何度か、自分から連絡してみようかな、と考えたことはある。彼女とのメッセージ画面を開いて、何かしらの文字を打ち込もうとするところまでいったこともあった。が、最終的に、俺が文字を打ち込んで彼女にメッセージを送ることはなかった。
 例えば「久し振り。元気?」と送ったとして。「暇ならまた会う?」と勇気を出して誘ったとして。彼女からの返事がなかった時、俺はどうなってしまうのだろう。それまで以上に傷付いて、それこそ大切な部活に支障をきたしてしまうのではないだろうかと不安だった。だからまた、俺は諦めたのだ。

 そうして俺は、彼女に会うことも、連絡を取ることもなく、高校を卒業した。さすがに一年も経てば、完治とまではいかずとも心の傷はそこそこ癒えていて、このまま自然と苦い思い出として風化していくのだろうと思っていた矢先、進学先の大学構内を歩いている時に見かけた後姿。
 後姿だけだったから確証が持てなかった。それ以上に、こんなところでまた再会できるなんて奇跡にもほどがあるだろうと、彼女であることを信じようとしなかった。だから追求しようとしなかった、のに。
 ゼミでの初めての集まりで赴いた講義室にいたのは、間違いなく彼女だった。目が合って、時が止まる。
 もしかしたらすぐに逸らされるかも、初対面のフリをされるかも、そもそも俺のことなんて覚えていないかも。色んな仮定を想定したが、それらは全て当たらなかった。
 彼女は目を逸らさず俺を見上げたまま固まって「どうしてここに?」と、俺のことをきちんと認識した上で尋ねてきてくれたのだ。この時の俺の高揚感は、どうやっても伝えきれない。

 月日を重ねた分、俺も少しは大人になった。だからだろうか、涼しい顔をして名前を呼んだり笑みを貼り付けることができたのは。
 俺は大学一年生。彼女は大学三年生。彼女を追いかけて入学したわけでもないのに同じ大学に通うことになり、更に同じゼミに所属することになるなんて、偶然にしては出来すぎだ。しかし信じ難いことに、これは全て偶然なのである。

「名前さん、俺のことちゃんと覚えてる?」

 俺は彼女がどこまでのことを覚えているのか知りたくて尋ねてみた。しかし彼女は、何も答えない。彼女の隣に立つ、おそらく彼女の友だちであろう女の人からの「知り合い?」という簡単な問い掛けに対しても、彼女は口を噤んだまま微動だにしなかった。
 何と答えようか迷っているのだろう。どう答えるのが正解か、今後に支障をきたさないか、面倒臭いことにならずに済むか。この沈黙の間に、彼女は必死に考えているに違いない。
 そして神様は、そんな彼女に味方した。講義室に教授が入ってきたのである。教授が話し始めてしまったら、俺たちは会話を中断せざるを得ない。見つめた彼女の顔は、どこかホッとしているように見えた。

 それから教授は、挨拶もそこそこに一年間の簡単なスケジュールが書いてあるプリントを配り説明を始めた。
 他の大学ではどうなのか知らないが、うちの大学では縦割りでゼミが構成されている。四年生は就活のため除外されるが、一年生から三年生までは基本的に何らかのゼミに所属し、単位を取得できるシステムになっているのだ。
 このゼミの教授はフレンドリーというか、かなり緩めの性格らしく「まずはゼミ生の親睦を深めよう!」と、急遽今日の夜、親睦会を行うと言い始めた。大学って基本的にこういうノリなんだろうか。よくわからないが、店の名前と場所、集合時間を伝えられたところで初めてのゼミでの集まりは呆気なく解散となった。
 ぞろぞろと講義室を出て行く他の人たちを見送りながら、俺はいまだに席から立ち上がらない彼女に近付く。彼女の隣に座ったままのお友だちさんは「やっぱり知り合い?」と、再び先ほどと同じ質問を繰り返した。
 さて、どう答えるのだろう。俺は彼女の顔色を窺う。また黙りだろうか。そんな懸念をしながら見つめていたが、今度はさっきとは違った。

「キミのこと、覚えてないって言ったらどうするの?」

 それはお友だちさんへの返事ではなく、俺の問い掛けに対する返事だった。彼女のこんなに凛とした表情や澄んだ声音を、俺は知らない。過去のどんな記憶を引っ張り出してきても、こんな彼女は見当たらなかった。
 俺も少しは大人になったと思う。けど、その分彼女はもっと大人になっていた。悔しいが、男女の駆け引きという点において、彼女は俺なんかより一枚も二枚も上手だ。
 答えに迷う俺を置いて、彼女は席から立ち上がって颯爽と背中を向ける。そして講義室を出る直前に少しだけ振り返って笑って見せた。その表情はよく覚えている。忘れもしない。「そんなに大人じゃないよ」と言って俺より二つ年上だと教えてくれた時と同じだ。

「返事は親睦会の時に聞かせて?」

 言いたいことだけ言って去って行く。自由な性格は相変わらずだ。
 親睦会は強制参加じゃない。だから、俺が行くかどうかは俺次第。それなのに彼女は、まるで行くことが決定事項であるかのような口振りだった。
 変わってないなあ。変わってなくて、安心した。そっちがその気なら、俺にだって考えがある。くつくつ、笑みがこぼれた。夜が楽しみで堪らない。