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15 告白
 どくどくどくどく。心臓の音がうるさい。それが果たして私のものなのか先生のものなのか定かではないけれど、もしかしたら二人分の音が聞こえてきているからこんなにうるさく感じるのかもしれなかった。
 誰がこんな展開を予想できただろうか。私は今、先生の胸に顔を押し付けられている。しかも先生は上半身裸だから、素肌に触れているというオプション付き。こんなの予想できるはずがない。
 私はというと、そりゃあもう動揺していた。動揺しすぎて、逆に動けなくなるほど。声も出せなくなるほど。なんなら、息をするのも忘れていたかもしれない。
 先生の体温を高く感じるのは、お風呂上がりだからなのか、それとも基礎体温が高いからなのか。もしかして私の顔の熱のせいでそう感じているだけなのか。そんなどうでも良いことを考えていないと、とてもじゃないけれど正気ではいられなかった。


「お前、ほんとに俺のこと好きなの?」
「そ、そう、です、けど、」
「そのわりに全然動揺しねぇんだな」


 どうやら先生の目は節穴らしい。私が死にそうなほど動揺していることに気付かないなんて、とんだポンコツである。けれども、私にとっては好都合だった。
 私が激しく動揺していることが伝わってしまったら、これからどれだけ揶揄われるか分かったものではない。ていうか、先生はどういうつもりでこんなことをしているのだろう。
 あれ。そういえば先生、さっき何って言ってたっけ。遅ぇよ、って、良かった、って言っていたはずだけれど、つまりそれは、えーっと……どういう意味?
 動揺のあまり、もともと低性能の私の頭はより一層思考力を低下させていた。言葉の読解力がないのは昔からだ。そういえば国語の文章問題を解くのも苦手で、先生に何度も怒られたことがあるのを唐突に思い出した。


「今の状況、わかってんのかよ」
「……わかってない、です」
「は?」
「わかれって言う方が無理でしょ!」


 動揺がやっとのことで全身に行き渡ったのか、私は漸く身体を動かすことに成功した。つまり、先生の胸を突き飛ばして距離を置くことができた。きっと、頭上から降ってくる先生の声に、私の鼓膜が耐えられなくなったのだ。


「遅ぇよ、って、どういう意味ですか!良かった、って、何が良かったんですか!私、全然わかんないのに、急に先生が…、」
「……ばーか。鈍感」


 単純な貶し言葉だった。もっと噛み砕いて言えば、ただの悪口。
 必死な私とは反対に、先生は余裕たっぷりに笑みを浮かべていた。なんとも憎たらしい。さっきまでの熱い体温も、都合の良い夢だったんじゃないかと錯覚させられる。
 馬鹿。それはまあ、先生に比べたら馬鹿だと思うから、悔しいけれど否定はできない。けれど、鈍感、というのは、たぶん、違うと思う。
 だって、期待している。もしかして、ってそわそわしている。そんなはずないと思う自分と、そうだったらいいなと思う自分がせめぎ合っている。もし私が本当に鈍感だったら、ドキドキしたりなんてしないはずだ。


「エアコンが壊れたからって俺が人助けするタイプに見えるか?」
「見えない」
「即答すんな」
「でも、私のことは助けようとしてくれた」
「助けようとしてくれた、か……俺はそんなにデキた男じゃねーよ」


 余裕たっぷりの笑みから一転、今度は自重気味に口角を上げる先生は「ほんとに何もわかんねーの?」と尋ねてくる。真っ直ぐに私の目を見ながら。まるで、逃げるな、って言っているみたいに。
 わかる?わからない?先生は、どんな答えを待っているの?私に、何をわかっていてほしいの?先生の言う通り馬鹿な私には、わからないよ。ちゃんと言ってくれなくちゃ、わかんない。


「俺、今までこの部屋に女入れたことないんだけど」
「私は女じゃないってことですか」
「そこまで察しが悪いほど馬鹿じゃねーだろ」
「だって先生、前言ったじゃないですか。お前みたいなちんちくりんは犬と同じかそれ以下だ、って。それって、そういう意味でしょ?」


 私はちゃんと覚えている。初めて先生の家に招かれた時に言われたセリフを。あの時は、失礼な男だ!と憤慨するばかりだったけれど、今の私が同じセリフを言われたら、怒りとは違う感情が込み上げてくるだろう。
 さっきの行動だって、今の思わせぶりな発言だって、先生の本心は曝け出されていない。全部、私に期待させるだけ。だから私は確証がほしい。この期待を、期待だけで終わらせないだけの安心感を求めている。
 先生は、そんな私の心理を既に読み解いているはずだ。それなのに決定的な言葉をくれない。そんなのずるい。私はちゃんと、好きだって認めたのに。


