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03 貸し
 突然ですが聞いてください。私、不幸に見舞われました。私は店先でころころと転がるじゃがいもを見つめながら、恥ずかしさとともに泣きたい衝動に駆られていた。

 先生と別れて野菜コーナーで野菜を買い込み、乾物やら日持ちしそうな激安食材を籠に詰め込んだ私は、長蛇の列に並んだ。さすがタイムセールの時間帯というだけあって、レジはどこもてんやわんやになっている。
 私はスマホを取り出して、それほど興味もないSNSを眺めながら時間を潰していた。付き合い始めて三ヶ月記念日とか、噂のタピオカミルクティーとか、オシャレレストランで早めのディナーとか、今日は楽しい飲み会だとか、私にとっては何の利益もない情報が詰め込まれたそれに、心にもない「いいね」を送る。
 これはもはや作業である。自分の幸せは誰かにアピールしたい。人間ってそういうものだ。私もつい二ヶ月前、新居での生活スタート!なんて、ちょっと浮かれ気分の投稿をした身だから人のことは言えない。あの時の私の投稿に「いいね」をしてくれた人達の中には、今の私のように最悪な気分だった人もいたかもしれないけれど、あの時の私はそんなこと考えもしなかった。
 きっとみんな、こういう幸せの陰で苦労しているんだろうなあ。今の私は、そんな感慨に耽ることができるようになっていた。人間として成長したような気がする。

 レジでの会計を済ませ、予定よりもやや買い込みすぎてしまった食材達をビニール袋に詰め込んでいく。ビニール袋というのは案外強い。ちょっと引っ張れば伸びるから、多少容量オーバーでもどうにかなる。
 そうして、ぎゅうぎゅうのパンパンになったビニール袋を持って自転車を停めたところまで歩いていた私に降りかかった災難。ビニール袋が見事に破れて、中身を全て地面にぶち撒けてしまったのだ。
 いやいや、こんなことある?先生に思わぬ形で再会してしまったせいでトラウマとも言える過去を思い出し、半額のお肉をゲットできなかっただけでも十分な災難だったのに、その上こんな恥ずかしくて泣きたくなるような災難まで上乗せしちゃう?ちょっと残酷すぎない?
 先週から続く不幸の数々に、私の心はズタボロだ。店の出入口から少し離れた場所だから、行き交うお客さんの邪魔にはならないだろうけれど、それでも自転車置き場までの道のりを行く人達には見られてしまう。皆揃いも揃って「可哀そうに…」という目を向けてきているけれど、助けてくれる人は誰もいない。
 まあそうですよね。私がそちら側の人間でもそういう反応をすると思います。でも私の場合、転がった野菜を拾うぐらいはすると思うよ!そこのおばちゃん!
 誰に八つ当たりをすることもできない。しいて言うならビニール袋の強度を過信しすぎていた自分自身のせいなので、私は心の中でひたすら悪態を吐きまくる。勿論、手はぶち撒けられた食材達を拾い集めるために動かし続けているけれど、これを持ってまた袋をもらいに行くのはかなり辛い。とりあえず籠取ってこようかな。
 そう思って立ち上がりかけた時、目の前にすうっと、遠くに飛んで行ったはずのじゃがいもが差し出された。この世の中捨てたもんじゃない。心優しき通行人さんが拾ってくれたのだ。私はじゃがいもを受け取りながら「ありがとうございます」と笑みを張り付けて顔を上げた。


「何やってんだよ」
「……見ての通り、不幸に見舞われてるんですけど?」


 お礼を言ってこれほど後悔したことはない。じゃがいもを拾ってくれたのは、先ほど私から半額のお肉を奪い取った御幸先生だったのだ。完全に笑顔の無駄遣いである。
 私を見下ろす先生は呆れ顔で、溜息まで吐く始末。別に先生にはひとつも迷惑をかけていないはずなのに、どうしてこんな「やれやれ」みたいな反応をされなければならないのか。全く以て理解できないし、不愉快極まりない。


「エコバッグ持ち歩かねぇからこういうことになるんだよ」
「えっ!御幸先生、エコバッグ持ち歩いてるんですか…?ちょっときも…、」
「袋代も馬鹿になんねぇだろ。つーか今お前、すげぇ失礼なこと言ったな?」
「先生、目だけじゃなくて耳も悪くなったんじゃないですか?」
「拾ってやった人間に対してその態度かよ」