「あの時はそういう言い方するしかなかったんだって」
「じゃあ今は?」


 詰め寄る私に、言い淀む先生。いつもと立場が逆転している。こんなことは初めてだ。昔も、再会してからも、迷ったり戸惑ったりするのはいつも、先生ではなく私の方だった。
 このまま何も答えずはぐらかすつもりなのだろうか。期待させるだけさせておいて、それで終わり、なんて。さすがの私でも怒る。いや、怒るというか、がっかりする。やっぱりね、って、落胆して、傷付く。それは、嫌だなあ。
 先生が首裏に手を回し、大きく息を吐いた。溜息というより深呼吸、って感じの息の吐き方だ。


「嫌われてると思ってたから言うつもりなかったんだけど」
「はい、」
「俺は最初からお前を女としてしか見てねぇよ」
「最初から?」
「そう。最初から」


 先生の言う「最初」っていつだろう。再会した時のこと?それとも、本当の本当に一番最初に出会った時のこと?思わぬ発言に、心臓が躍り出す。


「お前に惚れてる」


 先生の凛とした声音に、一瞬だけ心臓が動きを止めた。それだけ衝撃的だった。
 嘘だ。嘘じゃなかったら夢だ。違う。これは現実。私が望んでいた決定的な言葉じゃないか。それをせっかく与えられたのに、私は逃げ出したくて堪らない。
 言葉の意味はわかる。けど、わからない。受け止めきれない。やっぱり嘘じゃないか、夢じゃないか、って。どうしても先生から離れようとしてしまう。


「う、うそ、」
「嘘でも冗談でもねぇことぐらいさすがにわかれよ」
「だって、そんな素振り、全然、」
「車の助手席乗せたのも家にあがらせたのもお前だけ。ついでに彼女役頼んだのもお前だけ。わりとわかりやすいことしてんだけど?」
「そんなの、私は知らなかったもん」
「でも、今知った」


 形勢逆転。つまり、いつも通りの構図に戻った。先生は堂々としていて、私は論破されている。私の方が主導権を握っているはずだったのに、どうしてこうなった。


「じゃあもう少し、優しくしてくれたって良かったのに、」
「優しくって?例えば?」
「今だって私のこと揶揄って楽しんでるじゃないですか!そういうところですよ!」
「いちいち食ってかかってくんの見るの面白ぇんだもん」
「小学生男子か!」


 やってしまった、と思った時にはもう遅い。私はこの状況でムードもなくいつも通りのツッコミを入れてしまったことを激しく後悔した。しかし、言ってしまったものは仕方がない。
 このまま今まで通りに戻ったら、それはそれで良いじゃないか。むしろ、これからどうしようかと悩んでいたぐらいだし、ナチュラルに(かどうかはわからないけれど)いつもの雰囲気になってくれた方が好都合かもしれない。
 ……なんて考えはお見通しだったのだろう。私の浅はかな思考を嘲笑うかのように、先生は目を細めて私を見つめてきた。


「だったら何?」
「へ」
「俺がこんな風にしか構えない小学生男子みたいな男だったら好きなのやめんの?」
「そ、そんなことはない、です、けど、」
「お前の方こそ、もう少し素直になれよ」


 素直になれって言われても、先生のことが好きだと認めた時点で私の素直さは十分に発揮されていると思う。これ以上どうしろと言うのか。
 むっとして、なかば睨みつけるように先生を見つめ返せば、くつくつと笑われた。何が面白いのだろう。昔は永遠に笑わない人だと思っていたからか、こういう表情を見ると人間らしさが垣間見えて安心する。たとえその笑みが私を馬鹿にする意味でこぼされているものだとしても。


「ま、いーや。夜は長いし」
「えっ!?」
「今日、うち泊まるんだよな?」
「か、帰ろうかな」
「なんで?暑いのに?」
「暑くなかったら帰ってもいいんですか」
「……ダメ」


 なんだ、ダメ、って。子どもみたいに。それこそ小学生男子じゃあるまいし。そう毒吐いてやりたいのは山々だったけれど、指を一本一本絡めながら私の手を握ってきた立派な成人男性を前に、私の口はちっとも動いてくれなかった。
 夜はこれからだ。私の手に絡まってきた先生の指先が、そう言っている。

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