 まあ確かにそれは一理ある。けれども、先生には半額お肉を奪われたという恨みがあるわけだし、さっききちんと「ありがとうございます」というお礼は言ったわけだから、とやかく言われる筋合いはない。…と思ってしまうのは、私の心が荒んでいるからだろうか。
 兎に角、私は全ての食材達を掻き集めて、一刻も早くこの場から立ち去りたいのだ。籠を持ってきてレジのところに戻り、今度はビニール袋を二枚もらおう。そうすれば最悪の事態は二度と起こらない。
 そう思って店の出入口の方に向かおうとした私に「おい」と声をかけてきたのは、勿論、御幸先生だ。この期に及んで、まだ私を罵倒し足りないのだろうか。…と、思ったら。


「これ。使うか?」
「え」


 目の前にチラつかされたのは、青色の物体。どうやらエコバッグのようだ。先生は既に買い物した物を袋に詰めて持っているから、このエコバッグは二つ目ということなのだろう。
 普通エコバッグを二つも持ち歩く男いる?そんなに袋代が惜しいのだろうか。もしかして先生、稼ぎが少ないのかな。だから元教え子相手にもかかわらず、半額のお肉を必死にゲットしようとしてたのかもしれない。そう考えると、先生にちょっぴり同情した。本当にちょっぴりだけ。


「使わねぇんだな」
「使う!使います!使わせてください!」
「ったく…さっさと入れろよ。恥ずかしい奴だな」


 すんなりと快く貸してくれればいいものを、先生は一言も二言も多いからカチンときてしまう。しかし、ここは私が大人にならなければならない。冷静になれ。心を鎮めるのだ。
 私は心の中で自分自身にそんな呪文を唱えながら、借りたエコバッグに買ったものを詰め直していく。かなり大きめのエコバッグだったので、先ほどのビニール袋よりややゆとりがある。何より、袋がしっかりしているから、もう不幸に見舞われることはないだろうという安心感が半端じゃない。恐るべしエコバッグ。
 私は重たい荷物を「よっこいしょ」と肩にかけて立ち上がる。なんだかんだでエコバッグを貸してくれたり、袋詰めを手伝ってくれたりした先生を、またもやちょっぴり見直した。


「ありがとうございました」
「どういたしまして」
「じゃあ、」
「バランス崩して自転車ごと転けんなよ」
「大丈夫です!」


 最後の最後まで嫌味ったらしい先生に鼻息荒く言葉を返した私は自転車の籠に荷物をのせると、すいーっと走り始めた。絶対に転けずに帰ってやる、という謎の意気込みをしつつ爆走したからか、行きよりも二分ほど早く帰ることに成功。とても疲れる買い物だった。
 家に入ってすぐ、エコバッグから食材を取り出し、冷蔵庫に片付ける。そして、やっと終わったー!とソファに腰を下ろそうとしたところで、私は気付いてしまった。
 このエコバッグ、返さなきゃいけないのかな。借りたものは返さなければならない。それは当たり前だ。それぐらいの常識はわきまえている。
 けれど、私は先生の連絡先を知っているわけじゃないし、次にどこかで会う約束もしていない。あのスーパーに通い続ければ、いつかまた会えるだろうか。会えるまで通い続けるべきだろうか。…いや、会いたくはないんだけど、それ以外の方法が思いつかないし。
 先生はどういう考えで私にエコバッグを渡してくれたのだろう。もう返してくれなくてもいいという気持ちで渡してきたのだとしたら、結構いい人なのでは?
 一瞬そんな考えが頭を過ったけれど、すぐに思い直した。あの憎たらしいセリフの数々。いい人なわけがない。このエコバッグも、早く返さなければ何と言われるか分からないし。うん、やっぱりどうにかして返そう。
 青いエコバッグを丁寧に畳み、いつも使っている鞄の中に入れる。これでいつどこで会っても返せるはず。会いたくない人物に会わなければならないという不運は続くけれど、これで今度こそ、この不幸にもピリオドを打ってほしいものだ。

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